120.雪幻に霞む庭


 気が付くと園田は真っ白な道に立っていた。

 透明な海底トンネルのような、流れる白光の形作る道。広いようで狭いような、輪郭が不明瞭な場所だった。

 アカネがルナの身体に作ってくれた裂け目に入った次の瞬間ここにいた。つまりここはルナの中なのだろう。

 ならばおそらくこの奥に神谷がいる。


 こつ、こつ、と革靴の音を響かせ歩く。


 今、神谷はどんな気持ちでいるのだろう。

 大切な幼馴染を失い、ルナ――カガミに取り込まれて。

 確かに願いは叶った。『カガミさんにもう一度会いたい』という彼女の願いはゲームのクリアとともに果たされた。

 

 こつ、こつ、と足音が響く。


 しかしこんなのはあんまりだ。

 最初のうちは何かを犠牲にしてでもという想いがあったかもしれない。カガミへの想いの強さは、言動の端々から感じ取れる。それだけ会いたかったのだろうし、だから彼女も戦いを続けられたのだと思う。


 こつ、こつ。


 でも今の彼女はそうではない。

 ずっと悩み続けていた。園田たちを巻き込むことに抵抗を感じていた。それに、本当に他人を利用するつもりならもっと他の誰かに相談していただろう。

 だからこそ、クリアした時の神谷は少しも嬉しそうではなかった。

 光空を自らの手で倒してしまったから。


 足音が止まる。


 園田の目の前に、いつの間にか鉄の扉が現れていた。

 少しさび付いていて、重そうな扉。どこかで見た覚えがある。

 ドアノブを回し鉄扉を開く。向こう側へと足を踏み入れる。


 ふとアカネが言っていたことを思い出す。


『あなたしかいないのよ。あたしはあいつの尻を蹴っ飛ばしてやることしかできないけど、でもみどりなら寄り添ってあげられるから。今のあいつにはそっちの方がきっといいわ』


 アカネは以前神谷を糾弾した時のことを気に病んでいるようだった。

 どうしてもあいつに対しては辛辣に当たってしまうと。それはおそらく仇敵のルナとそっくりな神谷の外見に起因していたのだろう。 


 しかし園田は、アカネが神谷に対して辛辣だとは思わない。最初の内はそうだったかもしれないが、だんだんと軟化していったように思う。それは嫌いだからと言ってお互いに拒絶したりせず向き合ってきたからだ。二人ともタイプは違えど他人に対しては真摯に向き合うタイプで、だからこそ今の関係を築けたのだと園田は思う。


 だが、この状況において。

 アカネが頼りにしてくれているのなら。『あなたしかいない』と断言してくれるなら。

 その役目を果たそう。


 ……いや、きっとこれは違う。

 自分がそうしたいからというだけなのだ、と園田は自覚する。

 神谷沙月という少女が悲しみに暮れているなら――寄り添うのは自分でありたいと願っている。

 ただそれだけなのだ。




 ドアの向こうは見慣れた場所だった。

 園田が立っているのは寮の屋上。耳に痛い音を立てて閉まるドアに驚き肩を跳ねさせる。

 空は厚い雲に覆われ灰色。そこから雪がしんしんと降りしきっていた。


「雪……どうして」


 生ぬるい空気は夏前のそれなのに、冷たい結晶だけがそれにそぐわない。

 屋上から遠くの景色を見ると、白く霞んで見えない。霧でもかかっているのだろうか。


「いや、これは」


 違う。霧ではない。

 そもそも――『外』が存在していない。

 消しゴムで擦ったように、この学校の敷地から外が真っ白に消失していた。

 そしてその白は少しずつこの学校へと範囲を広げている。


 汗が頬を滑り落ちる。

 このままでは、全てが消えてしまう。この世界そのものが。


「…………探さないと」


 こんなところにいてはいけない。

 園田は振り向き、寮へと入った。



 

 木製の廊下を歩く。

 寮内は静まり返っていた。誰もいないのだろうか。

 自分の部屋を覗こうとしたが、なぜかあるはずの場所に無かった。というか、不自然にドアが無くなっていた。


 『神谷』というネームプレートのかかったドアを見つけた。少しためらった後、開けることにした。今は緊急事態だ。プライバシーなどを気にしている場合ではない。

 鍵をかけていないのかドアノブは抵抗なく回り、ドアが開く。

 

「沙月さん、いますか…………え」


 確かにそこは神谷の部屋なのだろう。

 彼女の学生鞄、そしてベッド。その上には脱いだままと思しき白いパジャマも置いてある。


 だが、それだけしかないのだ。

 

 何もない。

 テレビも、あれだけあったゲーム機も、それどころかテーブルも。カーペットも。

 家具全般がここから無くなっている。


 こんな場所でどうやって暮らすと言うのだ。

 いや、生活するだけならできるだろう。しかしこれではまるで、引っ越し直前のような――ここから間もなくいなくなる人の部屋のようだ。


 胸騒ぎがする。

 

 外を出て、隣の部屋。

 光空の部屋だった場所。そこにもドアはなかった。部屋ごと無くなっている。

 なんだ、この場所は?


