第3話 ジェラシー

 ユイカは、自宅に到着したが、まだ気持ちの整理が、つかないでいた。

「奏さんに振られちゃった、自分。でも、奏さんのことを諦めきれない…。」

そんな気持ちが、ユイカの心の中を支配していた。

 そしてユイカは、何もする気が起こらず、ただ漠然と、自分のスマートフォンを見ていた。ユイカのスマートフォンには、女の子らしい、そして、トップモデルらしいデコレーションがされたカバーがついていたが、今のユイカは、そのデコレーションを、全て剥がしてしまいたい、そんな気持ちであった。

 そして、ふと、ユイカの頭の中に、悪魔の囁きに似た、ある考えが浮かんだ。それは、

「今流行りのSNSで検索したら、奏さんのことが、もっと分かるんじゃないかな?いや、それだけじゃない。奏さんの彼女のことも、わかるかもしれない…。」

というものであった。

 しかし、ユイカはこの考えを、すぐに打ち消そうとした。いくら最近では、SNSが流行っていて、他の人の書いたものを簡単に見られるからといって、勝手に閲覧するのは良くない。それだと、ストーカーと変わりない。そんなことをするのは、私らしくない。だから、ユイカの頭の中に浮かんだ、この囁きは、あくまでユイカの頭の、片隅の中に留めておこう、ユイカはそう思い直した。

 しかし、ユイカのその思いとは裏腹に、ユイカの指は、勝手にSNSを開き、「森田奏」という名前を、検索していた。いつもユイカは、長さのある、派手めのネイルをしているので、スマートフォンの操作には苦労するのだが、この時のユイカの指は、そんな障壁も気にしないかのようであった。

いや、冷静に考えてみれば、指が勝手に動く、なんてことはありえず、それは、明確にユイカの意思で、動かしているものである。しかし、ユイカはそれを、認めたくなかった。ユイカの頭の中は、今、

「勝手に奏さんのSNSを見るのは良くない。」

という気持ちと、

「どうしても、奏さんのことが気になる。」

という気持ちの、2つの間で揺れていた。もちろん、この2つの気持ちは同じ大きさではなく、ユイカの性格上、圧倒的に前者の方が大きかったが、それでもユイカの指は、SNSの、先の先までを開こうとしていた。この時ユイカは、自分の中の弱い気持ちを、「指が勝手に動く」という言い訳を使って、誤魔化そうとしていたのかもしれない。

 そして、ユイカは奏のSNSのページを見つけた。そこには、自分が新人賞をとったことや、そのことに対する喜びの気持ち、などが書かれていた。それを見たユイカは、一瞬、微笑ましい気持ちになった。また、奏のパーソナルな部分に触れ、少し嬉しい気持ちにもなった。しかし、これ以上、勝手に閲覧するのは良くない…。ユイカはそう思い直し、スマートフォンのページを閉じようとした。

 しかし、なおもユイカの指は、止まらない。そしてユイカは、SNSのタイムラインで、ついに、奏の彼女、木村奈美のページを、見つけてしまった。そこには、

「森田奏さんと、交際中」

という文字が、書かれてあった。それを見た瞬間、ユイカの心の中は、「嫉妬」という、漢字2文字で埋め尽くされ、ユイカは自制の念を、完全に失ってしまった。そして、ユイカの指を動かすスピードは、さらに速くなっていた。

