⑯-決着、そして-

 静寂が過ぎった。戦場のただ中だというのに、ここだけ空間を切り取ったかのように無音に包まれる。デルガドの命令で周囲を包囲するだけのライゼルス兵達も、今や固唾を飲んで見守っていた。


「いくぞ」


 最初に動いたのはルゥナだ。大地を蹴り一直線にデルガドに向かう。

 肉薄した彼女めがけて、デルガドは右腕を振り放った。

 凶器と化す盾の切っ先を横っ飛びで回避したルゥナは、鞘から剣を抜き放つ。

 甲高い音が響いた。一文字の剣閃は先読みしていたデルガドの盾に防がれる。

 斬撃は摩擦を起こすだけで、肉体には届いていない。

 隙の生じた彼女めがけてデルガドは腕を引き絞る。


 そのとき、ルゥナの剣はありえない挙動をした。

 彼女が腕を振り切った瞬間、剣がぐりんと独りでに半回転したのだ。

 原因はルゥナの手元にあった。

 彼女が握りしめていたのは剣の柄ではない。鎖だ。

 鎖を握りしめ抜剣することで、固定されていない剣は遠心力に従い円運動する。半円を描きちょうど逆手の位置に来た瞬間、ルゥナは手をスライドさせて柄を握りしめた。デルガドの懐へ更に一歩踏み込む。

 そして逆手に持ち替えた宝剣を、一撃目とまったく同じ軌道で放つ!

 刃は左盾に食い込み、そして。


 盾は、真っ二つに切断された。


 腕を振り切ったルゥナと刺突を放ったデルガドが交差する。

 互いに背を向けた状態で、二人は停止していた。通り過ぎた跡地には、切断された盾の半分が無造作に落ちている。


「そうか……これが狙いか」


 デルガドが呟いた、その瞬間。男は胸を押さえて片膝を突いた。

 胸部の鎧には一文字の切断面が走り、裂け目から血が溢れている。デルガドの手にもべったりと血がこびりついていた。

 同時にルゥナも膝をつき、どっと息を吐く。身体は小刻みに震えていた。


「同じ部位に、絶えず剣を打ち付けた理由は、我が盾に、綻びを入れるためか」


 切れ切れながら告げられた理解の言葉に、ユキトは衝撃を受けた。

 デルガドの言う通りならば、ルゥナは盾に何度も斬撃を浴びせることで少しずつダメージを蓄積し、破壊に繋げたことになる。しかし闇雲に傷を付けるだけでは、こんな短時間に切断することはできない。

 同じ箇所を狙って斬撃を入れ続けるという、離れ業でもしない限り。

 狙ってできるかと問われれば、ユキトはできないと即答するだろう。しかしルゥナは驚異的な技術でそれを成し遂げた。そして最後の一撃で盾を切断すると同時に、デルガドへ届く渾身の一撃をたたき込んだのだ。

