妖鬼討伐演舞祭の章 其ノ九

 

 占い勝負に敗れた志乃はさっさと観客席へ向かっていた。イロハや典甚てんじんたちと帰路につくためである。もうこの会場に用は無い。

 

(ってて。足、痺れちゃった)


 勝負に敗れはしたものの、終わってみれば全ての悩みから開放されていた。もう、負けたり引き分けたりと考える必要はどこにもない。それに力は自分が上と判った、誰も評価してくれなくともそれで十分だ。そう考えると、清々すがすがしささえ感じてきた。もうこの祭りに自分が参加することはないだろう。

 ただ一つ、気残りといえば、やはり佐夜香である。もっと話がしたかった、友人になりたかった。勝負が終わって何か話しかけたかったが、わざと負けた後ろめたさがそうさせなかった。それに相手は良い所の出だろう、拾われて神社に住み着いている自分とは身分が違いすぎる。そう、元々叶わぬ夢だったのだ。


 観客席への道は人だかりであふれていた。恐らく優勝決定戦を前に休憩となったのだろう。自分もその人波に混ざり、イロハたちを見つけようとした、その時だった。


──ドクン


 戦慄せんりつが走った。


 人だかりのその中を、一人の女が足早に歩いていくのが見えた。

 その女こそ、那珂の里の道中で見た、あの着物の女だったのだ。

 そして後を侍風の従者が追いかけている。


 あの時感じた殺意の眼差しが蘇る。


(まさか……こんなところにいるなんて! 何者なの!?)


 志乃は暫く固まっていたが、気づいた時には女の後を追いかけていた。


「……あさぎ様!」


 従者の女に気づかれた!

 ちらりとこちらを向いた二人は途端に駆け出す。


「すみません! 通してください!!」


 人をき分けながら二人の後を追う。だが二人は既に人ごみを抜け、演舞祭会場の外へと行ってしまう。やがて高い垣根のある道を曲がっていった。


(逃がさないわ!)


 ようやく人ごみを抜け、続いて志乃が垣根を曲がる。

 そこで志乃が見たのは……。


「嘘……いない……?」


 垣根を曲がった先、そこは川が流れていて道が無かったのだ。確かにここに来た筈なのだがどこにも姿が見えない。二人は煙のように消えてしまった。川を飛び越えて行ったとでもいうのだろうか? そんな馬鹿な! 必死に探すも、辺りに人の気配は全く感じられなかった。


(……逃げられた……一体なんだったの)


 まるで狐につつまれたような面持ちのまま、諦めて戻ろうとした。


「キャッ!!」


 振り返った志乃は心の臓が飛び出るほど驚く。

 戻ろうとしたその道の先、佐夜香がいた。


 志乃を追ってきたのだろう、軽く息が上がっている。そして表情は明らかに怒っていたのだった。試合前の穏やかな表情とは打って変わり、鬼気迫るものがある。


「……」

「……」


 二人の間に言いようの無い雰囲気が漂う。間違いない、わざと負けたことがばれたのだ。横を抜け通ろうとした志乃を、佐夜香は両手を広げて通させない。


「……私に何か御用?」


 佐夜香は白々しいとばかりににらみつけ、口を開いた。


「先程は一体何の真似ですか? 何故わざと負けてみせたのですか?!」


 やはりばれていた!

 どう言い訳しようか考える志乃に、更に追い討ちがかけられる。


「失礼とは思いましたが貴女の答え、見せて頂きました! 塗り潰された文章を解読する術くらい、私だって持ち合わせています!」


 そんな術が……!

 こんなことになるとは! 自分でさっさと処分するべきであった!


「どうして、どうしてあんな真似を……。私は正々堂々勝負がしたかったのに……」


 それは志乃にとっても同じことだったが、佐夜香は怒りとも悲しみとも取れる表情で訴えかける。今までに見たことの無い悲しい目だ、見ているのが辛い。志乃は目を逸らすため黙って下を向くしかなかった。志乃の背中を押すように風が吹く。夏だというのに風はとても冷たく、骨身に染みった。


「誰かに負けるよう言われたのですか? 私が……芳賀はが家の人間だからですか?」

「それって……どういう?」


 志乃は芳賀家のことを何も知らない。ゆえに佐夜香が何を言っているのかわからなかった。だが言葉から察するに、佐夜香が由緒ある家柄なので「接待する為わざと負けるように言われたのか?」と言っているように認識してしまった。

 そして次には自分でも驚くべき言葉が口から出ていた。


「貴女は正々堂々勝負したかったのかもしれない。でも私は元々誰かと勝負するためにここに来たわけじゃないから……試合に勝てたのだからもういいでしょ?」


「っ!!」


 問い詰めにきゅうした志乃の返答、それは佐夜香との間に壁を作り、逃げることであった。貴女は実力で臨みたかったのかもしれないが、自分は仕事で来た。大切な恩人や大勢の命を守るため、ああするしかなかった。悪者と思われてもいい、正直もう放っておいて欲しい。自分は二度と演舞祭に出ないし、貴女と戦うことも無い。

 それにこんな事態になったのは佐夜香との試合が発端ではないか。正々堂々などと口にはしているが、あの脅迫文が佐夜香と無関係とも言い切れない。信頼できる保証などどこにも無いのだ。


 もう会うことすら無いかも知れない佐夜香と自分を、容赦なく切り放した。


(えっ…?!)


 だが、今の一言がいけなかった。先程まで怒りの余り、顔を赤くして身を震わせていた佐夜香の目から、大粒の涙がこぼれた。


「…………あんまりよ……貴女とお友達になれると思ってたのに……」


 顔を両手で覆い、声を上げて泣き出してしまった。

 佐夜香の言葉が志乃の胸を貫き、頭の中に何度も響いた。


 年上の少女を泣かせてしまった…。

 純真に戦おうとした者の心を踏みにじってしまった…。

 もう少しで手に届いていた筈の宝物が遠くへ行ってしまった…。


 悪役を買った代償、失ったものが余りに多過ぎた。


『志乃──!!』


 佐夜香の後ろの方でイロハの声がした。見るとイロハと典甚がこっちに向かってくる。戻ってこない志乃を心配し、探しに来たのだ。

 人が来たことに気が付いた佐夜香は、向きを返ると志乃を置いて走って行ってしまった。その途中イロハとぶつかりそうになる。


「うわっと?!」


 二人は志乃を見るなり、驚いた様子で駆け寄ってきた。


「……志乃!」

「どうしたんだ? 今の奴に何かされたのか?!」


「………え…?」


 自分の顔に何か付いているのに気がつき、ほおを拭う志乃。その時、初めて二人が何に驚いているのかがわかった。志乃は自分でもわからないうちに泣いていたのだ。

 辛いことが一度に押し寄せ、志乃の心は麻痺した状態になっていた。しかし、悲しいと思う気持ちは形となって表に出ていたのである。


「……帰りたい……もうここに居たくない……」


 下を向き、そう呟くだけでいっぱいだった。


(志乃……)

「わかった。駕籠を用意させる」


 どう慰めていいかわからないイロハ、黙って手を握り肩を抱くように連れて行く。そのイロハの優しさに甘えるかのように、志乃からは一気に涙が溢れ出した。


(畜生…! なんで志乃をこんなに!)


 腹から怒りがこみ上げるも、志乃を気遣いぐっと堪える。

 うめく様な泣き声を聞きながら、典甚は深く傘を被り直した。

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