 「木村奈美:森田奏さんと、交際中」

「この間、私の彼氏、森田奏が、小説の新人賞をとりました!私も、自分のことのように嬉しい!この後2人で、お祝いにカフェに行きます。やったね、奏。」

奈美のSNSには、奏とのデートの予定、また奏と過ごして楽しかったことなどが、奏との写真と共にアップされていた。それを見たユイカは、さらに嫉妬にかられた。

「何よ。奈美だって。こんな子より、私の方が100倍以上かわいいわ。」

ユイカは、普段なら絶対にユイカの頭の中からは出てこないような思い、台詞に、支配されていた。もちろんユイカの頭の中にも、

「奏さんと『奈美さん』を、ちゃんと祝福してあげなきゃ。」

という気持ちがあったことは、事実である。しかし、今のユイカは、そんな気持ちよりも、圧倒的に前者の方が勝っていた。

 そして、ユイカの指は、奈美の、プロフィールの欄を開いていた。そこには、

「木村奈美:○○保育園勤務」

という、奈美の勤務先が、書かれていた。

 「なるほど。奈美さんは保育士か。この保育園なら、ここからも近いわね。」

ユイカは反射的に、そう思った。その後、ユイカはスマートフォンを閉じた。そして、この後ユイカは、自分でも信じられないような、ある行動に、出てしまうのである。

   ※ ※ ※ ※

 「みんな、今日も楽しかったかな?忘れ物をしないように、しっかり帰る準備をしようね。」

奈美が、ある日の夕方、勤め先の保育園で、園生たちに呼びかけをしていた。奈美の勤める保育園は、15時半までが園生たちの活動時間で、それ以降、保護者が随時園生たちを迎えに来ることになっている。また、この保育園には「週番」のシステムが存在し、週番担当の職員は、園生たちへの昼食の声かけや、終礼時の声かけなどを、担当する決まりであった。そして、今週の週番は、奈美になっていた。

 「はい、奈美先生。さようなら。」

園生たちが、大きな声で奈美にあいさつした。奈美は、これで今日1日の園生たちの日課が終了した、ということで、少しホッとした。しかし、保護者が迎えに来る時間が遅い園生への対応や、事務処理など、業務そのものはまだ残っているので、すぐに気を取り直した。また、明日もこうやって、園生たちと触れあい、園生たちの成長を見守りながら、仕事をしていきたいというのが、奈美のささやかなやりがい・モチベーションになっていた。

 そして奈美は、その日、保護者の仕事の都合で、「迎えが遅くなります」と連絡があった園生の数名と、運動場でお遊戯をしていた。園の通常の時間以外にお遊戯をすることは、傍から見れば大変かもしれない。だが、奈美はそのことも、この仕事のやりがいのうちの1つだと思い、一生懸命がんばる、立派な保育士であった。

 その後、遅れてきた保護者も園生を迎えに来、時間は17時15分になり、退勤の時間となった。そして、奈美はタイムカードを打刻し、自宅に帰ろうとした。

ちょうどその時、その場には似つかわしくない、1台のリムジンが、保育園の前に停まった。そしてそのリムジンの後部座席から、1人の若い女性が出てきた。その女性は、大きめの女優帽をかぶり、また大きめのサングラスをしている。そして、黒のコートを着て、高めのヒールを履いている―。その女性こそ、ユイカだったのである。

 ユイカはリムジンを降りると、勤務を終えて外に出てきた、奈美に話しかけた。

「すみません。ここの保育園に勤務している、木村奈美さんかしら?」

「はい、私が木村奈美ですが…。すみません、どちら様でしょうか?」

 ユイカはSNSの写真を見て、奈美の顔を知っていたので、初対面の状態から奈美に話しかけることができたが、奈美の方は相手が誰だか分からず、少し困惑した様子であった。

そして、ユイカの心の中は、みるみるうちに怒りの感情で支配された。正確には、それは「嫉妬」というものであるが、この時のユイカは、そのことを自分自身で認めようとしなかった。

「やっぱり、あなたが奈美さんね。ちょっと、お時間頂くわよ。」

ユイカは奈美の質問を無視し、そしてサングラスをとり、奈美に話しかけた。最初はサングラスで見えなかったが、ユイカの目には、長いつけまつげがつけられていた。実はユイカは、この日のために、帽子・サングラス・高いヒールやつけまつげなど、女性ができる、ありとあらゆるおしゃれをし、「戦闘モード」になっていたのである。実際、そのユイカの見た目は、奈美も含めた、保育園の職員のジャージ姿と対比して、際立ったものになっており、奈美も、ユイカの格好から、強い威圧感を受けていた。

「すみませんが、どちら様でしょうか?」

奈美は再度、ユイカに質問した。その時奈美は、サングラスをとったその顔から、相手がトップモデルの「ユイカ」に似ているなとは思ったが、まさかこの女性が、当の本人だとは思わなかった。