 他の部屋にいる可能性を考え、近くにあった適当な扉を開けようとしてみる。

 ドアノブを引っ張ると、ドア丸ごと倒れこんできた。


「わ!」


 慌てて避ける。まずいことをしてしまった、という意識から恐る恐る部屋の中を見ようとして――できなかった。

 そこには部屋がなかった。ただの壁があるだけ。

 ドアが壁に取り付けられていただけだったのだ。


「……………………」


 おそらく二階にはもう見るべきところはない。

 園田は身体の震えを抑え、階段を降りた。




 いた。

 食堂のキッチンに神谷はいた。


「沙月さ、……っ!?」


 だが様子がおかしい。

 料理を作っているというのはわかる。

 だが――誰もいないテーブルに向かって笑顔で話しかけているのはどういうことなのか。

 作ったオムレツを、ひたすらに何皿もテーブルに並べ続けているのはどういうことなのか。


 食堂には神谷以外誰もいない。入口の陰から覗いている園田以外には。

 なのに、彼女は誰と話しているつもりなのか。誰に対してオムレツを作っているのか。


 戦慄する。

 神谷にはいったい何が見えているのだろう。

 

 呆然とその様を眺めていると、景色にノイズが走る。

 すると神谷の姿が消えた。オムレツの乗った皿も、跡形もなく消えた。


「え……?」


 混乱していると、階段を降りてくる音。

 そちらを見ると鞄を肩にかけた神谷が、談笑しながら降りてきていた。

 だがそこにはやはり誰もいない。

 神谷沙月は独りだった。


「沙月さん!」


 呼びかけるも反応はない。

 無視しているのか、それともこちらを認識していないのか。

 狼狽する園田の横を素通りすると、靴を履いて寮を出て行った。

 

「追わないと」




 外に出ると雪が降っていた。

 だが積もりはしない。地面に落ちた瞬間に溶けてしまうからだ。

 神谷は雪が嬉しいのか、何やら虚空へ向かって話しかけている。

 

「ねえ沙月さん。私、来ましたよ。一緒に帰りましょう」


 神谷は肩を落としたかと思うと、学校へと続く林道に向かって歩き出す。

 園田の声は届かない。

 

「沙月さん、アカネちゃんが待ってます。外で戦ってくれてるんです」


 神谷はやはり何も言わない。

 林道を楽しそうに歩いている。


「沙月さん…………」


 学校のグラウンドを囲む金網――その扉を神谷は開く。

 キイ、という耳障りな音と共に二人は扉をくぐり、グラウンドを歩く。

 遠くに見える校舎が少しずつ消えていくのがわかった。時間は限られている。


 なのに神谷にはなにも届かない。


 どうすれば振り向いてくれるだろう――園田の頭はそのことでいっぱいだった。

 この世界のことについて考える。


 この狭い世界。少しずつ消えゆく世界。

 なぜ神谷はここにいる? どうして存在しない友人と過ごしている?

 彼女はこの世界で、いつも誰かといる――つもりでいる。そしてそれを楽しんでいるようだ。

 つまり神谷は誰かとの関わりを望んでいる。

 何もかもを拒絶しているわけではないのだ。


 しかし一方で、園田のことは見えていない。

 まるで目を逸らしているかのように、その存在を意識から排除している。

 ならば――無理やりにでも振り向いてしまうような一言が必要だ。

 すう、はあ、と深呼吸。声量も大事だ。絶対に届かせる。


「沙月さん…………助けてっ!!」


「――――――――」


 今まで出したことがないような大声で、ただ一言。

 神谷沙月なら、きっと自分が助けを求めれば、絶対に無関心ではいられない。

 そのはずだ、そうに決まっているという確信があった。

 大した根拠は無い。

 でも。


 でも好きだと言ってくれたのだ。


 園田が思っていた形ではなかったけれど、確かに好意を向けてくれた。一緒にいてほしいと思ってくれた。だから神谷の中で、自分の存在はきっと大きいはずだ、と。

 そんな乱暴な信頼をぶつけ、そして。

 

「みどり…………」


 振り返った。

 まるでたった今園田みどりの存在に気付いたような顔をして。


「迎えに来ましたよ。帰りましょう、沙月さん」


 もう一度手を差し伸べる。


 雪の降る初夏の中。

 再び二人は邂逅した。

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