58.紅の花


 あれから一週間ほどが経った。


「じゃあわたしたちは学校行ってくるから、何かあったら北条さんに言ってね」


「いいからさっさと行きなさいよ。亀なの?」


「減らず口…………」


「なんか言った?」


「言った言った」


 そんな軽口にぷんすか怒るアカネを残して寮を出た。

 彼女は随分とこの生活に慣れたように見える。

 好きな時間に起きて、食べて、寝る。とくにそれ以外のことはしていないように見える――だが、それでいいと神谷は思う。今の彼女はかなり危うい立場なのだから。


 寮生たちは良くも悪くも無関心なので、住人が一人増えた以上の興味は持っていないらしい。


「学校行ってる間アカネを放っておくの、実はけっこう申し訳ないなって思ってるんだ」


「私もです」


 朝の8時から夕方の4時まで。

 実に8時間の間彼女をひとりにしているわけで、それが心苦しい。

 孤独の辛さを身に染みて理解している神谷ならなおさらだ。

 

「北条さんがしばらく寮に留まってくれるみたいなんだけどね。ただアカネは北条さんのこと苦手だから」


「よっぽどのことが無ければ近づきたくないとまで行ってましたもんね…………」


 寮にいる間、彼女はどうやって過ごしているのだろう。

 土地勘も無いので出歩いているというのも考えにくい。

 ずっと園田の部屋にいるのか。

 たったひとりで、ずっと。


「あのゲームを進めていけばアカネのことも何かわかるかも」


「ええ。がんばりましょうね」


 クリアする理由がひとつ増えた。

 アカネは悪い子ではない。あの世界で神谷を殺そうとしたのにもきっと理由があるはずだ。

 だからできるだけ早く、彼女を元いた場所へ返してあげたい。できれば記憶も。

 そしてそれにはおそらく【TESTAMENT】が深くかかわっている。

 あのゲームをクリアするのがきっと全てへの近道だ。


 今になって、神谷は改めて思う。

 最初は自分の願いを叶えるためだけに始めたことだったが、随分状況は変わった。


 【TESTAMENT】をきっかけに園田と出会い、一緒に戦うことになり、そしてアカネと出会った。

 あのゲームは、もう神谷のためだけのものでは無くなっていた。


 1年前の失踪へと続く道。

 そして神谷と園田を繋ぐもの。

 アカネという謎の少女の真相へと導くもの。


 クリアまであと半分。

 運命の時は近づいている。




 

 だが、いくら二人がアカネのことを想おうと、それが通じているとは限らない。



「…………このままじゃダメよね」 


 この寮の人たちは驚くくらい優しかった。

 光空陽菜は、奇異の目で見ることなく接してくれた。

 北条優莉は、大人が苦手だということに配慮して積極的に近づいては来なかったが、それでも暖かく見守ってくれていたように思う。あんな大人もいるのか、そう思った。

 神谷沙月は――嫌いだ。だがその理由はよくわからない。いわれの無い嫌悪を向けられても正面から接してくれる彼女には……内心感謝している。絶対に言うつもりはないが。 

 そして、園田みどりは。


『眠れないんですか? よかったらこっちで寝ます?』


 何も言わずに部屋に置いてくれたし、不安で寝付けない夜は一緒にいてくれた。


『お出かけしましょう!』


 放課後、ほとんど毎日のようにどこかへ連れ出してくれた。

 ……まあ、たまに神谷あいつが着いてきたのは嫌だったけど。


『その時の沙月さんがほんとに可愛くてー!』


 ことあるごとにあいつの話をするのがたまに瑕だ。

 それでも、本当の姉妹のように接してくれた。

 あたしに寄り添ってくれた。


 だから頼ってばかりではいけないと思った。


 北条は今日確か寮を開けている。だから見つかる心配はないはずだ。

 玄関のドアノブに手を開けて外に出る。


「…………曇って来たわね」


 今にも雨が降りそうな空。

 早く行った方が良さそうだ。

 

  


 

「雨嫌い!」


「傘持っていけばよかったですね……!」


 学校が終わり、放課後。

 神谷と園田の二人は雨に降られていた。

 寮へと続く林の中の道をひた走る。


「天気予報では降らないって言ってたのに!」


 悪態をつきながら走り続ける、すると寮が見えた。

 二人はドアを開いてなだれ込むように中に入る。

 

「ただいまー、はあ、疲れた……」


 ひとまず鞄を置いて一息つく。

 二人ともずぶ濡れだ。


「ほんと雨って……」


 とりあえず濡れた身体を何とかしようとタオルを調達しようと思った時だった。


「神谷! 園田!」


 いつになく慌てた様子で北条が二階から降りてきた。


「北条さん、どうし――――」


「アカネがいなくなった!」


「え…………」 


「さっき帰って来たんだが、そうしたらもうどこにもいなかった。靴も無いから外に出て行ったんだと思う」


 頭の中を北条の声が何度も反響した。


 いなくなった。

 アカネが。


 どうして急に? 

 

「…………ぁ」


 過去の映像がフラッシュバックする。


 突然いなくなったあの人。

 空っぽの家。

 土砂降りの雨。

 

 今の状況と、嫌になるほどシンクロしていた。


「アカネちゃん、夜になるとすごく不安そうにしていて……やっぱりここが嫌だったんでしょうか……」


 園田の声が妙に遠くに聞こえた。

 どうしていなくなった。

 ここを帰る場所にはできなかったということだろうか――そんな考えを巡らせようとするが、過去の残像に丸ごと塗りつぶされていく。


「今から私はアカネを探しに行く。お前らはここで待機……っておい! 待て神谷!」


 気づけば身体が動いていた。

 ずぶ濡れのセーラー服のまま、扉を開けて外に出る。

 見上げると灰色の空から無数の雨粒が顔を叩いた。


「…………いやだ」


 走り出す。

 速度を上げる。


「もう誰もいなくならないでよ…………!」  

 

 おそらく、それがアカネでなくてもこうなっていただろう。

 条件がそろえば過去は簡単に這い出し神谷の心を食い尽くす。


 結局のところ。

 誰と絆を育もうと、少女の心の傷はちっとも癒えていなかった――そういう話だった。

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