 「あら、私を知らない?初めまして。私は、本郷唯花と言います。世間一般では、『ユイカ』って名前で通ってるけどね。」

ユイカが、自己紹介をした。そして、奈美は、雑誌やテレビの中でしか見たことのなかった、ユイカと対面し、驚くと共に、そのオーラに圧倒された。

 「ああ、初めまして。ユイカさん。もちろん、あなたのことは存じ上げていたのですが、まさかユイカさん本人だとは思わなくて…。それで、私にどういったご用件でしょうか?」

「単刀直入に言うわね。奈美さん、あなた、今森田奏さんと、お付き合いしているわよね?」

「え、あ、はい。そうですね。でも、どうしてそのことを知っているんですか?」

「先日、私は奏さんと、雑誌の対談の仕事をしたの。奏さんの彼女のくせに、そんなことも聞かされてないの?」

「あ、いや、そういえば奏がそんなこと、言ってました。」

奈美は奏から、

「今度、モデルのユイカさんと、対談の仕事をするんだ。このことは、向こうの会社の都合もあるから、まだ他の人には内緒だよ。」

と言われたことを、その時思い出した。

「奏は、その時、『まだこのことは内緒だよ。』と言ってましたけど…。」

「奏さんも彼女には、内緒話をするんだ。仲が良くていいわね!

 それで今日は、あなたにお願いがあって来たの。」

「えっ、私にお願い…。何でしょうか?」

「今すぐ奏さんと、別れて欲しいの。」

 ユイカは、ようやく本題に入った。

「すみません、話が良く分からないんですが…。」

「私の言ってること、分からない?要は、あなたと奏さんでは、釣り合ってない、ってこと。考えてみれば当然よね。奏さんは小説の新人賞をとって、これからもっと小説を書いて、それがどんどん売れるようになって…。つまりこれから、どんどん大きくなっていくの。そんな奏さんの彼女が、あなたみたいな、大した能もない一介の保育士だなんて、笑わせるわ。

 もう1度言うわね。あなたと奏さんでは釣り合ってないわ。今すぐ別れなさい!」

「…何であなたに、そんなこと言われないといけないんですか?」

そう答える奈美の目には、ユイカの威圧感のせいか、うっすらと涙が見える。

「何で?それは、私こそ、奏さんにふさわしいと思うからよ。

 さっきも言ったけど、奏さんはこれからどんどんビッグになっていくの。そういう彼には、あなたみたいな、何の能力もなさそうで、こんな所で仕事している人なんて、必要じゃない。

 そうよ、私こそ奏さんにふさわしいわよ。自分で言うのも何だけど、私は今まで、いっぱい努力をしてきた。それで、今こうやって、モデルとして、しっかり仕事をできてるの。そんな苦労、あなたはしたことある?奏さんがこれから、例えば作家として行き詰まった時に、支えていく自信はあるの?」

「そんなこと、急に言われても…。」

「そうよね。分かんないわよね。でも、それじゃダメよ。そんな中途半端な気持ちで付き合っているなら、やっぱり奏さんとは、別れるべきだわ。

 とにかく、私の言いたいことは、それだけ。じゃあ、帰らせて頂くわ。」

ユイカはそう言い残し、リムジンへと去って行った。残された奈美の目からは、今度ははっきりと、大粒の涙がこぼれていた。


 「私、最低だ…。」

ユイカはリムジンに乗った後、激しい後悔に襲われた。

 「思えば、スマートフォンで、奏さんのSNSを検索し始めてから、その行動は私らしくなかった。でも、自分にはどうすることもできなかった。いや、どうすることもできなかったなんて、言い訳だ。

 それに、奈美さんにあんなひどいことを言ってしまうなんて…。本当は、私は奈美さんのことを、あんな風には思っていない。保育士だって、モデルと同じくらい立派な仕事だし、大した能もないなんて言い過ぎだ。私は、奈美さんのことを何にも分かっていないのに、あんなこと、言うべきじゃなかった。

