08.

 ずるり、とカルマが僅かに移動する。先程までそれが立っていた場所は急速に劣化し、腐り落ちていた。ちなみに、先程自分が立っていた場所もじわじわと音を立てて同様に腐り落ちている。

 こんなもの、生身の人間が受ければ即死ものだ。心中でフェイロンに多大な感謝をしつつ、恐々とカルマを見つめる。


「あ、ありがとう……。っていうか、どうしようあれ!! 私、賞味期限が過ぎた挽肉にされちゃうよ!!」

「何ぞ、その無駄に的確な例えは……」

「もう一回トライしてみる」


 最近パワーアップしたのが判明した念動力ならば、あの栓を閉める事など訳無いだろう。妨害さえ入らなければ。

 珠希の襟首を掴んだままのフェイロンは油断無くカルマの動向に目を光らせてくれている。今のうちに作業を終えてしまおう。


 コルクの栓をうっかり破壊してしまわないように細心の注意を払いながら、キュッと軽く栓を閉める。今度はカルマの妨害もなくスムーズに事が運んだ。大きく動いた後には、少し休憩しなければ次の行動に移れないのだろうか。


「変化は、無いね」


 すでに入り口付近にまで撤退していたイーヴァがポツリと呟いた。目を眇めた彼女は首を横に振る。


「ダリルとロイを呼んで来る」

「アイツ等どっちも近接攻撃型じゃん。止めとけ止めとけ、無駄な人間が増えるだけだ」

「じゃあどうするの、コルネリア」

「うちには珠希チャンがいるだろ? スライムやった時の要領でプチッとやっちゃってよ」


 ――無 茶 !!

 何故、彼女はいつだってキャパシティを遥かにオーバーしたような要求をしてくるのだろうか。抗議の声を上げようとしたが、フェイロンが再び襟首を掴んだまま大きく移動した。蛙が潰れたような声が肺から押し出される。

 2度目の攻撃を回避したフェイロンが代わりにコルネリアへと反論した。


「おい、遊んでいる場合では無いぞ。魔法を使え、魔法を」

「今やってるだろ。あたしの準備が整うまで、珠希に時間を稼がせろ、て言ってんだよ」

「ならば最初からそう言え、紛らわしい。右も左も分からぬ小娘にカルマの相手を丸投げする気かと思ったぞ」


 また本人そっちのけで会話が進んでいる。酷くデジャブを感じる光景だが、もう慣れたものだ。珠希は話をしている間に右手を対象へと向ける。生憎、ボディの色が色なので核などがあるのかは不明だが、生き物感がまるで無いのは正直助かった。

 どんなに凶悪な魔物だろうと、人間や犬猫の姿をしていれば締め上げてしまおうなどという発想は湧かなかっただろう。

 現代日本では考えられなかった暴力的発想の元、カルマを押し潰すように念動力を使う。それは全く抵抗なく、上からの力と床に押し潰されてぺしゃんこになってしまった。


「……えっ!? いやいやいや、呆気なさ過ぎ! こ、ここまでするつもりは無かったのに!」

「殺すつもりはありませんでした、とか言ってる人殺者みたいな発言は控えた方が良いのではありませんか?」

「冷静に注意された!」


 ランドルに窘められた。しかし、そんな事はどうでもいい。まさか、本当に――

 謎の不安を覚えていると、厚さ1センチくらいの大きさになっていたカルマがゆらりと元の質量を取り戻した。何だ、やっぱりあの程度でどうこう出来る存在じゃなかった。

 一連の出来事を見ていたフェイロンが肩を竦める。


「うむ、主の攻撃は全く通用せぬようだな。効いている様子が無い」

「何だろうね。本来、「ですよねー」って言える状況なのに謎の悔しさが湧き上がってきてるよね。ハッ、まさか私、徐々にファイターとしての才能に目覚めてる!?」

「はァ?」


 フェイロンと殺伐トークを楽しんでいたが、不意に目の前を何かが過ぎった。それはカルマに着弾すると同時、派手に火の粉を撒き散らしながら爆発する。イーヴァの小さな悲鳴が聞こえた。

 ランドルが非難がましい声を上げる。


「ちょっと、何を考えているのですか? ここ、建物の中ですよ。生き埋めになりたいのですか」

「お、おう。そんなに怒る事無いじゃん……。ビックリしたわ」

「こっちが驚きましたよ。貴方の常識の無さ加減に」

「マジギレなの、それ?」


 コルネリアの使った何らかの魔法が爆発という作用を引き起こしたようだった。イーヴァは大丈夫だったのだろうか。傍には非力なランドルしかいなかったのに。

 舞い上がる砂煙の中、うっすらとカルマが変わらずそこに鎮座しているのを認める。しかし、先程自分が攻撃した時と違って、伸び縮みを繰り返しているのが見えた。見ようによっては痛がっている、悶絶しているようにも感じられる。


「フェイロン、あれは効いてるって事?」

「魔法が有効であったようだな。このまま、奴に任せて主とイーヴァを外に逃がそう」

「ついでにサボろうとしてるよね?」


 目を逸らされた。

 しかし、その逸らされた目が見開かれる。驚きの表情に釣られて、珠希もまた視線の先を見やった。


 不定形だったカルマが形を変える。伸び縮みをし、質量を完全に無視した量を言ったり来たりしながら、一つの形へと。

 それはまるで少女のシルエットだった。

 イーヴァや珠希と同じくらいの背格好、軽くウェイブの掛かった長髪。小さな頭に、ふんわりとしたワンピースを着用しているようだ。とはいえ、影絵のように表情や服の細部までは分からないが。


「何だ……?」


 異様な光景にフェイロンが身構えたその刹那。

 少女の姿をしていたカルマが再びドロリと溶け出し、そして先程からは考えられない速度で窓へ突進。ガラスはとうに無くなってはいたが、窓から凄まじい勢いで外へと飛び出して行った。

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