④-死んで気づくこともある-

 ニックスが生まれたのはダイアロン連合国のいずれの州内地でもなく、その圏域に属する外地の小さな集落だった。

 両親は農業を営み毎日朝から晩まで働いていた。ニックスもまた両親の手伝いをしていたが、ただ土をいじるばかりの毎日が退屈で仕方なかった。戦争の噂はちらほらあれど、街道から離れ自然に囲まれた小さな集落だからか、住民たちはどこか遠い世界の出来事のように捉えていた。

 何も変わらぬ平凡な日々に嫌気がさしたニックスは、十五のときに家を飛び出す。刺激のある充実した生活を夢想したからだ。行く当てはなかったが、男なら腕っ節だけでのし上がろうと考えた。

 まずはどこかの州の内地に入って騎士の位を授かろうと行動する。平民から騎士となった者も、少ないが存在していた。叙任されれば内地での居住権を得られ、豊富な手当も貰える。

 ニックスは当然の如く、最も規模の大きい中央州を第二の故郷に選んだ。そこで募集のあった練兵養成所にすんなりと入団する。うまくいけば諸侯王の専属軍である守護兵団に配属されるかもしれないと、夢が広がった。


 しかし数年も経たないうちに、ニックスは養成所を辞めた。

 訓練は過酷で休む暇もなく、想像していたほどには自分の腕も上達していかない。堪え性のないニックスには耐えられなかった。

 だが養成所を出れば中央州内地からも追い出される。放浪の身となったニックスは様々な場所を転々とし、気づけばしがない傭兵に成り果てていた。

 来る日も来る日も村の自警団、行商人の警護などをこなして日銭を稼ぐ生活を送る。憧れていた刺激のある日々には程遠く、金のためにこき使われ数日と同じ場所に留まれない流浪を余儀なくされた。さすがに心身ともにくたびれ始めていた。


 住む家が欲しい、帰る場所が欲しい、とニックスが考え始めるのは自然な流れだった。どうすれば住処を持てるのか模索していた頃、ふらっと立ち寄ったギュオレイン州の娼館で、好みの女に出会う。

 名はサンドラと言って、自分より年上だったが気さくで優しかった。通い詰めるうちにサンドラは、自分が娼婦になった経緯を語り始めた。

 まだ若い頃に下級貴族の家に嫁いだものの、旦那は浮気を繰り返し金を使い込む男だった。我慢の限界にきたサンドラが注意すると、旦那は平民出身の妻の反抗が気に入らなかったらしく、彼女と一人娘を平気で放り捨てた。

 捨てられた悪評から実家にも疎まれることがわかりきっていたため、サンドラは生きるために娼婦として働き始めたという。


 どこにであるような話だが、ニックスが興味を抱いたのはサンドラが内地に家を所持しているという事実だった。別れた旦那にも少しは情があったのか、縁切りの条件として古い家を貰ったという。サンドラはそこに一人娘と暮らしていた。

 神の導きだ、とニックスは気色ばんだ。

 居住地欲しさに、男は娼婦を猛烈に口説き落とした。彼女の方も一人娘を残しているのが不安だったようで、婚姻関係こそ結ばなかったものの家族として暮らすようになる。

 だが目的を遂げたニックスはまさに燃え尽きた抜け殻となった。

 あれだけ欲していた刺激などもう懲り懲りだったし、緩慢な退屈も心地よいものと感じ始めていた。一人娘は適当にあしらい、ニックスは朝から晩まで酒を飲んで過ごした。

 気楽な生活だったが、さすがにサンドラも不満を持ち始めて口論が絶えなくなる。一人娘のミシェルは怯えて縮こまり、懐くどころかより遠ざかるようになった。

 そろそろ面倒になっていたが、かといって家を出ていくのも御免だ。何か好転させるきっかけを探していると、ギュオレイン州軍が傭兵に声をかけて周っていると知る。近々大規模な戦争が起こるということで、義勇兵を募っていた。

 これ幸いとニックスは戦争に参加することを決意する。報奨金を持ち帰れば嫁も娘も見直すだろうという魂胆だった。


「……で、死んだってさ」


 ユキトは、ニックスから聞いた話のあらましを女性陣に伝える。

 三者の顔には一様に同じ感情が浮かんだ。すなわち、軽蔑だ。


「あー、いわゆるドクズですか。最低ですわね」


『ぐっ』


「ミリシャちゃん可愛そう……こんな人がお父さんなんて」


『うぐっ』


「目の前にいたらぶん殴るわ、あたい。よく偉そうにできるな。恥を知れよ」


『うぐぐっ』


 容赦のない言葉を浴びせられニックスは圧倒される。女性陣の評価はこれ以上ないほど地に落ちていた。自業自得だからしょうがないが。

 一方でユキトは、別のことを気にしていた。ニックスは意図的にはぐらかしているが、どこかのタイミングでゼスペリア襲撃犯と接触しているのは間違いない。依頼を受けて、ということだから金銭の契約が生じているだろう。ちょうどニックスは金を欲していたから飛びついたと察する。

