クロニクル

六条弥勒

クロニクル

地球に、トウキョウに来てもう7年になる。

狭い星、狭い国、退屈な毎日、変わらない毎日。そう思っていたのに。「それ」はある朝突然やってきた。

ゴミ収集の車に遅れぬようにと休日であっても朝はそれなりに早い。来た頃には煩わしいだけであった雑事も7年目になると慣れたものである。お気に入りの緑のロングドレスの裾を汚さぬように丁寧に階段を下り収集所へ向かう。しかしその朝は何かが違った。

何かが? 五感を研ぎ澄ませ感じようと試みるが風の音も空気の匂いも何も変わらない。集中を諦めて目を開くと、そこには「あるべきでないもの」が建っていた。

私は呆然としながらその建物の前に建っていた。昨日までは間違いなく存在しなかった建物が、突然今朝から現れた。違和感の正体は間違いなくこの建物である。中を覗き込もうと身を屈めたところにトウキョウの民族衣装の男性が現れた。

「どうしました?」

両手に抱えた大量のゴミを収集所に置きながら彼は飄々と口にした。

「どうしたって……この建物は何です? 昨日は無かったですわよね?」

しかし私の当然の疑問は彼の微笑みに軽くあしらわれてしまった。

「そう、この建物は夜中の間に移動して今朝ここに来たのです。立ち話もなんですし、よければ中で紅茶でも如何です?」

「貴方が? 紅茶を?」

私は訝しげな目で彼を見返したが、やはり彼は飄々と笑って私を中へと促した。


『うずまき』と書かれた喫茶店で「小津」と名乗った彼は馴れた手つきで紅茶を淹れてくれた。私も土星に居た頃から紅茶にはこだわりがある。そもそも日本文化でない紅茶を日本文化の塊のような出立ちの彼に満足に淹れられるものかとその様子を見ていると、背後から元気な声が聞こえた。

「おはようございます小津さん! 相変わらず早起きですね、あれ、お客様?」

振り返るとそこには元気をそのまま人間にしたかのような制服姿の少女が立っていた。

「はじめまして、槙原リオです、小津さんのお友達ですか?」

答えようとしたところに小津さんが紅茶を運んできた。

「今しがた、そこのゴミ収集所で会ったんだよ、春とはいえまだ外は冷えるからね、リオちゃんも飲むかい?」

「頂きます! お向かい、いいですか? えっと……」

槙原さんは答えも聞かずに向かいに座った。

「はじめまして御機嫌よう、無敵素敵な土星の女王・六条弥勒と申します、以後お見知りおきを」

大抵こんなことを言うと愛想笑いをされるか怪しい目で見られるかのどちらかである。しかし槙原さんはニコニコとしながら私の退屈な自己紹介を聞いていた。

「よろしくお願いします! そろそろみんな降りてくると思うんですけど……」

そうこうしている内に小津さんが槙原さんの分の紅茶も運んできた。

「この特徴的な水色はダージリンのファーストフラッシュですわね。悪くありませんわ」

私の予想とは裏腹に小津さんの淹れた紅茶は美味しかった。

「お口に合ったようで何よりです」


暫くすると槙原さんの言った通りパタパタカツカツスタスタバタバタと喫茶店『うずまき』にこの建物の住人と思しき人達が次々と降りてきた。

誰もが「毎朝場所の変わる建物」という信じ難い事実をありのままに受け入れているように、突然現れた私(しかも土星の女王を名乗る私)のこともありのままに受け入れているようだった。「そういうもの」は「そういうもの」。寧ろそれを楽しんでいる気風さえあった。


