「どうだ、吸血姫。神について何かわかったか?」

「いえ」

 薄暗い廊下を魔王と並んで歩く、吸血姫と呼ばれた女は整った顔を力なく振った。ただ、極度に青ざめた肌をしている…が別に体調が悪いわけではない。元よりのものだ。

「難航しております」

「そうか、残念だ」

 魔王は言葉と裏腹にまったく残念さを感じさせないそっけない口調で返す。

 なんとなくそんな気はしていた。

「ですが、王については目新しい情報が入りました」

「ほう?」

 少し興味深そうに眉を吊り上げたのを見て、吸血姫は微かに目を伏せた。

「…有体に申し上げて、あまり有益とは思えませぬが…」

「よい。無聊の慰みぐらいにはなろう。会議までは幾分時間があったな?」

「はい、半時ほどは。では?」

「ああ、久しぶりに余自ら見てみたい。壊れたというのも程度を見ておきたいしな。説明がてら案内せよ」

「かしこまりました」

 吸血姫の先導に従い、魔王は城の奥深くへ歩を進めていく。

 何階層か下り、程なくして二人はがっしりした木製の扉の前に着いた。

 こんこんと扉を軽くノックすると、しばらくの間を置いてから覗き窓が開き中から何者かが覗いた。

「何者だ…はっ、これは魔王様」

 右目は魔王を捕らえたが、まろび出たままの左目は床を見ている。動く死体、レブナントだ。

 覗き窓から漏れ出た悪臭に、魔王がわずかに眉をしかめる。それに気付いた相手が済まなさそうに言った。

「申し訳ありません、何分すぐ汚されるため掃除が行き届きませぬもので…」

 その悪臭の大元は鼻がとっくに腐り落ちているため、自身が発生源とは気付いていないようだ。

「いや、よい。むしろそんな所に回されたそなたら官吏の方が大変であろう」

「勿体無いお言葉…お気使いくださいますな、私らにはこの臭いは慣れております故。それより、魔王様が何故このような場所へ?」

 魔王に代わり、吸血姫が答える。

「先の勇者たちの様子を知りたいとご所望だ。判ったらさっさと開けろ」

「かしこまりました。では」

 一旦引っ込んだかと思うと扉が開かれる。

「私レブナントがご案内いたします。こちらへ」

 傍の小さい机に置いてあった燭台に火を灯し、レブナントが先導していく。

 扉の奥はまっすぐ伸びた通路の両脇に鉄格子の嵌められた小部屋が幾つも並んでおり、そこに差し込まれた明かりに反応した苦しそうなうめき声が幾つか沸き起こる。

 やがて一つ目の十字路に差し掛かったところで、レブナントが一旦足を止めた。

「魔王様、勇者はもっとも奥の部屋に配置されております。よろしければ、一緒に送り込まれた他の連中もご案内できますが…」

「そうだな…うむ、折角だ。それらも見ていこう」

「かしこまりました」

 レブナントは一つ頷くと、右に曲がった。

 魔王たちも無言で後につづく。






 最初の一人目の収監されている牢屋へは程なくして着いた。

「あがあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 絶叫で出迎えたのは、魔法使いだ。

 いや、「だった」と呼ぶべきか。

 癖っ毛の可愛らしい髪は今では真っ白に、ちょっと釣り目勝ちだった顔は、今では百年を過ごした老婆のように皺くちゃになっている。椅子に座らされた形で手足、そして頭部が固定されているが、手はしきりに開いたり握り締めたりしており、それにあわせるようにして血走る目がぐりぐりぐりぐりと高速でひっきりなしに動いている。

「はーい、まだまだありますからね~」

 そういって魔法使いの後ろに陣取っているのは猿身鳥面の魔族だ。

「あなた、人間界で最高の知識を誇る魔法使いなんでしょうぅ? だったらこの程度の知識、さっさと取り込んでくださいよぉお」

 そういいながら、手にした黒革表紙のリストをぱらぱらとめくってはぞんざいに千切り取る。それを、魔法使いの後頭部――より正確に言うならば、頭皮を取り除かれむき出しにされた脳の皺に沿うようにして千切られたメモを無造作に差し込む。