 それに、『奏さんを、支えていく自信はあるの?』なんて、私が言える台詞じゃない。2人の信頼関係を、試すような言葉、今の私には、言えることじゃないんだ。

 こうなる前に、引き返すチャンス、何度でもあったはず。それを引き返せなかったのは、私の責任。全部、私が悪い。」

ユイカの心の声は、ユイカの頭の中で、大きく鳴り響いていた。

 「ユイカさん、奈美さんに謝りたいんじゃないですか?今ならまだ、間に合いますよ。」

リムジンの運転手が、そうユイカに呼びかけた。

「…いえ、今の私には、謝る資格もありません。車、出してもらえますか?」

ユイカはその申し出を断り、リムジンで自宅へと帰っていった。

   ※ ※ ※ ※

 「私、ユイカさんの質問に、答えることができなかった…。」

 奈美は、自宅へと着いた。そして、自分の部屋に着いた途端、電気もつけずに、布団へとくるまった。

 「ユイカさんは、本当に奏のことが好きなんだろう。それは分かる。だから、私にあんな態度、とったんだ。

 本当のユイカさんは、あんな人じゃないと思う。多分、気立てが良くて、優しくて、みんなから好かれる性格なんだろう。

 だから、ユイカさんが今日したことに対して、私は怒ったりなんかしない。誰だって、好きな人に彼女がいたら、あんな態度、とってしまうものだ。

 ただ…。

 『奏さんがこれから、例えば作家として行き詰まった時に、支えていく自信はあるの?』

 ユイカさんの質問に、私は答えることができなかった。もちろん、ユイカさんは勢いで、この質問をしたんだろう。それは分かってる。でも…。

 一瞬、その質問に怯んでしまった、自分がいた。『私は、奏が本当に苦しい時に、支えになってあげることができるのか?』そのことから、一瞬逃げてしまった、自分がいた。もちろん、私は奏のことが好きだ。だから、奏が苦しい時は、側にいて支えてあげたい。でも、その一瞬は…。ほんの一瞬だけ、私は奏から逃げたんだ。こんなことなら、ユイカさんの言うように、私は奏と付き合う資格は、ないのかもしれない。

 本当に私は、奏にふさわしい女の子なのかな…?」

奈美は、布団の中で、声には出さず、自問自答した。そしてやはり、奈美は布団の中で、声には出さず、泣いていた。


 「何、急に改まって、話って?」

奏が奈美に、そう尋ねた。奈美は、ユイカとの一件から数日後、奏を、

「ちょっと、話がしたいんだけど…。」

と言って、近くのレストランに呼び出していた。

 「うん、それなんだけど…。

 私たち、今日で別れない?」

「えっ、何で急に?」

「私、思ったんだ。奏は、夢だった小説の新人賞をとって、これから作家として、活動していくじゃない?そんな奏に、私みたいな彼女がいたら、たぶん、じゃまになるよ…。」

「そんなことないよ!」

「ありがとう。でも、私なんか、特に才能があるわけでもないし、どこかのお嬢様なんかでもないし…。やっぱり、奏とは釣り合わないよ。

 そう、これからの奏にとって必要な人は、もっとしっかりした女の子だと思う。例えば…、ユイカさんとか。」

「どうしてユイカさんの名前が出てくるの?」

奏は奈美の発言に、困惑した。

「だって、この間、奏が『ユイカさんと対談する』って言ってたじゃない?それに、奏、ユイカさんのファンだったよね?だったら、告白して付き合っちゃいなよ。」

「それとこれとは話が別だよ。僕は奈美と…」

「ごめん、私の言いたいことはそれだけ。じゃあ私、帰るね。今まで本当にありがとう。私、奏に出会えて良かった。お金は私が払うから、置いていくね。

 さよなら。」

奏は奈美を引き止めようとしたが、その制止を振り払うかのように、奈美はレストランを出て行った。奈美のいなくなったレストランには、奈美の置いていったお札と、伝票とが置かれていた。いつもは奏が多めに払うか、割り勘にしていたデートの費用なのに、今日という日は、そんなところから違和感だらけだなと、奏は思った。また、外は、奈美と奏がレストランに入った時は曇り空であったが、みるみるうちに雨が降り出し、奈美が出て行った頃にはどしゃ降りになっていた。「その雨は、今の2人の心境を表している…。」奏は作家にしては、やや月並みな表現を思いつき、ちょっとありきたり過ぎるかなと、一人で苦笑した。そしてその直後、涙が止まらなくなった。降り出した雨は、本当に、奏の今の気持ちを、表していた。

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