第4話 山の中で見つけた物体X


 二日後の午前中、優衣は市の郊外にある介護施設を訪れていた。介護士に案内されて一室を訪れると車椅子に座った老人が外を眺めている。

 正面に回り込むとそれが養父だと確認できた。だが養父の目は焦点が定まっておらず、ただぼーっと窓の外を見るばかり。


(じぃちゃん老けたな)


 まるで反応のない養父の手を握ると、しわがれた手は今まで水に浸かっていたかのように冷たく、そして乾いていた。


「じぃちゃん、優衣だよ? 暫くだったね」

「……優衣……か?」


 か細い声で返答し、丸くした目でこちらを見た。


「うん! 学校卒業できたからじぃちゃんに会いに来たんだよ!」

「……………………」

「じぃちゃん?」


 養父は顔を両手で覆うと声をあげて泣き出した。


「おぉぉ…! 優衣が……優衣が連れてかれるっ……!!」

「じぃちゃん!? 優衣はここにいるよ?!」


「天狗様に連れてかれる! 優衣が居なくなっちまう!」

「じぃちゃん何を言ってるの!? 誰も優衣を連れてったりしないよ?!」


『どうしたの? 山ノ瀬さん? なにかあったの?』


 異常に気が付いた介護士が駆け寄るも、ただただ頭を抱え泣き叫ぶ養父。優衣は成す術なくその場に立ち尽くし、恐ろしいものを見たかのように頭が真っ白になった。



 誰もいないバス停の前で一人たたずむ優衣。


『急に優衣ちゃんが会いに来たからお爺ちゃんびっくりしちゃったのよ。次は大丈夫だからまた会いに来てね』


 気を利かせた介護士がそう言ってくれたが、今はショックで次会いに来る時のことなど考えられない。目線を上げると田んぼの土手に蝶々が飛んでいるのが見えた。


 どうしよう、もう帰ろうか……。


(ううん……せっかくここまで来たんだし)


 ポケットから取り出したのは例の地図。そう、優衣はこの目的地へおもむくことを決めていたのだ。リュックには防寒具や数日分の食糧が入っている。園江には友達の家に泊まってくると連絡した、野宿覚悟である。


 誰かのいたずらだと思うが、とにかく今は気晴らしになる何かが欲しい。最近……いや、高等部に上がってから嫌なことばかり起こる。一時でも将来のことや養父母のこと、その他いろんなことを忘れたい。そんな気持ちからだった。


(それにしてもバス遅いな)


 一日に4本しかバスが通らない田舎。予定より12分過ぎてようやく坂を上がってくるのが見えた。


 40分後、バスは終点の道の駅へと着いた。練乳アイスを舐めながら地図を見て考える。


(高天岳がここだからもう少し西へ歩いた方がいいかな。山頂なら視界が開けて何か見えそうだし)


 バスはここまでで、山頂を目指すならここから歩いていかなくてはならない。

 アイスを食べ終わると舗装された道を徒歩で登り始めた。


 更に20分後……。


(つ、疲れた………)


 ようやく山頂の展望台に着いた。展望台には駐車場があり、車やバイクが数台止まっている。登山目的以外に徒歩で登ってくる距離ではない。


(帰りはヒッチハイクでもしようかな)


 目的地確認のため展望台に上り北の方角を見渡す。ここに登ってくる途中、ところどころ雪が残っていたが、隣の山はほぼ白い雪で塗りつくされている。

 山の天気は荒れやすい、天候が悪化しなければ良いが。


(今日と明日は晴れの予報だったし大丈夫よね。避難小屋が途中に無くても簡易テントも持ってきたし)


 さて、ここからどう進むか。

 目的地の方を見下ろすと木の間から遊歩道があるのが見えた。

 あそこから山を下れそうだ。


『おーい、お姉ちゃん一人でどこいくのー?』


 遊歩道に入ろうとしたところで呼ぶ声が聞こえた。驚いて振り向くとガラの少し悪そうな男が数人。


『そっち行ったって何にもないよー。それより今から俺らとドライブしない?』


「あはは……また今度ー!」


 逃げるように遊歩道を進んでいった。



 つつじの木で囲まれた細い坂道を優衣はゆっくりと下っていく。決して走ったりしてはいけない、危険だという理由もあるが坂道は登りより体力を消耗するのだ。登山部だった訳ではないがその程度の知識は優衣にもあった。


(登山部入ればよかったかな。そしたらこの場所まで楽に行く方法を考えられたかもしれない)


 と考えたが、そもそも名のあるわけでもないこの辺りの山を登山部が登るわけないな、と思った。


 そんなことを考えていると視界が開け、木でできた手すりが現れる。どうやら遊歩道はここまでのようだ。道はもう一本あるがこのままいくと今来た道を引き返してしまう。目的地の方向は柵を越えてコンクリートで固められた壁を降りなくてはならない。高さは2m程あり、そこから熊笹の生えたなだらかな坂になっていた。


 ともかく行けるところまで行ってみよう。


 優衣は辺りに人が来ないのを確認し、柵を越えて慎重に下に降りようとする。当然足がつかず飛び降りた。


ドサッ!


「っつってて!」


 リュックの重みで背中から落ちごろんと一回転!

 落ちた衝撃はリュックが吸収して怪我には至らなかった。


(あっぶない! 勢い付いたら下までまっさかさまだった。ちょっと雪が積もってるけどなんとか歩けそうね)


 優衣は途中にある雑木や岩などに捕まりながら慎重に降りていく。なだらかに見えた坂が意外と急だったからだ。ところどころぬかるんでいるところもあり転びそうになる。


(きついなー……って本当は入っちゃいけないところだしね……あれ? )


 下の方の岩に黒い大きな物が横たわっていた。あれが地図にあった目的?

 いや、いくらなんでも着くには早すぎる。

 何だか嫌な予感がした……。


(まさか熊!?)


 サ-っと血の気の引いていくのが自分でもわかった。小さな山でも熊は出るのに、ここで出ない筈がない。もしかしたら冬眠から覚めて食べ物を探しているのかもしれない、危険だ!


(どっどどどどうしよう?! あっ……熊よけの鈴持ってきたんだった……ってこんな近くで鳴らして効果あるのこれ?!)


 幸いこちらに気づいていないのか、黒い物体はピクリとも動かない。意を決して鈴を鳴らしてみる……が、やはり状況は同じだ。もしかして熊ではないのか?


(それとも寝てるとか? ともかく近づかない方がいいわね)


 黒い物体を警戒しながら回り込むようにしてゆっくりと降りていく。

 だがその分足元への注意が疎かになり、うっかり足を滑らしてしまった!


ズザザザッ!


「ギャッ」


 更に運の悪いことに物体の近くへ滑り落ちてしまった。生きた心地のしない優衣、暫く石になったように黒い物体へ目が釘づけとなる。


(ひぃぃ!………?………あ………あらら?)


 よく見ると人間ではないか!

 しかも学ランを着ている、黒く見えたのはその為だった!

 

 ほっとしたのも束の間、再び優衣に恐怖が襲い掛かる。


(この人、どう考えても死んでるよね……どうしよう、死体見つけちゃったよ……)


 顔はむこうを向いているので見えないが、学ランを着ているということは学生だろう。最近学生が殺人に巻き込まれて山に捨てられる事件をよくニュースで耳にする。血痕は見当たらないがともかく人を呼んできた方がよさそうだ。


 もう宝探しごっこどころではない!


『……ん』


 だがその時、死体の手がわずかに動いた!

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