 触れたところが淡い光に包まれ、脳の中に消えていくにつれ魔法使いのあげる叫喚がボルテージを上げていく。

「ぎへぎゃぁびぁいひぁひいいぃ! や、め、でぇええ! も、もう、いらないぃぁひがぇぎえいぃ」

「抵抗は無駄ですよ」

 まるでこれ以上は飲み込みたくないとばかりにつっかえるが、それを無理やり捻じ込んでやる。

 勢い余って指の第二間接辺りまで突っ込まれ、一切意味を成さない言語を吼えるのみとなった魔法使いを魔族は嬉しそうにけらけら嘲り笑いながら作業を続けている。

「あいつは一体何をしているのだ?」

 魔王がレブナントに聞くと、彼は嘆息して答えた。

「尋問の最中に、担当官であるトトメスに向かって豪語したのです。自分は叡智の権化だとか何とか。それを聞いて激怒したトトメスが是非やらせてくれ、と」

「ああ…」

 魔王は納得した。

 トトメスは普段は文官として勤めている妖魔だ。

 余り表に出たがらない性格のためわかりにくいが、その知識量は実は魔界でも屈指を誇る。そんな相手に対し喧嘩を吹っかけた時点で叡智の権化とは笑い種だ。

「まあ折角だから、そこまで鼻に掛けられるならどこまで知識を吸収できるか是非やってみようではないかということになりまして」

 そういっている間にもトトメスはじゃんじゃん冊子から千切っては入れている。  肝心のリストはトトメスの知識を体現した物だ。彼の知識同様、尽きることは無い。

 この拷問は、魔法使いの精神が焼ききれるまで終わることは無いのだ。

「ぎえる、ぎえるっぅうぅっ、うぁあがぁあっ! あたしがぁっ、ぎえてぐぅううっ! やだ、ああっ、だめぇ、あぁああああっ」

 魔法使いは薄れ行く意識の中、思い出していた。

 優しかった師匠。なつかしの学び舎で、仄かな憧れを抱いていた勇者にいいところを見せようと難しい問題に挑み、見事正解してみせたときの喜び。

 だが、その師匠は背中に蝙蝠の翼が付いた狼男に挿し代わる。

 学び舎は赤い雪が降りしきる荒野と化し、勇者のはずだった隣人はぐねぐねと不気味に蠢めく切子状の宝石の形をした半結晶体の鉱物生命体となっており、それが示す情報量に幽かになっている魔法使いの人格は声にならない絶叫を上げた。

 人間が知ってはならない知識が、過去を、認識を、そして現実を強制的に塗り替えていく。

 その事実、そしてまた目の当たりにしている存在自体が、魔法使いの矮小な知覚を徹底的に痛めつける。

「ゆぎょあぁおあおぁあげげあらがぁぎはるてはうげうんげぁあ」

「これはダメだな。すぐ死ぬ」

 恐らく、今日一日ももたないだろう。

「ええ…申し訳ございません」

 深々と頭を下げるレブナントを一瞥し、魔王は嘆息すると言った。

「まあよい。誰にも許せぬことはある。たまたま今回はそれに引っかかってしまったのだ。次からは気をつければよい」

「勿体無いお言葉。彼奴には後で私から伝えておきましょう」

「うむ。では次へ案内しろ」

「かしこまりました」




 

