幽霊の掛け軸 下章 其ノ七


 目の前に一人の少女が立っている。その修験者の様な出で立ちに佐夜香には見覚えがあった。輪宗寺で『先生』と呼ばれていた絵師の娘ではないか!


 呆気に取られる佐夜香に、少女は手の平を差し出す。


「はい、出しな」

「え?」


 何が何だかわからない佐夜香に少女は苛立ちを見せる。


「鈍いな、銭だよ銭! お・あ・し! さっき寺で貰っただろ?」

「仰っている意味が判りませんが? どうして貴女に金子を出さなくてはならないのです? そもそも、貴女は誰ですか?」


 輪宗寺での無礼な態度といい、流石に佐夜香も腹が立ってきた。


「おーおー白ばっくれちゃって。わかんないんなら教えてやるよ、お前が何しでかしたかさぁ。お前さ、山賊退治した後に天狗の名を口にしたろ? 人間風情が軽々しく天狗をかたっちゃってさ、どうなるかわかってるんだろうな?」


「何ですって? 貴女まさか!」

「その天狗様だ!」


 驚いて天狗と名乗る少女を頭の天辺からつま先まで見る。修験者の様な装束、首から大きな数珠を掛けて、腰には瓢箪ひょうたんをぶら下げ、足には一本歯の下駄を履いていた。だがそれ以外はどう見ても人間の娘にしか見えない。

 天狗というのは赤い顔をして、高い鼻と鳥の様な羽を付けているのではなかろうか? この少女にはそれらしきものが全く見当たらない。

 

 この天狗と名乗る少女、名を『徳次郎とくじら あかね』という。元々は人間の娘だった、その為背中には翼が生えていない。まだ一人前の天狗と認められて間もなく、容姿も人間のそれに近かった。


 混乱しているところへ追い討ちを掛けるかの様に、この天狗少女はずずいと佐夜香へと詰め寄る。


「それだけじゃないぞ、昨晩の火事を消したのはこのあ・た・し。無力なお前らの為に一肌脱いでやったのにさ! 言っとくけどあの変な爺が雨雲を呼び寄せた訳じゃないんだからな! それともう一つ、輪宗寺の掛軸の贋作、あれこさえたのもあたし! ここまで言えばもうわかるだろ?!」


(えええっ?!)


 圧倒され後ろに倒れそうになるも、持ち出された話の一つ一つが身に覚えあるものばかりだ。今までのことは本当に茜が関係していたことなのだろうか?


「ま、あんたも一応、ちょっとはがんばってたみたいだし? そうだな、貰った分の八分(八割)で勘弁してやるよ」


 何と無茶苦茶な話だろうか!

 流石の佐夜香もこれには堪忍袋の緒が切れた!


「そうですか! それはありがとうございます! ですが貴女に報酬を渡す道理はありません! 天狗と仰言おっしゃいましたが狐狸こりの類の間違いでは? それとも天狗は人間相手に強請ゆすりをするのですか?」


「なんだと?」


 佐夜香は懐から術符を取り出す。


「鴉と一緒にお山へ帰ったら如何です? もっとも痛い目にあってからですけど」

「こいつっ!」


 遂に天狗少女は掴みかからんと飛びかかってきた!


 それを体術の心得もある佐夜香は紙一重で避け、軽やかにいなす!

 あっという間に相手の手首をとり、背中で締め上げる格好となった!


「っ!!」

「どうしました? 天狗では無かったのですか?」


 相手の背後から片腕を締め上げる。

 これに耐えられないのか茜はすぐに音を上げた。


「いてててててっ! はっ離せ、このっ!」


 もがいて必死にあがくも佐夜香は離さない。


「もう強請などしないと言うまで離しません!」

「わ……わかったわかった!」

「なら今すぐ」


 更に締め上げようとした時、佐夜香は不思議な感覚に襲われた。


 一瞬目の前の少女が視界から消えた。

 いや、正確には真っ暗になり何も見えなくなったのだ!


(!?)


 そして全身に意表を突かれた衝撃が襲う!

 身動きは全く取れない!


「……なぁんちゃって。ばーっか!」


 形勢は逆転され、馬乗りにうつ伏せで押さえつけられた挙句、腕を締め上げられていたのである!


(……頚椎けいつい(首の裏辺り)を! 素人じゃない……!)


「ほら今の言葉、もういっぺん言ってみ? お前妖怪退治してる割に何も知らないんじゃない? 天狗がどんな存在かってことをさぁ!」


 茜がそう言うと更に佐夜香の腕が締め上げられた!

