第14話 趣味の問題

 幼いころから自分は他人とは違うのだと思

っていた。「どこが違うの?」そう聞かれて

も上手い答えが思いつかない。そう感じてい

た、というだけで具体的に何か事件でもあっ

た訳ではなかったからだ。そう思い始めたの

は多分小学校の低学年の子だったように思う。

ふとした日常生活の中で「何かが違う。」と

感じていたのだ。幼い私にはそれが何か判ら

なかったし、そのことを誰かに相談すること

もなかった。ただ「自分は違うのだ。」と一

人で納得していたのだ。


 少し大きくなって中学生くらいになったこ

ろだろうか。「何かが違う。」ということの

具体的な内容が朧気乍ら見え始めてきた。そ

れは『死』というものに対しての対応という

か感情というか、リアクションについてだっ

た。


 身内の死、ペットの死、ニュースで見る赤

の他人の死、様々に情報として入って来る他

者の『死』にたいして私は何の感想も感情も

抱かないことに気が付いたのだ。


 身内で言うと幼かった弟が先天性の病気の

所為で8歳で死んだ。8年間は一緒に過ごし

遊び喧嘩していたはずだった。ところが彼の

死に際して私が抱いた感情は唯一「お葬式っ

て面倒くさいものだな。」だった。闘病中の

弟を見舞っても特に感想はなかった。遺体を

見ても何の感情も湧かなかった。両親や親せ

きの人が泣いているのを見ても悲しくなかっ

た。ただ、可笑しくもなかったので他人から

見れば無表情だったと思う。それを見た両親

は「感情が溢れすぎて表現できなくなってし

まっているのだろう。」と勝手に解釈してい

たことが少し面白かった。


 その1年後、曾祖父が亡くなった。90歳

を超えていた祖父は「大往生やな。」と言わ

れていたが意味は解らなかった。相変わらず

お葬式は面倒だった。学校が休めるのは嬉し

いのだが遊びに行ける訳ではない。知らない

人が沢山家に来るのも好きじゃなかった。曾

祖父は嫌いだった。祖父が早くに亡くなって

いたので「おじいちゃん」と言えば曾祖父の

ことだったが、私からするとただのしわくち

ゃなものも言わない塊にしか見えなかった。

塊でも食べるし、食べると大便や小便をする。

その世話を母が一手にやっていた。祖母も祖

父と同じ事故で早くに亡くなっていたし曾祖

母はもっと早くに病死していたので曾祖父の

面倒は母しか見る人が居なかったのだ。父は

そんなことを母に替わってやるような人では

なかった。


 元々他人とのコミュニケーションは障害が

あると言ってもいいくらい苦手だった私は弟

と曾祖父のお葬式を経て更に内向的になり引

きこもった。中学3年生の時は一度も学校に

行けなかった。『死』が怖かったからではな

い。『死』を怖がらない自分が恐ろしかった

のだ。いつか自分は他人を傷つけてしまう、

と思った。野放しにはできない。自分で自分

を家に縛り付けることにしたのだ。



 たまに「サイコパス」というような言葉や

関連したニュースを聞くようになった。「誰

かを殺してみたかった。」というセリフが世

間をあっと言わせていた。私には理解できな

かった。何でも「やってみたい。」という感

情はあり得るはずだ。「人を殺してみたい。」

だけが感情として成立しない筈がなかった。

だが、このころはまだ自制心が働いていたの

だと思う。自分が「人を殺してみたかった。」

という感情が理解できることを理解し、それ

は一般的には理解できない事なのだとも理解

していたのだ。


 年齢的には高校生になった。相変わらず学

校には行かなかったが、通信教育で大検を取

った。大学に行きたい、とは思っていたのだ。

引きこもりと言っても家から出られないので

はなく出ないようにしていた。少しでも他人

と関わりを持たないようにしていただけだ。


 感情が全くないわけではなかった。嬉しい

と笑うし悲しいと泣いた。腹が立つこともあ

ったし、穏やかな気持ちになることもあった。

ただ『死』のみが理解できなかったのだ。ペ

ットの死も理解できなかった。小学生の時は

中型犬を飼っていた。私が散歩させていると

大きな犬がやってきて興奮して暴れたのでリ

ードを離してしまった。犬は大きな犬を避け

て道路を走り抜け車に跳ねられて死んだ。目

の前でだった。何の感情も湧かなかった。血

が大量に流れていた。タイヤで胴体が凹んで

いた。「急に飛び出してきたそっちが悪いん

だ。」と叫んでいる運転手にも何の感情も湧

かなかった。「それがどうした?」としか思

わなかった。家に帰ると両親からひどく怒ら

れた。リードを離した所為だと言われた。だ

ったら散歩させなかったらいいのに、と思っ

たが私はそんなことは言わない。その頃には

言うと変に思われることを理解していたから

だ。


 私はできるだけ他人とコミュニケーション

をとらず、かつ『死』から遠い職業はないも

のかと思案していた。いずれ両親は先に逝っ

てしまうとしたら自分で稼がないと生活でき

ないからだ。両親は教師だったが特に裕福な

家庭でもなかった。自分の息子が引きこもり

なことをいつも酷く恥じていた。教育者とし

て恥ずかしい、そうだ。そのあたりも少し理

解できないところだったが、そんなことも一

切両親には言わない。


 私が将来のことを考えていたとき、ふと気

が付いた。『死』を遠ざけるのはなかなか難

しい。それならいっそ『死』を職業にすれば

どうか。『死』を目の当たりにして動じない

ことが求められる職業。いくつかあった。警

察関係、医療関係。特に医療関係は監察医と

いう遺体を専門に扱う医者がいる。法医学者

とかも同じだ。それなら日常的に死を感じ、

なおかつ死を感情として処理しなくてもいい

職業なはずだった。


 私は医師免許を取ることにした。両親は殊

の外喜んだ。なぜ医師免許をとりたいのか、

という質問はなかった。


 こうして私は監察医になった。天職だと思

った。遺体を切り刻むことに全く違和感がな

かった。むしろ楽しかった。死因を探す行為

も楽しかった。自殺に見せかけた他殺の証拠

を見つけたときは興奮した。ただし、そんな

遺体はごく少数だった。普通の遺体はすぐに

死因も特定できた。できなければ心不全とか

心筋梗塞で終りだ。


 遺体を切り刻む行為に私はすぐに飽きてし

まった。特殊な死因の遺体なんてほとんどな

かった。もっと判断が難しい遺体がほしかっ

た。


 私が遺体を自分で作るようになるまで、そ

れほど時間はかからなかった。そう、最早こ

れは趣味の問題だ。

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