08.
へぇ、と気の抜けた返事をする珠希を尻目に、カードに魔力を送る。召喚に使う魔方陣というのはこの世で最も複雑だ。最初にこれを考えついた人間には拍手喝采を送りたいし、発明してくれて有り難うという感謝の念も絶えない。
浮かび上がった術式。それを釜の口部分へ移動させる。召喚ランクが低い自分は素材液を喚び出すのだって魔力量との勝負だ。地面に溢すなんて勿体ない。
紺碧色の液体がじわりと魔方陣から溢れだす。日光を受けて僅かに輝くそれは思わず手を止めてしまう程には滑らかで美しい。
「うわあ、綺麗な色だなあ。ビードロみたい!」
「ビードロ?それはよく分からないけれど、この素材液の正体は先人でさえ解明出来なかったらしい」
「へぇ、それはロマンがあっていいよね!実はその素材液が凄く危険なモノで、先人さんとやらが隠してる、とか!何かの設定でありそう!」
「それはゾッとするから止めて欲しい……」
笑って話す珠希の思いつきに薄ら寒いものを覚えたのは、得体の知れないモノを使っているという自覚があるからだ。この素材液が何で出来ているのか、召喚術で喚び出せる事から何かの生物の一部かもしれないが――
いや止めよう。今はそれを考察している場合では無いし、珠希がずっと期待の眼差しで待っている。
「じゃあ、鉄のインゴットでも生成してみようか。初歩の初歩、錬金術の入門編という事で――興味があるのなら、インゴットを元の素材に戻してみる?珠希」
「やるやる!よろしく、イーヴァ先生!」
「私なんて、まだまだ誰かの師を名乗れる程じゃないよ」
「いやノリじゃん!真面目か!」
珠希の軽すぎるノリには時折ついて行けなくなる。
深く考える事を止め、イーヴァは素材袋からいつかの人狼の爪を取り出した。異界人保護の観点から、こういった素材の所持は禁止されているので周囲の人影を確認した上でだ。
「う、うわ、あの時の……!?剥がしたの?」
「爪切りで切り取った」
「それはそれでドン引きだよ……」
「随分と平和な世界で生きて来たんだね、珠希。とても羨ましい」
「人の爪を勝手にカッティングしちゃう人に言われても……あ、これはまさか、皮肉!?」
「ううん。本当に羨ましいと思っているよ」
言いながら、素材液に触れないように爪を釜の中へ放り込む。
錬金術において最も大事なのは「生成したい物質」と「材料」の価値が同等である事だ。先にも述べた通り、錬金術とは1を2にするのではなく、1aを1bに変える技術。本来は特をする魔法ではないのだから、その先入観は邪魔にしかならない。
――ただ、何事にも上手くやる者はいるのでその時折によって変わる人間の価値観を利用した錬金術による商売で一財産を築いた者もいる。錬金術師と商人のハイブリッドこそ大正解だったというわけだ。
「あとどのくらいで出来るの?まだ何かするの?」
「気持ちを込めて、ヘラで液体を混ぜる」
「ケーキでも作ってるのかな?」
木製の大きなヘラで釜の中身をかき混ぜる。この素材液が素材に付着、術使用者の意志を汲み取って物質を再生成。ただし、この素材液に何故このような力があるのかは一切不明だ。珠希の言う通り、偉大なる先人はその答えに辿り着いているのかもしれないが、真相は闇の中である。
無心で釜の中をかき混ぜていると、ヘラの先に硬い物がコツンと当たった。完成したらしいので、上手い事ヘラでそれを掬い上げる。これが案外難しいが、何度も錬金術を使用している間に慣れた。
「おおおお!?本当に鉄のインゴットだ!延べ棒!触っても良い?」
「良いよ」
「熱くない?火傷したりしない?」
「大丈夫」
久しく見ない新鮮な反応。生きている世界がまるで違うのか、珠希は変な事に関心を持ちやすい傾向にある。逆に、ダリルやロイの戦闘技術についてはあまり好ましく思っていないようだ。
差し出した鉄の塊に触れた珠希は不思議そうな顔をしている。
「ひんやりしてる……何でかは忘れたけど、こういうのって出来立てはほかほかしてるもんじゃない?冷たいね」
「原理はよく分からないの」
「よく分からないものを使うのって恐く無い?爆発とかしたらどうすんのさ」
「……あまり、考えた事が無いけれど、事象は全て説明出来るものじゃないと駄目なの?問題無く使える事が証明されているのに?」
「私は安全が保証されているものしか使わないよ。それでも、事故が起きたりするのに、得体の知れないものはちょっと……」
――随分と不確かなものを信じているんだな。
僅かに脳裏を過ぎったのはそんな言葉だった。安全が保証、明日を生きられるかも分からないこの混沌とした世界でそんなものをいちいち確認するなど手間だ。
それにさ、と珠希はやはりしきりに首を傾げている。それは純粋な疑問だ。
「人狼の爪と鉄の延べ棒がイコールな理由もよく分からない。それは何か同価だって理由があるの?」
「同じくらいの入手難度だから」
「そんなザックリした感じで良いんだ。私には爪と鉄が同じ価値だとは思えないんだけど」
その件については錬金術使用者であるイーヴァもまた、最初期に覚えた疑問だった。偉大な錬金術の開発者はあらゆる物質の生成結果を記録に残したが、同じ手順で生成し、成功したのはほんの一部。逆に、生成した記録がない物質でも成功する事だってある。
価値観というのは移ろうものだ。それに形を付け、数字や記号を割り振るのは実質不可能である。
「――じゃあ、珠希。その鉄インゴットを人狼の爪に戻してみようか」
「いやいやいや!生ものと鉱物!」
「これで生成出来たのだから、逆も可能だわ」
「その理屈は絶対におかしいと思うけどね!」
喚く珠希を無視。最近気付いたが、彼女の軽口に一から十まで付き合っていれば日が暮れる。賑やかで良いが、人狼の爪なんて法外な素材を所持している以上、あまり時間を掛けたくない。
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