 しかしこの利己的な男が、嫁娘を見返すためだけに危険な橋を渡ろうとしたのが、どうにも腑に落ちない。国を裏切るのだから下手をすれば反逆罪として処刑される危険がある。うまくいったとしても、捜索の手が伸びないか不安に苛まれる日々が待っているのだ。今までのニックスの人物像からかけ離れた行動に思えた。


「……それで、あんたは二人とどうなりたいんだ。なにを残したいとか、あるのか」


 疑問はあるが、ニックスの未練が解消されれば自ずと判明する。まずはどうやって仲を取り持つかだ。


『もちろん俺を尊敬するようになればいい』


「真面目に答えろ」


 冗談を聞き逃がせる状況ではない。後がない雰囲気を察したのか懲りたのか、ニックスは所在なさげに頭を掻いた。


『……つっても、俺にもよくわかんねぇんだ。正直、あいつらのことで現世に残ってるのが不思議で仕方ないっつうか……俺は、自分が一番大事だと思ってた。あいつらはただの同居人で、今まで気にも留めなかったのにな』


 男は自嘲気味な笑みを浮かべる。


『死んでからよ……気づくとあいつらのことばかり考えてんだ。何してるんだろうとか、俺がいなくなって寂しくねぇかな、とか……俺がここまで心配してんだからあいつらはさぞ動揺してるかと思ったが、別に普通だったな』


 ニックスは『はーあ』と投げやりに呟き床に腰を下ろした。


『どっかで期待してたんだ。こんな俺でも、必要とされてるはずだって。ま、考えてみりゃ当たり前か。クズだもんな、俺』


 途端、男の体に小さな変化が起こった。

 透明具合が強化され、更に身体が薄くなったのだ。

 ユキトはギョッとする。それは現世から消え去る前の兆候だ。しかしニックスの未練は解消していない。どころか悪化すらしている。

 つまりこれは、ニックスが未練を「諦めようと」している表れだった。


『こんな体じゃもうやり直しもきかねぇし。いっそ諦めちまったほうが――』


「まだだ!」


 ユキトはつい叫んでいた。女性陣が揃って驚く。

 過剰反応してしまった形だが、構わずユキトは前のめりになった。こんなところで終わらせたくない。


「その本心、今まで一度も伝えてないんだろ? 俺なら届けられるんだ。諦めないで、もう一度話してみよう」


『でもよ……』


「とりあえずサンドラさんにはまた会ってみないか。誤解を解く方法は――」


「いえユキト様。少し尚早かと思いますわ」


 割って入ったのはセイラだ。勢い込むユキトに諭すような口ぶりで説明する。


「あそこまで暴れたのですから、今度は問答無用で巡回兵に突き出されます。少し時間を置いた方がいいでしょうね」


「いやでも、ルゥナも待たせてるし、そこまで待てないよ」


「でしたらもう一人の方へ出向くのはどうでしょう」


 もう一人。それはサンドラの連れ子のことを示している。


「そうか、ミリシャって子の方だな。そっちを当たってみるのはいいかもしれない」


「ええ。今度はうまくやっていただけると助かりますわね」


 ニコリと笑うセイラだが声には棘が含まれている。予定を崩されたことで、彼女も気を揉んでいるようだ。


『ミリシャ、か……』


 ニックスは複雑そうな顔で呟く。ややあって、コクリと頷いた。


 ******


 翌日、ユキト達は義理の娘ミリシャに会いに行くことにした。

 いきなり自宅に押しかけるのは誤解を招くので、ミリシャが外で遊んでいる時間帯に話しかける手筈だ。

 しかし意外なことに、少女の遊び時間は午後でも夕方でもなく、早朝から昼にかけてまでに限定されている、とニックスは教えた。

 母親の言いつけでミリシャは夕方から夜間は一切出歩かない。また午後から遊びに出かけることも少ない。というのも母親であるサンドラが娼館から帰ってくるのが朝方、遅い時は昼近くの帰宅となるため、母親のいない時間を外で遊んで暇潰しにしているのだった。


『母親が帰宅するとべったりでな、あいつは。サンドラが寝てても構いやしねぇ。そばにいれば満足なんだとよ……まぁ、早朝から遊んでるのは別の意味もあるんだろうが』


 と、ニックスは述懐しつつ何か含みを持たせていた。後半の台詞はよくわからないにしても、ミリシャがよほど心細い思いをしていたのがわかる。

 少しは自分のせいだと感じているのか、ニックスも茶化すような発言はしなかった。


 ニックスの案内に従い歩いていくと、ギュオレイン州内地を囲む外壁のそばまで辿り着く。ゼスペリアも同じだったが、円周に近づくほど住居の質も落ちていくのが如実に見て取れた。