 二人目は、戦士だった。

 戦士は薄れ行く意識の中、思い出していた。

 幼い頃、農奴たちと森へ猪狩りへ行ったときのことを。

 そこではぐれた彼と勇者たちの前に、手負いの猪が現れた。

 年長者でもあり、そして自分の好きな魔法使いを庇うためにも前に出た彼は死を覚悟したものだ。

 肋骨を数本へし折られ、右わき腹をえぐられながらもかろうじて猪を叩き殺した彼は後からやってきた大人たちに感心された。

 ばちん、ばちん、ばちん。

 そのときの喝采が、彼に肉体を鍛えさせる契機となった。

 ばちん、ばちん、ばちん。

 そして今は、現実へと引き戻す契機となる。

 こちらは近づくにつれ、次第に殴打音と「吐け、さっさと吐きやがれ! おねんねするにはまだはえぇぜ!」という罵声とが大きくなっていく。

「オラオラオラ、まだ吐かねぇかこの野郎! どうした、お前は強いんだろうがよぉ! この程度で壊れたりするんじゃねぇぞ!」

 怒鳴っているのはギガント・アルグールだ。

 身長こそ人族とそう変わらないが、横に広い体格からも判るように膂力が飛びぬけて強い。その鉄拳を受け続けたためだろう、壁に貼り付けにされた戦士の顔はもはや元の面影をまったく残していない。

 右目は眼窩ごと潰されてなんだか判らない液体がとめどなく垂れており、頭頂部はむしられたようでまばらに毛が残されるのみ。頬骨も右と左とで明らかに高さが違い、あごが砕かれたせいで開きっぱなしになり涎をひっきりなしに垂らしている口の中には歯が一本も残っていない。

 そんな戦士を、なおも力いっぱい拳で打ち下ろしているギガント・アルグールが魔王たちに気付いたようだ。

「あ、魔王様。どうしたんですかいこんなところへ」

「捕虜の様子を見に来たが…どうだ、王や神について何か吐いたか」

 そういわれ、ギガント・アルグールは一瞬きょとんとする。が、すぐに頭をかきかき弁明した。

「あー、あー。いえ、それがさっぱりなんでさぁ」

「…お前、何を聞いていたか忘れたんじゃあるまいな?」

 レブナントが睨みつけると、ギガント・アルグールはへへと誤魔化した。

「まあいい、ちゃんと忘れないようにしろ」

「…今回は手遅れのようだがな」

 魔王の言葉にえっ、とレブナントたちが振り向く。

 戦士はもはやぴくりともしなかった。

 どうやら殴打が止んだところで気が抜けてしまい、そのまま死んでしまったのだろう。レブナントに再び睨みつけられ、ギガント・アルグールは哀れなほど萎んでしまった。

「死んでしまったなら仕方あるまい。普段の処置どおり、蘇れないほど破壊しておけ」

「は、かしこまりました。…それならお前でもできるだろ」

 そういわれ、ギガント・アルグールはにやりと口角を吊り上げた。

「任しといてくださいよ。壊すなら得意でさぁ」





「…ここまで半数だがまともに成果をあげられていなかったな」

 廊下を進む中、魔王がそう呟くとレブナントはびくりと肩を震わせた。

「す、すみません」

「ああいや、別に責めている訳ではない」

 魔王が頭を振る。その隣では吸血姫が冷たい視線でレブナントの後頭部を睨んでいる。もし視線が可視化・エネルギー化できたなら、彼女の視線はレブナントの存在をきれいさっぱり消し飛ばしていただろう。

「人間どもを甚振るのに力が入りすぎる気持ちは判らないでもない。何せ奴らは弱く脆い癖にプライドだけは一丁前だからな」

「さようで」

 レブナントが深く頷く。

「雑魚はまだ、その辺を弁えて逃げ回り、怯え竦み、命乞いをしますからな。まだ可愛げがあるものですが…」

 勇者とその従僕の場合、『神に選ばれし者』だというプライドがある。それにより、多少傷つけられても反抗し、酷い場合には(当人がそのつもりかはわからないが)煽ろうとするため、刑吏も知らず知らずのうち責め手の加減が効かなくなってしまいがちだった。

「良い。むしろお前たちはよくやってくれている。それにどうせ我々の寿命は人間のそれと比べるべくもないからな。その辺りの判断がつきにくいというのもあるだろう」

「仰せの通りでございまして…」

 この言葉は、どちらかというと吸血姫に向けてのものだ。

 夜の眷属である彼女はほぼ永劫とも言える時を生きる。餌として人間を狩ったことのある身としては、そう言われると納得せざるを得ない。

「さ、到着いたします。次は僧侶ですが…」

 振り返り説明したレブナントがわずかに顔をしかめたのを、魔王は見逃さなかった。

「どうした。また壊したのか」

「は…壊したといいますか、壊れたと言いますか…」

「何だ、はっきりと言え」

「実は、我々が手を下すまでも無く、精神が崩壊してしまっておるようでして…」

「そう言われてみれば…」

 その言葉に吸血姫は報告にあったことを思い出した。

「数十回勇者を壊したところで反応が薄くなったのでしたわね。ですが一過性のものではなかったの?」

「ええ。当初は次が自分の番だと理解したことによる緊張からかと思ったのですが、どうも違っておりましたようで。勇者に対して根深い執着があったと考えた方が良さそうです」

