第20話 報せ
そもそも修介と遥人は長距離トラック便を週に一度の割合で受け持っている。社長と副社長が長距離便で同時に会社を留守にすることがないように吉住は上手くシフトを組んでくれているし、聡子が予備としてシフトに入ることができるので充分に楽になったことは確かだ。
だが、いつもそうとは限らない。体調不良の社員が出たり、学校行事で家庭を優先する社員もいる。お互いがお互いに都合をつけて無理なく無駄なく仕事をするのがモットーであるために、運動会シーズンは忙しくなる。
加えて、この企画である。
他企業の、しかもライバルにもなる店舗に間借りして商品を陳列するなんて発想はなかったが、期間限定ということで相手企業にはカンフル剤にもなるし脅威にもならないという着眼点は驚きだった。しかも実店舗を構えるつもりはないと聡子は言いきった。
取引のある作家や工房は、他の業者とも取引していることが多く、キャラメルボックスの専属ではない。従って、他業者が実店舗を持っていることも珍しくなく、工房も傍らで商売として売っている場合もある。だから、敢えて本来の「インテリア小物」を小さな個人店舗で置くことを尊重しつつ、定期的に他企業とコラボしつつ販路を開拓することが第一、そしてネットでの通信販売に力を入れるということが聡子の戦略だった。聡子の基本は、定期的な購入をして欲しいリピーターを定着させることなのだが。
まだまだ先の話に修正は必要だが、今は他企業コラボが優先と修介はその成功を目指していた。
この日、朝一番に九条から電話があった。瀬川との話が本格的に進むことになったという。修介はウキウキと午前の営業に出かけてゆき、遥人は朝から往復3時間の短距離トラック便に出たと、連絡を入れた吉住が笑っていた。
金曜日の午後から長距離便に乗った聡子は戻ってきたのは昨日、日曜日の午後で、今日月曜日は朝から一日の休暇だった。休暇だからというわけではないが、送迎当番が割り当てられていて振り替え休日の小学生組をのぞいて中学生の剛史を学校に送り届けながら修介の妻の雪子を駅まで送っていった。
雪子は、高校で美術を教えながら芸術短大で教鞭を取っている。普段は学校近くのマンションで暮らしていて、週末や長期休暇に修介の部屋に通ってきている。勿論、修介も暇さえあれば雪子のもとに通っているのだが。
いずれ、もう少し落ち着いたら一緒に暮らすらしい。そのためにマンションを買ったのだから、と修介が常々ぼやいてる。雪子の顔を眺めながら作品製作するのが目標だというのだ。
「ホント、ラブラブなんだから」
吉住は呆れるようにそう言う。そういう吉住もラブラブである。聡子は幸せそうな彼らを見ながら資料ファイルを棚に入れる。
「で、聡子はラブラブになったの?」
不意に話を振った吉住に固まった。
「先週だっけ、ハルがね、工房のうら若い女性に告白されて、その返事が『俺には許嫁がいるから』ってすっぱり断っていたって。それを知った工房の親方が確認の電話を事務所にかけてきて、修介があっさりそれを認めた」
吉住がそう言った。
「ハルの許嫁って、貴女しかいないじゃん。生まれた時から親公認で。まぁ、紆余曲折あっただろうけど、ハルがはっきり許嫁って言ったの久しぶりに聞いたから、そう言うことになったんでしょ?」
大学からの同級生の吉住は、何でも知っているのかと聡子は驚いた。
途端に、聡子が動揺して何もいえなくなる。
「ほら、お姉さんだけにこっそり教えなさい」
とは言われても、こっそりも何もないじゃないか、と思う。あれから進展があったわけではない。そして「何か」あったとしたら事務所にいるメンバーには知れ渡るはずだ。
艶めいたことなど一切ない。まぁ、テレビを見ているときに手をつないだり、ちょっとキスすることはあるが。
返事に困った聡子を見て、吉住がはぁぁ、と長いため息をついた。
「あの朴念仁め」
吉住が思いっきり怒っていた。
「怒らない、怒らない」
聡子は笑いながらそう言って最後の資料を棚にしまった。