 そしてみるみる背中へ圧し掛かる力が強くなっていく!


「──っ!! ──っっ!!!」


 顔を地面に付けたまま声にならない悲鳴を上げる。この時全身に着けていた武具が仇となった。肉に食い込み痛みと圧力の苦しさが佐夜香を同時に襲ってくる。


ミシッ……


「腕と身体どっちが潰れるの早いかな? ほらほら、御免なさいしろよ」


 顔を地にうずめている耳元でそう囁く。

 この時、僅かに隙が生じた!


ぶっ!


「うっ?! 」


 慌てて茜は目を押さえた。顔を近づけた油断から、首をひねった佐夜香より何か吹きつけられたのだ。

 それは土、佐夜香は顔面を伏せながら口に土を含んでいたのである。

 茜は堪らず両手を離してしまった!


 勝機!

 咄嗟に体を入れ替えると近距離での攻撃を試みる!


「破魔!」


 相手の攻撃を悟ったか、茜は佐夜香を離すと距離を取った。何とか佐夜香は立ち上がると同じく間合いを取る。そして驚くべき光景を目の当たりにした。


 少女が宙に静止していたのである。


「ぐはっ、ぺっぺ! やりやがったなこの餓鬼!」


 腰の瓢箪を取り出し、土を掛けられた顔を洗う。恐らく中身は酒なのだろう、口をゆすぐとついでに一口飲んだ。


(まさか本物の天狗?! いえ、そんなことより……)


 何とかこの場を凌ぐ方法はないか? 恐ろしく力が強く、素早い身のこなしの持ち主だ。まともに戦ったら佐夜香とて勝ち目はないだろう。右手がひどく痛む……だが走れそうだ、よし!


「美味しそうですね、中身はお酒でしょう? 天狗様は随分とお酒が好きのようですね」

「何だ急に? もう謝っても許さないよ、お前は殺し決定だから」


「貴女の方こそ死にますので、それは不可能でしょうね。美味しかったですか? 『毒入り酒』は。先程瓢箪の口に毒糊どくのりを塗っておきました。そろそろ胸のあたりが苦しくなってきたでしょう?」

「はぁ? 何それ? はったりか?」

「私が忍の術を心得ていることくらい、天狗様ならご存知でしょう? そういうことです」


 佐夜香の自信げな表情に、天狗少女は不安になり瓢箪を調べ始める。


 口に糊気は無い。いや、正確には思い切り口をつけて飲んだのでわからない。仮に塗られたとしたならいつだ? 心当たりは……まさか目潰しを食らった瞬間に?!


 不安からか毒が回り始めたのか、心無しか胸が苦しくなってきた。


「解毒薬いります?」

「!」


 懐から小さな筒の様な物をちらりと見せる。

 あっと思ったのも束の間、佐夜香はそれを田んぼの中へと放り投げてしまった。


「あ!?」


 荷物を拾い上げた佐夜香は素早く逃げて行ってしまう。

 だが今は解毒薬が先決、佐夜香は後からでも追いつく。


「……くそっ!」


 形振なりふり構わず田んぼに入り、筒の落ちた辺を探し始めた。鋭い稲葉が刺さり、少女の肌に傷を作る。意外にもすぐに目当ての物は見つかった。


(あっ! 何だこりゃ?)


 解毒薬の入った筒には栓がしていなかった。中から田んぼの泥水が流れ出る。

 咄嗟に佐夜香が投げた物は握り銃の筒だったのだ。


 騙された!


 見る見る内に顔が真っ赤に染まり、鬼の形相へと変わる。


「餓鬼ぃぃ!!!」


 木で出来た扇を取り出すと素早く払う!

 少女を中心に稲葉が円状に薙ぎ払われた!


 ぱらぁぁっと舞い上がる稲葉、だが舞い落ずに一枚一枚が細い針と化す!

 稲葉の針は、佐夜香目掛けて飛んでいった!


(もう来た! 早い!)


 慌てて鉄扇を広げ針を受ける。まるでつぶてを受けているような衝撃が幾度も襲う。最後に大砲で撃たれたかと思うような強い衝撃を受け、佐夜香の身体は吹っ飛ばされた!


「ぐっ!」


 幸い飛ばされた先が田んぼの中であった為、叩きつけられた衝撃は軽い。持っていた鉄扇はひどく変形し、真一文字の下駄跡が付いていた。


さかしい真似してくれちゃってさ! お前さ、相当死にたがりだね! 田んぼの肥やしになっちまえってのっ!!」


 宙に浮いた茜が視界に入ってくる。

 一気に方を付けようと木扇子を振り上げた!

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