05.

 見た目の割に強い力で連れて行かれた先は先程のドアとは違い、両開きの広い扉だった。


「すいません、あの、ちょっと……!」

「アバカロフ……クルト……」

「はあ!?」


 何を言っているのか全く分からないが、ただ一つ言える事がある。この召喚師、明らかに正気ではない。横顔しか見えないので何とも言えないが、心なしか目も虚ろに見える。

 扉を片手で開いた召喚師が半ば珠希を投げ入れるように部屋へ押し込み、扉を閉める。『心当たりのある仲間』という名目でこの部屋まで来たはずだが、人の姿は無い。どころか、完全に関係者以外立ち入り禁止の体をなしていた。

 それは一種異様な光景とも言えるだろう。

 完全な石壁に窓は無く、ただ一つ祭壇のようなものが体育館のように広い部屋の一番奥に鎮座している。それはどこか神々しくもあり、そして典型的な『何の宗教に入って居るのかも定かではない』タイプの日本人である自分には少し不気味にも感じる。

 そして床。ここが体育館であったのならば、何かに使うラインのようなものが床一面に描かれていても違和感は無いが、言うまでも無く床も石造りだ。その石造りの床に直接彫り込まれているのはまるで魔方陣。一番大きい円から中へ中へ、理解の及ばない幾何学模様や見た事の無いアルファベットに似た文字が描かれている。


「4つの界を繋ぐ父よ……我々に新たなる出会いと、幸福を……」

「ヤバイ、完全にカルト宗教みたいな事言い出してる……!」


 ここまで連れてきておいて、珠希を無視し魔方陣の中心に進んで行く召喚師。その間に、入って来た扉へ走り寄る。どう見ても様子がおかしいし、生命の危険すら感じる。早く逃げなければ。

 扉の取っ手に手を触れた時だった。強い静電気のようなものが奔り、手が弾かれる。幸いにして静電気程の痛みも感じなかったが、その後何度手を伸ばしても結果は同じだった。まるで見えない壁がそこにあるように、伸ばした指先が弾かれる。

 仕方ないので力任せに扉を殴ってみても、こんな荘厳な扉が何も鍛えていない、部活動にすら入っていないひ弱な女子高生の腕力で破れるはずもがなかった。


「誰か!閉じ込められたんです、助けて!!」


 叫んでみるもあまり向こう側に声が届いている気がしない。石の部屋では声など壁に吸い込まれてしまっている。

 カラン、と背後で涼やかな音がした。

 振り返ってみると魔方陣の中心に立った召喚師が、いつの間に手にしたのか金色の杯をその中心に置いたようだ。着々と何かの準備が進んでいる状況に焦りだけが募っていく。

 どうにか外の人に助けを求めようと扉を叩き、叫ぶが効果は上がらない。

 そうこうしているうちに、肩に骨張った手が触れた。


「こちらへ来なさい」

「いや行きませんよ、ちょっと、正気に戻ってくださいって!」


 手を振り払おうと振り返って、珠希の動きはものの見事に硬直した。

 出会った時は優しげなおじいちゃんみたいな顔だった召喚師はどこを見ているのか分からない、虚ろでぼんやりとした顔をしている。しかし、肩に掛けた手とは反対の右手には銀の上品なナイフを握っていたのだ。


「ひっ……!?」


 扉から離れ、召喚師から距離を取る。脳内には明日の新聞の一面を飾る殺人事件がチラついていた。いやだ、そんな形で有名にはなりたくない。


「父に捧げる……契約……」


 じりじりと召喚師から距離を取っていたが、逃げる姿勢を見せたせいか、彼は動きを止めた。機械のようにピタリと足を止めたその人は大きなポケットに手を突っ込み、1枚のカードを取り出す。

 カード、とは言ってもサイズはかなり細長い。タロットカードのような形だろうか。以前、珠希が錬金術の時に使っていたものとどことなく似ている――


「――召喚」


 一連の意味不明な単語の羅列が、急に繋がったような感覚。その一言で、今までの単語は全てここへ向かって来ていたのだと本能的に悟る。

 しかし、謎が解けた余韻に浸っている暇は無かった。

 酷く複雑な模様の描かれたタロットカード。その模様が浮き上がり、何かのゲートのようにぽっかりと口を開いたからだ。


「何?え、マジで何なの……」


 低い語彙力で訊ねてみるも、やはり虚ろな顔をした召喚師は答えない。答えないが、例のゲートから黒い犬のような前足が伸びて来た事で思考が中断される。のそのそ、と真っ黒い大きな犬が魔方陣のゲートから出現した。

 自然界の動物とは到底思えない、血のように赤い瞳。サイズはサファリパークで昔一度だけ見た雄ライオン程もある。そして、その足の数は8本――厳密に言えば間違い無く犬という生物ではないだろう。それは珠希を威嚇するように低く呻った。


「行け、血を捧げよ、父への」


 召喚師の合図に従い、呻っていたそれが飛び掛かって来る。足が8本もあるだけあって、その動きは目を見張るような速さを持っていた。

 悲鳴すら上げる暇も無く、飛び掛かって来た巨大な生き物に押し倒される。かなり盛大に転んだはずだが、いつかの人狼の時みたいに衝撃はほとんど無かった。無かったが、だからと言って珠希を下敷きにしているその生物がいなくなる訳ではない。

 犬みたいな生き物が喉元に噛み付いて来る。


「うわっ!?」


 咄嗟に腕で人体の急所を庇うが、代わりにまるで腕の骨を粉々にするような勢いで二の腕に噛み付いてきた。


「――あれ?あれ、痛くない!ま、まさか甘噛み……!?」


 全く痛みを感じない。しかし、例の生き物はと言うとがじがじと腕に食らいつき放そうとしなかった。

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