コーチ冥利
これが並の選手だったら、「何ボサーっとしてんだ、バカヤローっ!」
と雷を落とされ、交代させられてもおかしくない程だった。
しかし櫻井はバットで守備で走塁で幾度となくチームを勝利に導いてきた。
天才と持て囃されても、驕る事なく、ひたむきに野球に取り組んできた。
「個人の成績だけではチームは勝利しない」
この言葉を胸にチームプレーに徹し、個人成績は二の次という考えの持ち主だ。
それは4番を打つ高梨からの助言でもあり、櫻井もそれに共感し、チームプレーを貫く。
その櫻井が隠し球でアウトになったのだ。
誰も櫻井を責めたりはしない。
隠し球という考えは誰もが思い付かなかったはずだ。
それをやってのけたガンズが一枚上だった。
ベンチではヘッドコーチの佐久間が、高峰と木下のバッテリーを呼び寄せた。
「この回からはツーシームは投げるな。ストレート主体から変化球主体で攻めていけ」
佐久間はガンズベンチに対し、フロントドア、バックドアというツーシームを封印して投げるよう伝えた。
「はいっ」
二人は返事をし、グランドに戻った。
追い込まれたらあのツーシームが来る、と思い込ませ早いカウントから打ちに来るであろうガンズの選手達をかわすようなピッチングをしろと言う事らしい。
佐久間は「クックックッ」と笑いながら隣にいるヤマオカに言った。
「ヤマオカさん。アンタ随分と面白いチームに誘ってくれたもんだ」
佐久間が嬉しそうな表情をしている。
まだ序盤だというのに、セーフティバントから始まり、悪球打ちに、敬遠。そして最後は隠し球という、トリッキーな攻防だった。
「この回だけでも金が取れるプレイだったよ」
ヤマオカもニヤッと笑みを浮かべ答える。
昨年まで東京ゴールデンズでピッチングコーチをしていたが、こんなスリリングな展開は体験しなかった。
リーグ覇者として、横綱相撲のように試合をリードしていくゴールデンズの野球に物足りなさを感じていた。
佐久間は去年でコーチを退き、球界を去るつもりだった。
ヤマオカは昨年末から佐久間にエンペラーズのコーチを打診した。
しかし、佐久間の意思は固く誘いを断っていた。
それでもヤマオカは何度も足を運び佐久間を口説き続けた。
榊とトーマスの勝負を見て欲しいと頼んだのも、ヤマオカだ。
原始的でバカバカしい発想だったが、何故かヤマオカには他の指導者にはない魅力を感じていた。
エンペラーズの若い選手は荒削りだが、磨けば光るダイヤの原石が何名かいた。
その1人が高峰だった。
選手を育て上げ、才能が開花した時、コーチとしての充実感を得られる。
佐久間はまだその充実感を欲していたのだ。
そして三回の裏、ガンズの攻撃は下位打線のせいもあり、三者凡退で終了した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます