51.片鱗

 

 神谷の渾身の一撃を受けアスファルトに倒れ伏すプラウは右半身がごっそり抉れていた。

 頭の右半分から、右肩も右腕も、右脚まで跡形も無くなっている。

 もう動く様子はない。


「…………勝った」


 荒い息をつきながら呟く。

 全身が痛い。疲労はピークに達していた。

 だがもう関係ない。倒せばそれで終わりなのだから。


 あとは自動的にプラウが吸収されて、元の世界に帰るのを待つだけだ。

 動き回ったからかとても暑い。額の汗を、乾きかけの血と共に拭った。


「あとでみどりにお礼言わなきゃ……かなり無理させ――――」


「――――これで」


 神谷とは別の声が響く。


「この程度で、勝った、つもりか……?」


 地の底で煮え滾るマグマのような声が、あたりに響き渡る。

 神谷は思わず後ずさった。


「…………そんな、まさか」


「素晴らしかったよ、お前たちの作戦は。まさかあのイレギュラーごときがここまであがいてくるとは思わなかったし、お前の攻撃も筆舌に尽くしがたいものだった。……だが悲しいかな、足りないものがあった」


 並べられた言葉は神谷たちを称賛するものではあった。しかし神谷には全くそうと感じられなかった。称賛と言うには、声色が黒く粘つき過ぎていたからだ。

 倒れ伏したプラウはそのままの体勢で、残された左目だけで神谷を睨み殺してしまいそうなほどの眼光を放っていた。見るからに死に体で、普通なら生きていられるはずがないほどの傷だというのに。


「殺意だよ」


 途端、炎が上がった。その音だけで空気を焼いてしまいそうなほどにプラウの身体が燃え上がる。

 抉れた身体の断面から赤黒い炎が噴き出していた。


「お前、この俺を『倒す』と言ったな? ダメだな。それじゃあダメなんだ。絶対に勝ちたいなら、何が何でも目の前の敵を『殺す』という意思を持たなくては」


 健在の左腕と、炎で形作った右腕を地面につき、プラウがゆっくりと起き上がる。


「俺は持っているぞ、殺意を! この俺をここまで追い詰めたお前を! 焼いて燃やして殺し尽くすという確固たる意思をなぁぁぁぁッ!」


 咆哮と共に、右半身を炎で補ったプラウが立ち上がる。

 頭の右半分も、右腕も右脚も赤黒く燃え、あたりを煌々と照らす炎だった。

 神谷沙月という敵を、絶対に殺すという殺意の色。


 背筋が寒くなるほどにその右の瞳は赤黒く神谷を捉えて離さない。

 あまりにもまっすぐなその瞳に宿った意思に、神谷は気圧されてしまう。


「う、ぐ…………」


 熱による爆風に吹き飛ばされそうになるのを必死にこらえる。

 

(――――戦いの中で成長する。渾身の攻撃にも立ち上がってくる。とんでもない執念深さ) 

 

 噴き出した汗が頬から顎へ伝い、ぽたりと地面に落ち……その瞬間に蒸発する。

 こんな相手に、どうやって勝てばいいのだろうか。

 先ほどの神谷の攻撃は、いま出せる最大限の威力だった。

 しかしプラウは弱るどころかその火勢を一層強めているように見える。

 いったいどうすればいいのかわからない。


「なんだその顔は。戦意が萎えているように見えるが……結局はただの小娘か」


 口調は軽いものだったが、その表情と声色は落胆の色を隠せない。

 それほどまでに敵に飢えていたのか。


「まあいい。お前を殺した後はあのイレギュラーだ。この俺をこんな姿にした原因となった奴は完膚なきまでに殺しつくしてやるぞ。……いや、待てよ」


 面白いアイディアを思いついた、とばかりにプラウが表情を笑みの形に変える。


「そうだ、あいつを先に殺してしまおうか! 黒焦げになった奴の亡骸でも目の前に転がしてやれば、お前も少しは戦う気になるんじゃないか!?」


 楽しくて仕方がないような調子でプラウはただ笑う。

 笑うたびに顔から炎の欠片が飛び散るが気にする様子はない。


 しかし、プラウのその態度が。言動が。

 引いてはならないトリガーを引いた。


「………………なんだって?」


 低く。

 途轍もない感情に満ちた声がプラウの長い耳を震わせる。


「うん? あのイレギュラーを殺す、と。そう言っただけだが」


「ああそう。あーなるほどなるほど、これか。これがそうなんだ」


 一転、何かに納得したように、うんうんと頷く神谷。

 その表情は明るく、恐れおののいていた今までとはまるきり違っていた。


 対するプラウは豹変ともいえるような神谷の様子に困惑していた。会話がかみ合っていないのだ。

 あいつは一体、何を言っている?


「そっか。これが――――殺意なんだね」


 ぞわり。

 プラウは背中から這い上ってくる『何か』を、確かに知覚した。

 直後、ざり、という地面を擦る音が足元から聞こえた。

 恐る恐る下に目をやると、自分の左足が、一歩後ろに下がっている。


 いつの間に? なぜ? 疑問に埋め尽くされるプラウの脳内。

 その答えを、プラウはすぐさま自力で得る。


(まさか――殺気!? この女、ただの殺気だけでこの俺を! 後ずさらせたとでも言うのかッ!?)


 動揺するプラウとは反対に、神谷の心は異様なほどに凪いでいた。

 心の向きが、ただ一点に向かって集約されていたからだ。


 これまで自分の中にこれほどの感情があるなんて考えもしなかった。

 神谷はあくまで一介の高校生にすぎない。

 基本的には平均的な人生を送ってきたと考えている。


 だからこそ”こんなもの”には縁がなかった。

 戦いなんて、あっても子どもの喧嘩レベルのものか、ゲームでの対戦くらいだ。

 神谷に未だその自覚はないが――【TESTAMENT】でも、あくまで彼女の底の底ではゲームだという意識が拭い切れていなかった。

 だが。


 このまま突っ立っていたら園田みどりは確実に死ぬ。


 それは。

 その事実は。

 神谷の中にあった迷いを一気に取り払った。

 

「ねえ、プラウ。三番目のプラウ。ありがとうね」


「……は? なんだ、いきなり、お前は……」


「わたし、さっきまで勝てるか勝てないかとか、そういうことばっか考えてたよ。でもそれじゃあ駄目なんだよね。教えてくれてありがとう」


 ぐらついていた神谷の芯が固定される。

 揺らいでいた瞳はただ一点を見つめている。


「ひとつだけなんだ。戦いにおいて大切なのはパワーとかスピードとかテクニックとか経験とかでもなくただのたったひとつ――そう」


 得体の知れない力が膨れ上がる――そんな予感がした。

 プラウは一瞬目の前の敵が何なのかわからなくなった。

 こいつは、いったい”何”だ?


「目の前の敵を! なにがなんでも絶対に殺すって気持ちだけだ!!


 それは爆発だった。

 神谷の怒りが。神谷の身体に潜む異能が。膨大な光の奔流となって巻き起こった。

 今さっきまで場を支配していた圧倒的な炎が押されている。


(…………まずい)


 プラウは自分の脳内にアラートが鳴り響いているのを感じていた。

 何か自分はとんでもないものを目覚めさせてしまったのではないか? という懸念だ。これまではただの小娘に過ぎなかった神谷が、得体の知れない何かに決定的に変貌してしまった――それを自分が引き起こしてしまったのではないか、という危機感。

 ただ、それでも。


(負けるとは思わないがな)


 ゆっくりと、炎と化した右腕と元のままの左腕を構える。

 それを見た神谷は、ほとんど同じ構えを取った。

 自分と似た戦闘スタイルのプラウから、さまざまなモノを吸収し、少女はなおも成長し続ける。

 全てを食らい尽くしてしまいそうな勢いで。


「さあ、もういい加減終わりにしよう」


 神谷のその言葉を引き金に。

 第三ラウンドの幕が上がる。 

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