 デルガドの絶対防壁を、ルゥナの執念が超えた瞬間だった。


「最後に、問おう……先ほどの技は、なんという」


「……円燐剣奥義、<解月>」


 深く息を吐き、震えを沈めたルゥナが答える。

 彼女が緩慢な動きで振り返ると、デルガドも同じように向き直り、口角を上げた。


「見事。我の、負けだ」


 デルガドの上体がふらついた。男は身を放り投げるようにして仰向けに倒れる。無事な盾すらも手放し、男は動かなくなった。

 見届けたルゥナの心臓が、ドクンと脈打つ。


「がっ……!」


 ユキトは呻き、両手をついて四つん這いになった。

 憑依が終わり、感覚が戻ってきている。全身に電流のような激痛が走っていた。息をするのもやっとで、視界が明滅している。

 ルゥナがいかに壮絶な戦いを繰り広げていたかを、痛みと共に実感する。


『ユキト!』


 狼狽した様子のルゥナが呼びかけてくる。だがユキトには答えられない。痛みだけではなく副作用の疲労も重なって、意識を保つのがやっとだ。


「そんな、十剣侯殿が……!」「デルガド様が敗けるなんて……」


 勝敗の行方に放心状態だったライゼルス兵達が、動揺の声を上げ始める。幾人かはデルガドの元に駆けつけ介抱した。

「息はあるぞ!」という言葉で、ユキトは男の生存を知る。ルゥナに手心を加える余裕はなかったはずで、これは偶然の結果だろう。

 しかしユキトは、遠のく意識の中でどこかほっとしていた。たとえ常軌を逸する殺人者でも、やはり誰にも死んでほしくはない。


「おのれ貴様ぁ……!」


 デルガドの生存がわかったことで、ライゼルス兵達が次に意識を向けたのがユキトだった。彼らは怒りを滲ませながらユキトを囲み、長槍の矛先を突きつける。


「調子に乗るなよゼスペリアの人間が!」「デルガド様が負けるはずはない! 貴様をここで殺せば証拠など……!」「殺せ! 生かしておくな!」


 逆恨みに近い憎悪が容赦なくぶつけられる。だが朦朧とする頭では、彼らの言葉にも反応できない。

 うなだれるユキトの首筋に冷たい刃が突きつけられた。


『だめ! ユキト! お願いだから逃げて!』


 必死に叫ぶルゥナは、ユキトの体に手を伸ばした。だが、触れるかという位置まで来てそこから先を躊躇う。憑依すればユキトを強引に動せるかもしれないが、副作用の懸念が付き纏った。二回目でこれなのだから、三回目の憑依後は更に重篤な状態になるかもしれない。

 傷ついた彼の身体では、耐えるのは無理だ。


『ユキト! 逃げてっ!』


 ルゥナの叫びも虚しく、ユキトの足は震えるばかりで動かない。

 奥歯を噛みしめる彼の首めがけて、刃が振り下ろされる。


「――止めんかぁ!」


 空気を振動させるほどの大音量が響き渡った。兵士はビクリと身体を震わせ、振り下ろしていた槍は寸前のところで停止する。

 振り返ればそこには、数人に抱えられて立ち上がるデルガドがいた。


「男と男の、決闘に、無粋な横やりをする気か、貴様らは……!」


「し、しかしデルガド様! このような機会を逃す手は――」


「二度は、言わん……!」


 血走った目でデルガドが断言する。威圧された兵士達は不憫なほどに顔を青ざめさせると、渋々ながら槍を引いた。

 彼らはユキトを一瞥してからデルガドの元に集い、数人がかりで巨漢を黒い騎馬へ乗せた。兵士一人が手綱を握り、デルガドはその後ろに跨がっている。

 失血して青ざめた顔ながら、デルガドの表情に曇りはない。男はなにも言わず、騎馬に乗せられて野営地へ帰還していく。ライゼルス歩兵達は悔しげに顔を歪めていたが、やがてユキトから離れていった。


『エルズオーグ卿……』


 ルゥナは感慨げに呟き、頭を下げる。そこで複数の足音が近づいてきた。

 警戒するルゥナだったが、接近する人影を見て安堵の表情を浮かべる。


「間に合った……! カムロ卿そっち頼むっす!」


「了解! ていうかオーレンでいいって!」


 駆けつけたライラとオーレン、そして他のゼスペリア歩兵達によってユキトの体が騎馬に乗せられる。ルゥナは涙を拭い、彼と共に野営地へ向かった。


 *******


「ジルナール様、これ以上はもう……」


 家臣の一人が切羽詰まったようにジルナに進言する。他の面々は暗く沈んだ表情でうなだれていた。一番の家臣であるゴルドフも苦渋に満ちた表情で腕を組み、黙り込んでいる。

 天幕の中で待機しているジルナの周囲には家臣が勢揃いし、彼女の前にあるテーブルには何枚もの羊皮紙が重ねられている。戦況を書き留めた報告書だが、それが増えていく毎に天幕の中は陰鬱な雰囲気に包まれていった。


 獣射による威嚇攻撃が成功したまではゼスペリア軍に流れがあった。しかし敵が獣砲を搭載した移動砲台を投入したことで、戦況はひっくり返された。ゼスペリア軍は大打撃を受け、挽回の余地は失われている。

 獣砲を野戦で活用してくる案は、実はジルナも一度想定したことがあった。しかし山越えの労力を思えば可能性は低いと判断し、切り捨てている。

 あのときの自分の甘さは悔やんでも悔やみきれない。内罰的な影を帯びた彼女は、血が滲むほどに唇を噛みしめていた。

 しかし後悔したところで、現実は変えられない。ジルナは決断の局面に立たされた。

 撤退。たった二文字を発するだけで、ゼスペリア州崩壊が決まる。

 どのみち、このままずるずると戦っても勝機は薄い。ならば兵士が残っているうちに内地まで撤退し、籠城戦に戦力を割り振った方がダイアロン連合国のためとなるだろう。


 わかってはいるが、ジルナはまだ判断を保留していた。せめて遊撃隊として出撃したユキトの結末を、彼の生死を見極めてからにしたかった。

 彼女の願いは、天幕に入ってきた兵士によって叶う。


「報告いたします!」


 泥だらけで駆け込んできた歩兵はジルナの前で片膝をついた。すぐに書記官が羊皮紙を取り出す。


「我が軍は徹底抗戦を継続中。ですが負傷兵も多く、獣砲による広範囲砲撃の影響で陣形が乱れております。各隊が何とか戦線を維持しておりますが、騎兵の消耗が激しい模様です。その中で、憑依騎士ユキト殿が――」