「なだれ込み状態で一緒に暮らしているけど、本当に大丈夫よね?聡子が嫌で拒否権発動できないって事ないわよね?」
吉住は真剣にそれだけを確認してくれた。
「えへへ、ん、幸せです」
聡子は恥らいながら肯定した。それで十分とばかり吉住が笑った。
その最中、聡子の携帯が鳴る。
「はい、おはようございます。貴子伯母さん?」
和也の母親の貴子からだった。貴子は電話して大丈夫な状態なのかを確認してから、伝えてきた。
つまり、倫人の容態が思わしくなく、会わせたい人がいるなら会わせた方が良いと医者に言われたと。
既に岩井夫妻や登紀子にも連絡した、遥人の携帯番号を知らないので聡子から知らせて欲しいという用件だった。
聡子は電話を切ると深呼吸した。
「何かあった?」
吉住がさりげなく聞いてくる。
「倫人おじさん、えっと、ハル兄のお祖父ちゃんに当たるんだけど」
「もしかして、おじさん先生って呼ばれている人?」
「そう。もう危ないかもって。会わせたい人がいるなら今のうちにって」
「ああ、わかった。スケジュール手配するわ。ハルとサトちゃん2人同時に何日も、というのは無理かもしれないけど…」
「ハル兄の長距離を外して私にまわせば、ハル兄は動けるよね」
「でも」
「基本、私がカバーに入る。ハル兄がいないとシャレにならないから。倫人おじさんは分家トップで、ハル兄は直系になるの。私は本家筋だから基本、通夜と葬儀のどちらか出席で済むし、ハル兄のフォローしているといえば出なくても誰も怒らないから」
そう話しながらシフトの確認をしながら母に電話する。
母は仕事中のはずだが、運よく電話に出てくれた。
「ごめん、母さんだから…そういう仕事をしているからこそ聞きたい。倫人おじさんに残された時間はどれ位か。ハル兄にはずっとそばにいて欲しいから、できるだけ詳しく教えて欲しい。ハル兄の仕事はこっちでカバーするから」
「サトちゃん!そんな言い方!」
吉住が半ば叫びながら聡子の言葉を非難した。
「いいの」
吉住を手で制して、母からの言葉を待つ。少しだけ躊躇った後、登紀子は貴子が言った数字よりも短い数字を言い、それがお互いに意思疎通ができる時間だと言った。それ以上は、恐らく痛み止めが効かなくなって鎮静作用の薬を使うことになり、そうなると眠ったままになるので意思疎通はできず、最期の時までその状態が維持されることになるだろうと。担当している在宅ケアの医師の湯川とは倫人と優斗立会いの下で何度も話しているとのことで、今回のことも事前に連絡があったのだと言う。
現在かなりの量の痛み止めを使って痛みを押さえてはいるが、だんだん効かなくなっており、優斗夫妻も本人もぎりぎりまで意識を保ちたいと希望しているが、母のほうからも倫人や優斗夫妻を支えて欲しいという依頼があったという。「会わせたい人がいるなら」という言葉を使ってリミットを仄めかしたのは湯川からの心遣いだと母は言った。そして湯川と意見が一致した個人的な見解だがと前置きをしてから、倫人の年齢と体力の低下を考えると、残された時間は少ないと判断しているという。
「わかった、ありがとう。今日私は休みだから会ってくるよ」
その言葉に登紀子が頷き、電話の向こうで聡子をなじった吉住の存在に触れ、そんなことを言ってくれる人はいないから大事にしなさいと登紀子は笑っていた。
「当たり前じゃない。こんな大切な人はいないよ」
聡子は当たり前のように言い、親子はそれで会話を終え、吉住に向き合った。
「よっちゃん、向こう10日の社長のスケジュールを調整してくれる?長距離は私が入るから」
「でも他のスタッフだと…パニック発作起こすんじゃぁ…」
「今の段階ではとりあえず大丈夫。ウチの社員は安全圏」
「わかった。10日間ね。大丈夫だと思う」
「実際はもっと少ないかもしれなけど、希望は持ちたい」
吉住の顔が引きつる。
「ハル兄から何を聞いてるか知らないけど、倫人さんはハル兄にとってお祖父ちゃんであり父親であり、秋人さんが亡くなった後は文字通り父親だったんだ。でも、静子さんの再婚のことを考えて、姻族関係解消をした。話し合いの末のことだけど、それを良く思わない親族もいたし、ハル兄を連れて出て行ったことにも納得していない親族もいた」
