08.
考える事が多すぎる。
こっちを考えるとあっちが立たず、随所で壁が出現し、あらゆる所で矛盾にぶつかる。こんなんじゃ、いつまで経っても――否、もう実は帰宅なんて無理なんじゃないだろうか。
村内を歩きながら悩ましげな溜息を吐いてみた。
静かな場所だ。車の走る音も無ければ、楽しそうにお喋りしながら過ぎて行く団体様もいない。
「……あっ」
普段使わない頭をフル回転させていたからだろうか。
直前まで、道の真ん中に人が立っている事に気付かなかった。
白い不気味な面に頭からすっぽり被ったローブ――いやホント、何でこんな不審者が目の前にいるのに気付かなかったんだ。
自分の間抜けさに絶句していると、道の真ん中に立っていたお面男は一歩、足を踏み出した。それは今からどこかへ移動する、というような動きではない。誰かが通り掛かるのを待っていて、ようやく人が通り掛かったので動き出した、というような動きだ。
――えっ、ヤバイヤバイ!何か用事でもあんの!?道を教えて下さい!?言葉通じるのかな、この人!
様々な嫌な想像が脳裏を駆けていく。
英語なんて全く話せないので、地図を片手に近付いて来る外国人観光客にさえ萎縮するのが自分だ。こんな言語が通じなさそうな人に何か訊かれても的確に答えられる自信は全くない。
ゆっくりと近付いて来ていたお面男はしかし、珠希が数歩後退りした事で逃げようとしていると思ったのか、歩くペースを上げた。もう早歩きというか、競歩のような速度だ。
堪らず背中を向け、宿の方へ走る。
異様な速度が心底恐ろしかったのだ。
「うわあああ、おまわりさーん!」
逃走劇は目を見張る程すぐに閉幕した。
走り出してものの十数秒で肩を思いきり掴まれ、強制的にお面男と対峙する事となったからだ。
「ひぃっ、な、何ですか!?知らない人に着いて行っちゃ駄目だって、うちのばっちゃが……」
スッ、と無言でメモ帳を突き付けられた。
驚く程丁寧な字で、そしてやはり驚く程簡素な言葉が書かれている。
曰く――『早く帰れ』。
「は?……え、っと?」
メモ帳の文字を読まなかったと解釈したのか、男はメモ帳に書かれた文字を指でなぞり、トントンと指先で叩く。読め、とゼスチャーされているのは分かるが、読んだ上での感想がこれである。他にどうしろと。今帰れなくて困っている人間相手に残酷な要求をしてくるものだ。
――逃げよう。
他に人影は無いし、もしこの男が人攫いが目的だったりする人物であった場合、大変危険だ。とにかく人が多い所まで走らないと。
すでに肩に掛けられていた手は退かされている。
普通に走ったんじゃさっきみたいに、すぐ追い付かれるだろうから、隙を見て思い切り突き飛ばして、そして宿まで全力疾走。宿の付近にはダリルもいたし、声を掛けたら多分助けてくれるだろう。あの大剣が飾りでなければ。
軽く息を吸う。
――せーの!
「せいやっしゃぁっ!」
渾身の力で両手を突き出す。鈍い感触が両手に伝わった。もっと言うと、びくともしなかった。
しかし、ここで動きを止めては捕まってしまう。
あまり成功した気はしなかったが、珠希は脱兎の如く駆けだした。
気分はチーター。自分は今、彼の有名な陸上選手より速く走っている――というイメージトレーニングをしながら、走る、走る、走る。
どのくらい走っただろうか。宿屋の階段に座っているダリルを発見し、足を止めた。息は上がりきり、額には大粒の汗の珠が浮かんでいる。
そんな珠希を見て、ダリルは驚いたような顔で立ち上がった。
「うわっ、珠希ちゃん、マラソンとか趣味だったの?」
「いや長距離走る速度じゃないと思いますけど、これ……。いやいや、そうじゃなくて!私、不審者に追い掛けられてるんです!大人のダリルさん助けてください!」
「えぇっ!?本当かい?」
助けて欲しいとお願いしたものの、当然のように脇に置いてあった大剣を手に取られると微妙な反応しか出来ない。これがワールドギャップか。
「珠希ちゃん、誰もいないけど……?」
「あれっ、あり得ないんですけどまさか、撒けた?」
「どうかなあ。珠希ちゃん、足かなり遅いし、その人も君を追い掛けるつもりは無かったんじゃないかな」
「今足遅いってナチュラルにディスって来ませんでした?」
「あっ、ごめん。業とじゃないんだけど」
「業とじゃないけど、心の中ではそう思ってるって自白しましたね……」
――いやまあ、足は遅い。球技と体操系はかなり強いけど、足だけは本当に遅いのだ。それは認めよう。だから全然怒ってないし、落ち込んでもいない。
「大丈夫?俺、一時はここにいるから何かあったら呼べば行くよ。一応、旅には護衛って名目で着いて来てるし」
「うーん、流石にこれ以上出掛ける気にはならないので、部屋に戻りますね。不貞寝して来ます。汗も流したいし……そういえば、ダリルさんはここで何してたんですか?」
「俺?いや俺は、ロイと手合わせした後、やること無くてボンヤリしてただけだけど。そう、やる事無いんだよね……今も護衛、って事になってるけどイーヴァちゃんは良い子だから面倒事起こさないし、もう実質ただの金食い虫俺、みたいな事に――」
聞こえなかったふりをした珠希はダリルの横を通り抜け、宿の中へと入って行った。
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