 魔王が頷く。

 どうもあの短い時間で見た限りでも、他の連中と比べても勇者と僧侶の関係は親密だったように彼には思えた。そうした機微については、魔族と人族が同じ考え方をしているかどうか判る者がいないため、判断を見誤ったのは仕方ないことと言える。

「いかがなさいますか? もうまともな会話すらできなかったため、今は怪虫族の要請もあって連中の借り腹としておりますが…」

「ふむ」

 少し考えた魔王は見に行くことにした。

 特段何か考えがあるわけではない。どうせそんなに時間は掛からないのだし、それなら他の二人も見た以上惰性で見るのも悪くない、そう考えたからだ。

「は。こちらになります」

 僧侶は、素っ裸のまま石牢に座り口をぽかんと開けたままぼんやり宙を見ている。怨敵である魔王が現れたことにも気付いていない。

「あの調子でございまして…」

「なるほど確かにな。借り腹になっているということだが」

「は。今は拒食葬虫が胎内にいるはずです。卵子を食い尽くしたところで生まれるはずですから…恐らく、あと三日で生まれるでしょうな。それから順次筋肉や内臓を食らう蟲を宛がう予定となっております」

「そうか。判っておるだろうが、ある程度死体は残しておくようにしろ」

「かしこまりました。それでは、次へ」

「うむ」

 再び歩き出した魔王たち。

「どう…して……」

 その背後から僧侶の声が聞こえ、魔王は何の気なしに振り向いた。

「む? …余に向かって言った訳ではない、か」

 僧侶は、先ほどと同じく身じろぎしていない。

 ただの独り言か、そう思った矢先。

「あぁああああ! どうしてぇえええ! 神様ぁああああ!!」

「むっ?」

 突然、僧侶が目を大きく見開き天に向かって慟哭する。

「答えろぉぉぉ! 役目ってなんだぁああ! あたしらの人生を使い捨てにしたのかっ、きさまぁあああっ! ちくしょうっ、ちくしょうっ、本当なら今頃はあいつと幸せな家庭を築いていたはずだったのにっ! だましたなっ、だましたなぁあっ、うわあああああああっ!」

「…でりーと?」

 はじめて聞く単語に魔王が問い返す…が、返事は来ない。

 僧侶は先ほどの慟哭が嘘のように、再び壁をぼんやり見ている。

 しばらくは返答を待っていた魔王だったが、開きっぱなしの唇から涎が一筋落ちたのを見て答えは返ってこないと諦めた。


 僧侶は薄れ行く意識の中、思い出していた。

 幼い頃、丘の上に生える大木の根元で勇者となった少年と交わした約束を。

 大きくなったら結婚する、そんな他愛も無い約束。

 しかし、少し前までの彼女はそのとき抱いていた不変を誓った約束をすっかり忘れてしまっていた。

 いや、思慕に似た感情は残っていた。

 が、それよりも大きな感情――自分たちは勇者一行であり、自分は勇者を支える僧侶であるという使命感が彼女の思考、思慕を大きくゆがめていたのだ。

 一人の男への愛を、女神の敬虔なる崇拝者、そして勇者一行の僧侶としての思考によって誘導された彼女は、本来の彼女なら決してしないことを繰り返してきた。

 旅の支援を取り付けるため、農場主に身体を開き。

 僧侶として勇者とその仲間の身元を証立てるため大司教に身を委ね。

 女神の敬虔な信徒として、国教に布教するため国王と伽を共にした。

 何れも、勇者、そして信ずる神のためにしたこと。

 しかし…彼女は、この薄暗い牢の中で確かに聞いた。

 先ほど、彼女が敬愛してきた女神の声を。

『あなたたちの役目はここまでです。試しでちょっと自尊心のパラメーターを上げてみたことで途中は面白くなったのは良かったのですが、最後がありきたりになってしまったのが残念ですね。次はもう少しパラメーターの調整に気を使わないと…って、あなたにはもう関係の無い話ですけど。ともあれ、ここまでお疲れ様でした』

