第3話 狐狸霧中?

1.別の影

 伊予と話し込んでいるうちに日も沈んで、ミコトと八雲が学校を出る頃には辺りもすっかり暗くなっていた。

 伊予は姉の花蓮ともう一度話をしてから帰るとの事であった為、ミコトは八雲と二人きりで帰宅の途についた。

 まだ人足の見られる商店街を通りながら、ミコトは腕組みをして、口を真一文字に結んんでいる。


「う〜ん……雲辺寺花蓮があやかしの気配を察知できるって言ってたけど……ひょっとして、あたしの事も知ってるんじゃないだろうな」


 ミコトの懸念はまずそれであった。

 花蓮の事だ。ミコトの弱みなどを握れば、それをダシにあの手この手を使って陥れようとする。

 中等部の頃にも、どこで仕入れた情報かは知らないが、ミコトが幼い頃に泣き虫だったという話を触れ回ってミコトの権威を失墜させようと画策していた事があった。

 結局のところ、今のミコトしか知らない連中は誰一人として、そんな話を信じようともしなかった為に落着したわけだが……。


「でも、尻尾を見る力は無いんでしょ? 伊予ちゃんの事だって知らないみたいだし。ミコトの事も知らないんじゃないかなぁ」

「うむ。八雲の言う通りじゃ。ましてやワシはそこいらのあやかしとは違って神の眷属じゃからの。妖気を発しておるわけじゃない」


 ミコトにはその辺りの違いがまだよく分かっていない。

 あやかしだろうと神様の眷属だろうと、人間や動物とは異質の存在である事に変わりは無いくらいにしか思っていないのだ。

 とはいえ、花蓮に気づかれていないのであれば、それに越した事はない。


「当面は伊予が化け狸の血を引いているという事を花蓮に知られない様にしなければならぬという事の方が問題じゃな」

「それは分かってるんだけど……そんなの、あたし達がどうこう出来る問題じゃないだろ。あたしを見習って、あたしみたいな性格になるって言ったって、今日明日で変われるものじゃ無し」


 ミコトだって、この性格に変わるまでに数年の歳月をかけている。それにミコトのケースは特殊で、自ら変わろうと思って変わったというよりは、些か乱暴な手段を繰り返して行くうちに、ある種の自信過剰が招いた結果と言える。

 長い時間をかければ変われるかもしれないが、ミコトの様な豹変ぶりもそうそう有るものじゃないし、今の伊予の性格では花蓮に感付かれるのも時間の問題ではないかとすら思える。

 これまで花蓮が知らずにいたのだって、たまたま運が良かっただけかもしれないのだ。


「伊予も八雲の時みたいに、負の感情が膨れ上がる事で自分の中に隠し持ってる妖力が漏れ出すんだろ? このまま花蓮と伊予の確執が深まると、そのうちバレて取り返しのつかない事になるんじゃないか?」

「うむ……確かにおぬしの言う通り、その事に関してワシらではどうする事も出来ぬじゃろうなぁ……。故に……ワシはこれ以上、おぬしが雲辺寺姉妹の事に首を突っ込むのはオススメせぬよ」


 これにはミコトも虚を突かれたかの様な顔をする。

 意外だった。

 神の使いであるから、もう少し色々と考えて助けてやれ……という様な事でも言うのかと思った。


「意外に冷たいんだな……」

「神仏ならいざ知らず、いくらワシが宿っておるからとはいえ、人であるおぬしが万人を救う事など出来ぬであろう?」

「それはそうだけど……」


 眉間にシワを寄せ反論しようとするも、そこから先の言葉が出て来なかった。

 自分を慕ってくれている少女を何とかしてやりたいとは思うし、簡単に諦めてしまうのは自分の性分としても合わない。けれども、クズの言う事が正しいというのも重々承知している。

 だから反論したくても反論のしようが無かった。


「あれはおぬしの手に余る難題じゃよ……」


 クズの口調もどこか無念さが含まれている様であった。


 商店街を抜け、住宅地へと入る。

 この辺りは住宅地とは言っても密集地では無いから、家々の間に雑木林やら農地が広がっている。

 暗くなると街灯の青白い光ばかりが頼りなので慣れない人の一人歩きでは薄気味悪さを感じるかもしれないが、ミコトや八雲のような地元民は慣れっこである。さして物騒であるとも思わないし、不気味さも感じない。

 とはいえ、歩いている人も少ないから淋しい事には違いない。

 面している通りが違うとはいえ、ミコトの家と八雲の家は四〇メートルほどしか離れていないから、ミコトの家の近くまでは八雲も一緒である。

 その、いつも慣れた道を二人で歩いていた時であった。

 ピリッとミコトの尻尾に電流走ったような反応があった。即座に辺りを警戒しようとするミコトではあったが、相手の方が行動は早かった。


「動かないでくださいよ?」


 黒い影が八雲の首に手を回している。その手には街灯の明かりに照らさて、キラリと光る物が握られていた。

 柳刃包丁だ。

 影は八雲と背丈もほぼ同じ。その影が柳刃包丁の刃を八雲の首筋に当てているのだ。

 背丈は八雲と変わらないが、その声はまるで十歳前後の男の子のような声である。


「別にあんた方に恨みがあるわけじゃあありやせん。でも、お嬢さんが少しでも妙な動きをすれば、彼氏さんの命は保証できやせんぜ?」

「な……⁉︎ か、か、か、彼氏じゃない! 何、勘違いしてんだ!」


 この危機的状況下で突っ込むところがズレている事に、八雲は思わず苦笑いする。

 ミコトは暗くて分からないが、顔を茹で蛸のように真っ赤にさせている。

 しかし、もちろん状況は理解している。体を動かす事はおろか、相手の容姿をしっかりと確認する事も出来ないでいた。


「まあ、お嬢さんとこのが付き合ってるかどうかはどうでも良い事なんですがね。ちょいと警告しておこうと思いやして……。なぁに、こちらの要求に応じてさえくれれば、今後、おたくらに危害は加えませんよ」

「け、警告ぅ……?」


 あやかしがこのような交渉を持ち掛けて来る事も珍しい。というより、ミコトにとっては初めての事で戸惑いを隠せない。


「雲辺寺伊予というお嬢さんの事なんですがね……。これ以上、あのお嬢さんに関わらないで頂きてぇんですよ。雲辺寺家に関係する全てと事にね……。霊狐を宿してるあんたに首を突っ込まれちゃあ、こっちが困るってもんでさ」

「そ、それはどういう——」


 ミコトは問いかけようとするが、影はスッと音も立てずに八雲から離れると、


「警告はしましたぜ?」


 一方的に言うだけ言って、闇の中へと消えて行った。


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