「理解できませんわ、たとえ毎朝場所が変わろうと私は私、世界は世界、理は理、退屈は退屈でしかない。第一この狭い国のどこにそんな楽しみを見出せますの?」

「それは違うんじゃない?」

私の言葉を遮ったのは荘ノ内さんという男性だった。

「待ってたって楽しみは来ないんですから、探しに行かなきゃ駄目ですよ」

と藍斗さん。

「例えそこが多少つまらない場所でも、みんなで行けば俄然楽しくなるんですよ?」

と佐宮さん。

「そうそう、もしお時間あったら聞きませんか? 私達の旅の話を」



「ワッカナイって、聞いたことあります? 日本最北端の」

話し始めたのは佐宮さんだ。

「とにかく寒いんですよ、いや同じ道民の雅さんとかは慣れてるんですけど、沖縄出身の或布さんなんかはもう見てるこっちの方が寒くなってしまって……」

「そうそう……」

口を挟んだのはキッドさんだ。

「あの時ラーメンにバターとかコーンとか乗せるのダメって言われたんだよ……」

「だってダメだもん」

雅さんが即答した。


「函館ではね、みんなで記念写真撮ったんですよ、佐宮さんが一眼レフ持ってて。ちゃんと大切に飾ってあります!」

「宮城では……っていうかウチの勝手口だったんですけど……小津さんとリオちゃんとお祭りに行ったんですよね」

「東京は……正直酔っててあんま覚えてないな……」

「箱根だって、温泉だけじゃなくて美味しいものも目白押しなんですよ?」

「そういえば新潟行った時って……結局キッドはどこ行ってたの?」


気付けば私の周りには次々と創作荘なるこの建物の住人が集まっていた。

「ほら、この急須! 静岡で買ったんですよ!」

「滋賀行った時は……何かしたっけ?」

「それどころじゃなかったんですよ、たしか」

「京都では紫式部の邸宅跡に行ったんですよ、みんなで文才の上達を祈願しに」

「大阪は……大阪でも飲んでたなぁ……」

「和歌山はたしか小津さんと……あれ? 何してたんでしたっけ?」

「ふふふ、覚えていないのかい? 不思議だね」

「マスケッターさんは昔鳥取に住んでたんでしたっけ? 鳥取って正直、砂丘だけだと思ってました……」

「広島では不思議な体験をしたね、是非もう一度訪れたいよ、いや、訪れるべきという方が正しいかな」

「徳島ではみんなでしましたね、阿波踊り。案外できたでしょう?」

「そういえば高知でも不思議な少女に出会ったなぁ……」

「福岡では旅の楽しさを改めて認識することができたよ、『ありえない』は『ありえる』んだ」

「忘れもしない、長崎では小津さんの誕生日プレゼントを探したよね」

「そうそう、いなほ焼き美味しかったです!」

「いやもっと思い出沢山あるでしょ」


創作荘の住人は皆気さくで良い人ばかりだった。私に旅の楽しさを、各地の素晴らしさを伝えようと皆一心に話し掛けてくれた。賑やかなテーブル、笑い声、冷やかし声、冗談、冷めた紅茶……

「……沖縄は? 創作荘は海は渡れないのかしら?」

「勿論行きましたよ」

答えたのは或布さんだった。

「貴女の言う通り、旅というのは必ずしも楽しい事ばかりではありませんし、辛い歴史と向き合わなければならないことも少なくありません。ですがそれが、それこそが私達が『生きていく』という、あの日今日を夢見た人に対する敬意なのではないでしょうか?」

『うずまき』は途端に静かになった。まるで先程までの喧騒が嘘のように。静寂、冷めた紅茶……

「ご馳走様でした、美味しかったですわ、紅茶。きっと明日にはまた別の場所へ行かれるのでしょう? またいつか、どこかでお会いしましょう」

私は或布さんの問に対して何も返せなかった。返せなかったからこその、決別。私に私の世界があるように、彼らには彼らの世界がある、そこに踏み入ってはいけない、それを羨んではいけない、それを……



「寂しいんですか?」

玄関口に差し掛かった時、賑やかだったテーブルでは見かけなかった女性が背後から話し掛けてきた。

「寂しいん……ですか?」

白いワンピースは眩しさと儚さを併せ持っている。彼女があまりに優しく言うので、私は彼女を直視できず、背を向けたまま答えた。

「寂しい訳がないでしょう? 私は無敵素敵な土星の女王です、そのような無駄な感情は持たぬようにしていますから」

春の風が緑のドレスと白のワンピースを揺らす。生温い風、冷めた紅茶……

「もしも、創作荘が宇宙空間を越えられるなら、次は土星でお会いしましょう、それなら--」

それなら私も、寂しくない……?

「ええ、喜んで」

彼女は優しく微笑んだ。

「その時は--」

「その時はこの私が自ら我が惑星を案内して差し上げますわ、きっと微塵も退屈しませんことよ?」

いつかまた、会える時には--

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