 同時に僧侶としての役割、そして力から解放された。

 村娘にしては聡かった彼女は、熱に浮かされたように行ってきた行為を振り返り、そして女神の言葉からその意味を理解できずとも即座に把握してしまった。

 自分たちは、道具に過ぎなかった。

 勇者一行という名の玩具に過ぎなかった。

 そして、勇者の仲間としての力も奪われた今、脱出も蘇生も望めないことも。唯一の残された我が身ですら、もはや自由にはならない。

 残されたのは無力な村娘。

 後は死ぬまで寄生蟲の母体となるのみ。

 そこに気付いてしまった彼女は、考える事をやめた。





「残すは勇者ですが…」

「うむ…」

 魔王は空返事を返す。

 正直、あまり期待はしていない。

 それというのも勇者は総じて飛びぬけて意思が強い。

 そうそう簡単に気が狂ったり、廃人化しないのはメリットではある…が、裏を返せばそれだけ壊れるまでの閾値が狭い面倒な相手と言える。

 そして、勇者だけに存在するある特性がある。それがために、勇者から有益な情報を得る事が難しいのだ。

「まあ、無様に嬲られているのを見るのも気分転換には良かろう」

 多分今回も使い物にならなくなっているだろうとは思いつつ、ここまできたら最後まで見ていこうという気持ちがわずかに勝った。

「それもそうですわね」

 そんなわけで、魔王たちは元勇者の閉じ込められている牢屋の前までやってきたのだ。

「ひ、ひぎぃい! や、やめ、やめてくれぇ…もう、やめてくれぇ……」

「ほう…」

 檻の中では、現在苛烈な暴力の嵐が吹き荒れている真っ最中だった。

「うるせぇなぁ」

 勇者は比較的整っていた顔をくしゃくしゃにして泣き喚いている。

 引き締まった体は今は素っ裸にされて部屋のど真ん中に設えられている巨大な寝台に横たえられており、両腕と両太ももに極太な釘を打ち付けられ固定されている。

 角を生やした獄卒たちが黒ずんだシガーカッターを手にしながらその両手先に陣取っているがそれはもちろん葉巻を切るためのものではない。

 シガーカッターの穴に勇者の指を一本ずつ嵌めると、じょきんじょきんと鼻歌交じりに切り取っていく。その度、勇者は身をよじり泣き叫ぶのだ。

「やめ、やめてくんろぉ…こんなんじゃ、もう鋤も鍬も握れねぇべさ…」

「べそべそ泣き言抜かすなよ勇者様よぉ」

「ち、違う、俺は勇者なんかじゃねぇだよぉ」

「あぁ? なぁに言ってんだ、お前勇者だろ」

「そ、それはその通りだべが…うんにゃ! 今は違うだ!」

「…何言ってんだこいつ? 甚振られすぎて頭おかしくなったのか?」

「いや、まだ頭には何もしてないはずだぞ?」

 獄卒たちの戸惑いをよそに、勇者は必死に哀れみを乞うような情け無い涙声で弁明をつづけている。

「お、おらはただの農奴だべ。だけどある日ふとおらは勇者のつもりになってただ。周りの同僚も仲間になって旅しただが…気付けば、その勇者の気持ちが無くなってただよ」

 獄卒たちは戸惑ったように互いの顔を見合わせる。

「気持ちが無くなるとかさっぱり要領得んな」

「うむ…仕方ない、別の切り口で尋ねるしかないかもな。おい貴様、それじゃその勇者になったきっかけは何だ。誰かにそそのかされたのか? それとも何かを見たり聞いたりしたのか? 我々はそれを調べている。素直に吐け」