 外壁付近は敵の侵攻、もしくは天災などの被害を最も受けやすい。その上、そり立つ壁が日照を遮るため暗くジメジメした環境になりやすい。だから貴族階級の人間たちは領主館のある中央域に好んで住居を建てるし、資産の少ない住民ほど外壁付近に住まわざるを得なくなる。


『あそこだ』


 ニックスが指を指したのは、今にも崩れそうな外見の縦長の家屋だった。

 ユキトが夢で見たのは内装だけだったが、外から確認してもやはり廃屋一歩手前という印象を受ける。周辺にも同じような年代物の家屋ばかり立ち並んでいるが、補修を受けた形跡はない。華やかな大通りとはかけ離れた、日陰の住人達の居場所だった。

 まだ朝の内だからか周囲に人気はない。ひとまずユキトは、アルル達と共に物陰に潜んで自宅を監視した。

 しかし待てど暮らせど、ミリシャらしき子供が出て来る気配はない。


「まだ寝てるんじゃないでしょうか?」


 アルルが問うと『いやそんなはずはねぇ』とニックスがすぐに否定した。

 男の言葉を三人に伝えると、セイラは周辺を見回す。


「もしかすると既に出かけているのかもしれませんわね。どこか彼女の遊び場になるところに心当たりは?」


『すぐ近場にしかいかねぇよ。遠くまで行くなってサンドラにきつく言われてんだ』


「じゃあ、ここらで見かけないのはおかしいってことか」


 ニックスは頷きながら、指と指を絡めたり握ったりしていた。どこか落ち着かない様子だが、視線は自宅から離れることはない。


「心配なら、やっぱり家に行ったほうがいいんじゃないか」


『ダメだ』


 即座に告げたニックスは、その反応が自分でも予想外だったかのようにバツの悪い顔を作る。


『……あいつは怖がりだからな。どうせ行っても開けてくれねぇよ……今日のところは出直したほうがよくねぇか』


「いきなり諦めたら駄目だ。もしかしたら近くにいるかもしれない。探そう」


 ユキトが物陰から出るとアルル達も付いてくる。

 だが肝心のニックスはその場に留まったままだ。ユキトは胡乱げに振り返る。


「掴まってくれないと移動できないだろ?」


『あ、ああ……』


 ニックスの返事は鈍い。どこかぼんやりした感じだ。煮え切らない感じが引っかかったが、ニックスが肩を掴んできたのでユキトはそのまま歩き始める。

 遠くまで行くなという母親の言いつけを守っているなら、少女の姿は周辺で見かけるはずだ。しかし自宅近辺を探してみても、該当する人物がまったく見当たらない。

 埒が明かなくなると「手分けして探したほうがいいかもしれませんわね」とセイラが提案した。


「わかった。ミリシャの容貌だけど、背はこれくらいで髪は青みがかかった黒だ。瞳は茶色で肌は色白。結構痩せてる。サンドラさんにそっくりな子だよ」


 説明しているとニックスが眉を上げた。


『ちょっと待て。何でお前がミリシャのことわかるんだ』


 ユキトはギクリとした。過去を映す夢のことはニックスに何も伝えていない。不可抗力とはいえ、他人のプライバシーを覗き見したことを告げるのは気後れしたのだ。

「ま、まぁそれは後で話すから」とユキトは慌てて誤魔化す。


「とにかく今はミリシャちゃんを見つけよう。セイラさんとライラさん、俺とアルルの二組で別方向から探ってみようか」


 「りょーかい」「わかりましたわ」「はいっ」と三者が返事をする。

 ニックスは不審げにしていたが、追求は後回しでもいいと判断したのか何も言わなかった。

 二組はそれぞれ外壁を沿うようにして別方向へと走る。

 既に日が高くなり、内地では人の気配が増え始めていた。大通りからは商人たちの競りの声、住人たちの談笑が聞こえてくる。遊び回る子供の姿も見かける頻度が増えた。

 しかし肝心のミリシャが見つからない。アルルは目を皿のようにしながら辺りを見回すが、難しい顔をして唸った。


「うーん。どこ行ったんでしょうねミリシャちゃん」


「……まさか事件に巻き込まれた、とかないよな」


『はっ、ないない。娼婦の娘なんざ攫っても価値なんかねぇよ』


 ニックスはそう一蹴したが、言葉とは裏腹に焦りの色が表れていた。本人は隠そうとしても、その態度は親愛を持っている証拠に他ならない。やはり彼にとってミリシャは特別な存在なのだろう。

 だが、あいにくとニックスの胸中を推し量っている場合ではない。早く見つけ出すのが先決だ。

 すると、アルルが浮足立った声を上げた。


「ユキト様! あの子じゃないですか?」

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