「どういうことなの」
「変な話だけどね、分家の親族ってやたら頭が古いというか何と言うか。女性は家庭に入って専業主婦になれとか、夫を失ったら一生再婚するなとか、そういう考えの人が多いの。だから結婚しても働き続ける静子さんは異色の存在だったし、子供が生まれてからも働くなんて言語道断なんて、かなり親族の間ではいろいろ。倫人さんは義理の父親だから勿論言われ続ける立場の人なんだけど、ずっと静子さんを庇っていた。無責任に腰掛け就職する女性よりも責任感があって良いとね。本家筋も同じ考えなんだけど、まぁ考えの古い年寄りはいるもんでね」
聡子は苦笑した。
「事故で、まぁ、お金が絡むことだから何かしら言われることは覚悟していたんだろうけど、ひどかったのよ、その言い分が。まぁ、つまり、ハル兄を如月の家で育ててやるから事故でもらった賠償金や慰謝料を置いて出て行け、という話」
「ナニソレ。信じられないくらいひどい」
「激怒したのは本家当主の伯父とか、分家当主の倫人さんで、親族に縛られてこれからの人生を迷いながら生きるべきではないと、静子さんに如月を出るべきだと諭したの。姻戚関係はすぐに解消したわ。経済負担とか、冠婚葬祭の作業負担とか、そういういろいろを解消できて再婚だってできるだろうって考えで。初七日の席で激怒した倫人さんは静子を自由にしろと押し切ったの」
「凄い、革新的な人なのね」
「だからこそ、静子さんは倫人おじさんと一緒に暮らしたかったの。ハル兄のお父さんはこんな家庭で育ったんだよって、教えたかったんじゃないかなぁ」
「そうなのか」
「中学までは如月の家にいたんだよ。それまでにハル兄は倫人おじさんたちと相談を重ねて、高校になったら自分で学校を選んで母親と一緒に如月を出て学校に近いところで暮らすんだって楽しそうに話していた。だけどね、親族はハル兄が出て行くことを良しとしなかった。また邪魔した親族がいて。決定的なことが起きて、倫人さんは集落から出ていけって、大魔神の大ナタふるった。今までは誰かがストッパーになっていて仲裁が入ったけれど、このときばかりは今までストッパーだった当の倫人さんや本家が大賛成でその親族を追い出した。もうね、それくらい酷いことをしたの」
「そうだったんだ」
「皆ハル兄と静子さんの事が大好きで、ただ穏やかに暮らしていきたかっただけなのにね。春になって高校に合格して、通学のために如月の土地を離れるとき、倫人おじさんは二人に、嫌な思いをするなら如月に顔を出さなくて良いって。嫌なことを思い出すならここに来なくって良いって。幸せに暮らしてほしい、それが亡くなった息子の望みであり、義理とはいえ父親の望みだと言ってね。もちろん、いつでも帰ってきて良いけどって」
「うわぁ、素敵な人なんだね」
「そうそう、静子さんと岩井さんとの再婚が決まった時、二人の邪魔をする気はないと言って食事会にも行かなかった。幸せになって欲しいという死んだ息子の望みをかなえてやるのも、親の仕事だと言ってね。だから静子さん、周りがどんなに口を挟んだってハル兄が如月を名乗ると言ったとき、真っ先にその意思を尊重したの。静子さんは秋人さんを愛したことを後悔していないからって。倫人おじさんと静子さんは血のつながりはない他人なんだけど、秋人さんを通してしっかり親子してるのよ、あの二人。だからね、ハル兄は倫人おじさんとの時間を大事にして欲しい」
「へぇ…」
全員のシフト表を睨みながら吉住は話を聞いていた。
「うん、何とかなるかも。今日から向こう何日かの休みは保証する。他の仕事も調整するから任せておいて」
「じゃぁよろしく」
「ハルには?もうすぐ帰ってくるけど」
「帰ってからで良いよ」
「了解」
聡子は急いで部屋に上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます