⑭-真相 上-

 それはルゥナとの婚約の儀が差し迫っていた時期に起こった。

 順調に準備を進めている中で聖ライゼルス帝国の挙兵が発覚し、婚約の儀はいきなり中断となる。ゼスペリアは開戦に向けて別の意味で慌ただしくなった。夜中であっても兵士達が駆けずり回り、輜重隊の受け入れや先遣隊の派遣と人がひっきりなしに内地を出入りする。

 ゼスペリアに滞在していたライオットにも開戦の一報が届いた。同時にロド家の家臣一同は、いずれゼスペリア州長となる彼のため軍事参謀に招きたいと提案した。

 騎士として前線に出ることはないが、ルゥナを傍で守ることはできる。これをライオットは快諾し、共に戦地へ向かう手筈となった。

 ライオットはひとまず迎賓館に留まり、作戦会議に出席しようとした。だがちょうどその館には、同じく儀式のためにゼスペリアを訪れていた彼の父親アルメロイ辺境伯も宿泊していた。


「今、なんと仰いましたか?」


 迎賓館の一室で、ライオットは自分の耳を疑った。

 室内には父親のアルメロイ辺境伯しかいない。テーブルを挟み対峙する父親は冷めた目で息子を見据えていた。


「二度も言わせるなライオット。誰かが聞き耳を立てていたらどうする」


「で、ですが、父上のお言葉は、あまりにも、その……」


 動揺しすぎて口がうまく回らない。乾いた喉に唾を流し込み、ライオットはようやく訪ねた。


「ルゥナール様を殺せ、と……そう、聞こえたのですが」


「殺せとは言っていない。戦争に紛れてライゼルスの兵に殺されたように仕向けろ、と言ったんだ」


 父親のギョーム・アルメロイはそう嘯くが、言っていることは同じだ。


「なぜ……ですか」


 ライオットの手は震えていた。カップを乗せた皿が揺れてカチカチと音を立てる。


「どのみちあの女には遅かれ早かれ消えてもらうつもりだったのでな。この開戦はまたとない機会だ。ライゼルスとの交戦中に死亡してくれれば、お前が全権を握るいい口実となる」


「質問に答えてくださいっ!」


 ライオットは椅子を蹴倒して立ち上がり、激しい剣幕で叫ぶ。


「この僕に妻を殺せとおっしゃる意味がわかりません! わかるように説明してください父上!」


「お前はダイアロン連合国がこのままでいいと思うか?」


 はぐらかすような返事に苛立つライオットだが、アルメロイは構うことなく続けた。


「小競り合いがあるとはいえ、領地も奪われず民衆も貴族も平和惚けしている。だがこのままライゼルスが何もしないわけがなかろう。だというのに兄上は現状維持を望むだけだ。国が滅びるとすれば、その原因はヴラド諸侯王の怠慢にあるぞ」


 実の兄のことを、アルメロイははっきりと糾弾した。

 そして硬直する息子を睥睨する。


「お前も前から言っていたな。ライゼルスに攻め込まれぬうちに、こちらから打って出るべきだと。騎士団の力があれば可能だとな。望みどおりの展開にしてやろうというのだ」


「……父上は、ライゼルスとの全面戦争をお望みなのですか」


「むしろなぜ兄上が打って出ないのか不思議でならんがな。我が国の総力を挙げて進軍すればライゼルスなど呆気なく総崩れするわ」


 その主張自体には特に反感もない。ライオットも血気盛んな時分で、敵を討滅し領土を広げることがダイアロン連合国のためになると信じている。各州騎士団が高いレベルを維持している今なら、ライゼルスなど恐るに足らないとも考えている。

 だが今の状況では、素直に首肯することはできなかった。


「ですが全面戦争など他の州長が、なによりヴラド諸侯王が許しはしません」


「だろうな。しかし立派な口実があれば話は違うぞ。弔い合戦という名のな」


 ライオットは信じられないものを見る目で父を凝視した。


「ま、さか……戦争を仕掛けるために、ルゥナール様に犠牲になれと?」


 確認しながらライオットは、自分の考えが間違っていて欲しいと願った。

 しかしアルメロイの目は本気だ。


「まだ十八程度の小娘とはいえ、奴の人望は確かだからな。今回の戦いでルゥナールが死に、帰還した夫であるお前が囃し立てれば民衆や貴族達は報復に乗り出す」


「待ってください! ルゥナール様はゼスペリア軍の総大将です! 彼女を失えば士気が保てなくなる……!」


「だからこそお前が軍事参謀として参戦するのだろうが。あくまでルゥナールは趨勢に影響のない段階で殺せよ? その後はライゼルスと引き分けに持ち込み帰国しろ。なに心配はいらん。戦場ではかのガルディーン卿の補佐が入る手筈だ。お前は差配に従っていればいい。ああ、帰ってくるときは妻を失った悲しみくらい演出しておくんだな」


 あまりにも淀みのない説明にライオットは、これが前から仕組まれた策謀なのだと気づいた。名前の出てきた州長ガルディーンもこの件に絡んでいるのだろう。

 彼らはまるで邪魔な草木でも刈るように、平然とルゥナを殺そうとしている。たかがライゼルスに戦争をふっかけるためだけに、だ。

 血の登っていた頭がふっと冷める。考えてみれば妙だ。こんなまどろっこしい方法を取らずともライゼルスとの戦争を開始する手段など幾らでもある。

 なにか別の意図があるのではないか。


「ち、父上……ご聡明な計略の数々、感服いたします。僕も、いずれはライゼルスと雌雄を決せねばならないと考えておりました。戦争について異議を唱えるつもりは毛頭ございません」


 アルメロイは機嫌を良くして頷き、紅茶を啜る。その気分を逆なでしないようライオットは慎重に切り出した。


「ですが、今でなくてはいけない理由というのが、図りかねます。仇敵に相まみえるのであれば潤沢な戦力を整えてからでも遅くはありません。その点、ルゥナール様は稀代の騎士であらせられる。彼女の力を失うのは惜しい。それなら僕が、彼女を説得して戦争肯定派に――」


「馬鹿馬鹿しい。あの女一人生き残らせて何の得になる。扇動の餌以外にどんな使い道があるというんだ? あ?」


 ライオットは目を剥いた。握りしめた拳に爪が食い込む。

 しかし息子の剣呑な様子に気づくこともなく、アルメロイは大袈裟に嘆息する。


「第一、説得がうまくいくまでワシに待て言うのかお前は。冗談じゃない。あの何もない領土で朽ちていけとでも? 貴様も同じかライオット。故国を憂うワシを椅子に縛り付けておくだけの低脳どもと、同じ人種が……!」


 熱を帯びた声は、まるで病人のうわ言のような危うさがあった。

 記憶の中の優しかった父親とまるで別人のようで、ライオットは少なからずショックを受ける。


「……とにかくだ。お前はワシの言う通りにしていればいい。ルゥナール殺害後はゼスペリアを率いて合併軍に合流する役目もある」


 ライオットは我に返る。合併軍、というキーワードが記憶の底を刺激した。

 確かガルディーン、タングドラム、ディレイの三州長が提唱する、州の垣根を払った統一連合軍の俗称だったはずだ。指揮系統を一つに絞ることでより効率的な組織体制となり、人員配備と兵士養成が円滑に進められるという。

 しかし合併軍は一人の人間に巨大な権力を預けることになる。そのため他の州長とヴラド諸侯王が拒否反応を示していた。

 ライオットはハッとした。この瞬間、計画の狙いが浮き彫りになった。


「つまり、ルゥナール様の報復戦とは、合併軍に合流するための口実……ということですか」


「ようやく気づいたか。鈍い奴め」


 やれやれと首を振ったアルメロイは、絶句する息子へニヤリと笑いかける。


「合併軍を編成後、ライゼルスとの戦争を開始する。山脈が冬を迎える前に事を進めんとな。一定の成果が出れば他の州長も抱き込み、全州の統一軍が構築できるだろう」


「し、しかし父上。それでもヴラド諸侯王が従わない場合は、どうされるおつもりですか」


 ライオットは堅い声で問う。ルゥナの死で民衆や貴族は動かせても、ヴラドは甘い情に流される人間ではない。かの王は冷酷なまでに合理的で、たとえ四州長の意向があっても合併軍の組織化に反対し続けるかもしれない。

 だが問うておきながらライオットは、その答えを薄々感づいていた。


「従わない場合、か。そうだな、兄上ならそれも考えられる……とても残念だ。最後までワシの言葉が届かないのだからな」


 アルメロイは神妙な面持ちで答える。

 だが、目尻はつり上がっていた。


「致し方あるまい。国を自滅に導くような愚王を放置するくらいなら、首をすげ替えてしまったほうがマシだ。より有能な王にな」


 衝撃はなかった。やはりか、という納得と共に暗澹たる感情が胸中に広がる。

 アルメロイの真の目的はライゼルスを滅ぼすことではない。それはあくまで手段の一つだ。


 ギョーム・アルメロイは、実の兄から王位を簒奪しようとしている。


 ライオットには、この先の計画が容易に推測できた。

 おそらくヴラド諸侯王は高い確率で合併軍の阻止に走る。対する四州長はルゥナの弔い戦に臨むという大義名分を盾に強引に動く。対立の中で四州長は、諸侯王の弱腰を煽り、旧態依然の体制変革を口実として王位の返還を要求するはずだ。

 他の二州がヴラドに加勢したとしても、軍神と呼ばれるガルディーンを筆頭とした四州が相手では劣勢に立たされる。

 怜悧なヴラドのことだ、負け戦に興じて内乱を長引かせることは避けるだろう。退位を強制されれば従うしかなくなる。その空席を、四州からの推薦という形でアルメロイが継ぐわけだ。

 黙り込んでいたライオットは、静かに息を吐いた。


「……再考の余地はございませんか、父上」


 自分の感情を抑えながらじっと父親を見つめる。

 王位を巡る骨肉の争いは珍しい話ではなく、義憤を覚えるほどライオットも子供ではない。合併軍の組織化も利点のほうが大きく、自分が州長の立場なら許容していたはずだ。

 ただ一点。ルゥナを犠牲にするという方法だけは、どうしても飲み込めない。


「合併軍の組織化は大いに結構なこと。しかし此度の戦争に乗じてルゥナール様を排するというやり方は、一歩間違えればゼスペリアの敗北を招きます。かのお方はもはやゼスペリア軍の支柱だ。ルゥナール様を失った後、ライゼルスに畳み込まれてはひとたまりもありません。計画を台無しにする危うい賭けです」


「またお前はそれか」


 一縷の望みをかけた指摘にもアルメロイは耳を貸さない。


「小娘が死んだところで兵士が多少狼狽えるくらいだろう。ガルディーン卿の軍に指揮権が移ればどうということはない。あの古強者は戦場を支配する手腕を有しているからな、自らの策に溺れるような真似はせん」


 自信ありげなアルメロイに、ライオットはもう何も言うことができなかった。


 ――父上は見えていないんだ。戦場というものが。


 戦の経験が浅く、出ても後方で眺めるだけのアルメロイには戦場の流れや士気の重要性が理解できていない。ルゥナールを失うだけで大敗へと流れ込む危険性がある。

 あるいはそれがガルディーン達の狙いなのかもしれない。ロド家に忠義のある家臣や騎士たちを失うことは戦力低下を招くにしても、後々の実効支配で有利に働く。それを差し引いても領土を奪われない自信がガルディーンにはあるのだ。

 つまりこの流れは、覆せない。


 アルメロイが尚もなにか喚いているが、ライオットの耳にはもはや何も入ってこない。父親が部屋を出て行った後も彼は呆然と立ち尽くしていた。死んだ魚のような目をしながら地面を見つめ続ける。


「僕が……ルゥナール様を殺すのか」


 言葉に出してみるとあまりに馬鹿馬鹿しくて、ライオットは笑った。

 そのまま目の前にあったテーブルを蹴り飛ばす。甲高い音が響いてカップと皿が割れた。

 両手で頭を抱えたライオットはその場に座り込み、低い唸り声を上げた。


 どれだけ時間が経過しただろうか。ライオットはふらりと立ち上がると部屋を出る。時刻は夜更け過ぎで周囲には誰もいなかった。

 彼の顔はまるで幽鬼のように生気がなかったが、しっかりした足取りで馬小屋まで進む。そこで自分の馬に跨り、すぐさま内地を飛び出した。

 向かうのは中央州だ。今からヴラド諸侯王に謁見すれば、行軍の出立までには帰還できる。


「これでいいんだ……これで……!」


 馬上のライオットは、何度も自分に言い聞かせるように呟いた。手足の先が冷たく脈は乱れ胃に穴が飽きそうなほどの痛みがあったが、決して馬の速度は落とさない。

 これからヴラド諸侯王に全てを打ち明ける。

 それしかもう、父親を止める術はない。

 ライオットの行為は明確な裏切りだ。計画が明るみにでれば父は失脚し、地位も名誉も失うだろう。

 それでもルゥナだけは殺したくない。自分はどうなってもいいから、彼女には生き延びてもらいたい。ライオットの身体はその感情に突き動かされるだけだった。


 しかし、その盲目的な決断こそが彼の命取りになった。

 もっと冷静になって他の手立てを考える、もしくは夜明けを待って従者と行動していれば、結末は違ったかもしれない。

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