 歩兵が彼の名を告げる。どくん、と心臓が高鳴った。

 ジルナは静かに目を伏せて、その台詞を待つ。


「獣砲を搭載した移動砲台を二つ、破壊されたとのことです!」


 ジルナは弾かれたように目を見開いた。

 家臣達も唖然となる。そのうち一人が、信じられないといった顔つきで尋ねた。


「そ、それは本当なのか?」


「はい! 更に戦地では十剣侯デルガド・エルズオーグの乱入が観測されましたが、こちらも憑依騎士殿が撃退されたと報告が……!」


 驚愕は喜色へと変化した。老兵達は年甲斐もなく上ずった声を上げる。


「見間違いじゃないだろうなぁ!」


 ゴルドフが兵士の胸ぐらを掴んでぶんぶんと揺さぶった。兵士は困惑しながらも何度も頷く。


「た、確かな情報です。円燐剣を使用されていた模様ですので、もしかするとルゥナール様を召還された可能性が……」


「ルゥナール様が……十剣侯を……!」


 重鎮の顔がくしゃりと歪む。ゴルドフは目頭を指で抑えると、嗚咽を飲み込むようにぐっと奥歯を噛み締めていた。

 むせ返っていた兵士は、思い出したようにジルナへと告げた。


「ですが憑依騎士殿の容態が芳しくなく、野営地に引き返されております。もうすぐこちらに戻るかと――」


 言葉の途中にも関わらず、ジルナは勝手に動いていた。彼女は天幕を飛び出すと工兵や衛生兵達の間をすり抜けて丘を駆け下りる。後ろでゴルドフが叫んでいたが耳にすら入っていない。

 戦場に近づけば近づくほど爆音や叫び声、血と煙の匂いが漂ってくる。飛び交う矢も視認できる。戦闘経験のないジルナにとっては、いかに自軍領域であろうと危険な場所だ。それでも彼女は迷いなく突き進んだ。

 負傷兵や死体が密集している地帯に踏み込んだとき、一頭の騎馬が現れた。煤汚れた騎馬には全身傷だらけのライラが跨がっている。

 そして、彼女の腕の間にはぐったりとしたユキトの姿があった。


「ユキト!」


 叫び、ジルナは必死に走る。鎧が重くてもどかしい。早く早くと自分を急き立てて彼の元へと駆けつける。

 騎馬から降りてユキトを担いでいだライラは、ジルナの姿に気づいてギョッとした。


「うえ、ジルナール様!? こんなとこ来ちゃ駄目っすよ!」


「彼は無事なの!?」


 忠告を無視して、ジルナはユキトに顔を近づける。

 彼の身体は至る所に裂傷が刻まれ、ボロボロの姿だった。瞼も閉じられ動き出す気配はない。

 だが耳をすませば、静かな寝息が聞こえてくる。


「生きてますよ、ちゃんと。二回目の憑依で昏睡してるけど、そのうち起きるはずっす」


 そこでライラはいきなり、ユキトの体をジルナに預けた。

「わっ!?」と驚きの声を上げたジルナは彼と共に倒れ込む。鎧を装着した男を支える筋力などあるはずもなかった。


「ちょっと持っててくださいな。衛生兵呼んでくるっす」


 抗議する暇もなくライラは走り去っていく。一瞬頭に血が上ったジルナだが、すぐに冷めていった。

 彼女なりに気を遣ってくれたのだと、ユキトの寝顔を見ながらジルナは考え直す。


「……お疲れ様、ユキト」


 優しくユキトの頭を撫でる。周囲には多くの兵士達がいて視線を集めたが、子供のようなあどけない寝顔を見ているとたまらなく愛おしくなって、我慢できなかった。

 それからジルナは、ユキトの隣の空間へと目を向ける。そこには誰の姿もない。声も聞こえず、気配も感じない。

 だが、確実にいると信じられる。


「姉様。ありがとう」


 ジルナには、ルゥナの笑顔が見えた気がした。

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