「し、しらねぇだよそんなん」

「あぁ? 嘘をつくとは、まだ拷問がたりねぇようだなぁ」

「ひぃぃ、ほ、本当なんだべ」

 指をもう一本切り落とされ、勇者は狂乱しながら叫ぶ。

 勇者はどうして自分が勇者になったのか思い出せなかった。

「ある朝起きたら、なんか頭がすっきりしてただよ! そんで、何故か剣の使い方や、魔法の使い方も判るようになってただ。仲間たちも同じで、おらたち伝説の勇者だと理解しただ。何故か農場主も納得してくれて、援助もしてくれて、そこから旅はとんとん拍子に進んで…それまではおらたち、農場から一歩も出た事ねぇんだ! ああお願いだぁ、本当なんだべ、嘘じゃねぇ、嘘じゃねぇからまた指切るのはやめてけれ…あぎゃああああっ」

 結局、両手どころか両足の指が無くなっても勇者の主張はなんら変わる事がなかった。

「ちっ、しぶてぇな。どうする?」

「ま、指がねぇなら今度は足先を寸刻みでスライスしていけばいいんじゃねぇの?」

 その言葉を聞き、勇者が必死に身をよじり抵抗する。しかし、剛力を秘めていたはずの彼の四肢は古ぼけた革の拘束具を跳ね飛ばすことができない。

「やめて、やめてけれ、もう魔族の皆さん方にははむかいませんから! おら大人しく国へ戻りますだ! どこかへひっそり隠れ住んで、畑仕事して生きていきますから、後生だからやめてけれぇ!」

「何寝言言ってんだ。どちらにしろお前はもう二度と畑仕事どころか人間として生きていく事も許されねぇ」

「ま、諦めろ。スライスした肉は俺たちが美味しく頂くから安心してくれや」

「大丈夫大丈夫、そう簡単に殺しはしねぇから。ま、あっさり死んだ方が楽だろうけどな」

「お前らが今まで殺してきた魔族の分まで、しっかり甚振ってやるよ」

「そ、そんなんいやだぁああ! おらを開放してくんろぉぉ! うわぁあ、戦士、魔法使い、僧侶ォ、おらを助けてけれぇえええ」

 その様子を鉄格子の向こうからじっと見ていた魔王は明らかに落胆していた。

「ああ…やっぱりな」

 これが、他の従僕と比べて難しい原因だ。

 どういう理屈かは判らないが、勇者だけは『どうして勇者だと思うようになったのか』『誰がどう、そうあれかしと命じたのか』などを確認しようとすると“勇者ではなくなってしまう”。結果、そこいらの商人や職人、農奴であるように振舞うのだ。

 おまけにこうなると、“勇者”の力すらなくなる。戦闘能力も治癒能力も何もかも失い、そこいらの有象無象と同じになる。

 恐らく、意識化において人間の神によるセーフティーロックが掛けられているということなのだろう。だが、何のために?

「こうなってしまってはもう、欲しかった情報は聞き取れまいな…止むをえん、後は適当に処置しておけ」

 結局、今回も折角の情報源を無駄にしただけで終わってしまった。

 そう考えた魔王は肩を落とし歩き出した…が、扉をくぐる寸前で一つ確認したいことがあったのを思い出した。

「そうだ、レブナント」

「何でございましょうか?」

「あの僧侶、そういえば妙なことを言っていたことを思い出した。自分たちのことを、『使い捨てた』とな。神についての知識はとっくに消えているだろうが、もしやしたら王が何か知っていたかも知れん。使命について、王からどんなことを言われたかを聞き出せ。これは必ずだ。もし、聞き出す前に僧侶が死んだり使い物にならなくなった場合は…」

「そ、その場合は…」

 魔王は無言のまま、冷たい眼差しを返すにとどめる。それが、逆にはっきりとした答えを指し示していた。

 失敗したら、死より惨い罰を与える…と。

「期待している」

「は、ははぁ…っ」

 それだけ言うと、魔王はその場に平伏したレブナントを残し立ち去ったのだった。

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