38.仄日
一人でいるとき、私はよく沙月を想う。
それは習慣のようなもので意識してやっているわけではない。
昔から、例え離れていようとも、いつも彼女が心の中にいた。
指でページをめくると静かな部屋に紙の擦れる音がした。
ベッドに寝転がって漫画を読むのが好きだ。小説は字が多くて読みづらいけど漫画はそうじゃないから、私にもわかりやすくできている。
今読んでいるのは俗に言うラブコメというやつだ。
主人公の周りに様々な美少女が集まってきて……というような、よくあるハーレムもの。
紙上では朴念仁な主人公と個性豊かなヒロインたちの愉快なやり取りが繰り広げられている。
もう一度ページをめくる。
と、そこで手が止まった。
そこには大ゴマに映し出されたヒロインが「幼馴染なんだから、君のことはなんでもわかるよ」という台詞を言っていた。
向かい合う主人公とヒロインの周囲を桜の花びらが舞い散り、二人を祝福しているように感じられた。
小さな頃からずっと主人公に寄り添っていた人。
最高の理解者。
「幼馴染、か」
本当に幼馴染というだけで沙月のことが理解できるなら、こんな気持ちになることもなかったのに。
朝起きて考えるのは、まず沙月のこと。
その日一番最初に見るのは沙月の顔がいい。
寝坊しなかったし、今日は朝練もないし、ゆっくりできそうだ。
沙月の作った朝食を食べながら、沙月と話す。
うん、それがいい。
ただ、願望はいつも叶うとは限らないわけで。
食堂につくと、キッチンで朝食を作る沙月と、その横で話す園田ちゃんを見かけた。
あの二人いつも一緒にいるな。急に仲良くなったみたいだけどなんでだろう。二人に聞いてもごまかされるからよくわからない。なんで教えてくれないんだろう。隠すようなことなのかな。
……私には、言えないことなのかな。
園田ちゃんが嫌いなわけじゃない。
むしろ好きな方だ。とてもいい子だと思う。沙月のことをよく気にかけてくれているのがよくわかる。
でも沙月を変な目で見るのはやめてほしい。確かに沙月は死ぬほどかわいいけど、そういうのじゃないと思う。えっちな目で見るんじゃなくて、なんていうか……美術品を見るみたいな目で見てほしい。
……いや、私も私でなに言ってるんだ? 正気を保つんだ光空陽菜。かわいさに負けるな!
「……はあ」
そこは私の場所だったのに。
最近そう思うことが増えた。
確かに沙月は変わった。それはきっといい方に、だと思う。
だけど。
だけどこう思わずにはいられないのだ。
それならずっと前のままが良かった。
全身びっしり棘だらけのバラみたいだった沙月のままが良かった、なんて。
それなら私以外、誰一人近づくこともなかった。
ずっと二人でいられた。
沙月をひとり占めできた。
でもこの想いが間違ってるってわかってる。
だってこんなの、ただのわがままだ。
今の沙月はあんまり素直じゃないけど、本当はいつだって周りの人のことを考えてる。
あの子は目の前で誰かが悲しんでたらどうにかしようとする子だ。園田ちゃんもきっとそういうところに救われたんだと思う。
沙月のいいところをわかってくれる子がいるというのはとても嬉しい――でもおんなじくらい嫌だ。
私の視線の先にはいまだ談笑を続ける二人がいた。
……ああ、本当に。
私はあの頃から何も変わっていない。
そんなことばかり考えていたからだろうか。
バチが当たったのだろうか。
陸上部である私は、いつの間にかまともに走れなくなっていた。
いや、それは誇張が過ぎるかもしれない。
同級生であれば速い方ではあるだろう。
だが、以前と比べて100mのタイムが露骨に落ちた。
何の前触れもなく、まるで崖から足を踏み外したかのように、ストンと。
びっくりして頭が真っ白になった。計測してくれたコーチが何かミスをしているんじゃないかと思って何度か走り直しても、大して変わらないタイムが出るだけ。
こんなことは中学から数えて4年以上陸上を続けている中で一度も無かった。
今まで当たり前にできていたことができなくなるというのは想像以上のダメージだった。
でもこんなこと誰にも相談できない。
明るくて、悩みがなさそうで、仲間想い。そう形作った私が弱みを見せて、受け入れられるのかわからなかった。
なんとか自力で元に戻さなければ。
そう思ったが、具体的にどうすればいいのかもわからない。今までと全く同じように走っているつもりなのに、タイムだけが落ちてしまっているからだ。
もがけばもがくほど沼にはまっていくようだった。
ただ、そうやってじたばたする中で、こうなった原因が少し見えてきた。
きっと沙月に友達ができたからだ。私以外と仲良くなったから。
もしかしたら以前なら、それだけでここまで私が崩れることは無かったかも知れない。
でも今は……沙月と私は少し前、それぞれの想いを吐き出しあった。
以前のような一方的な関係から脱し、やっと幼馴染らしくなれた。
だからこそ。仲が深まったからこそ、沙月が恋しくなってしまう。
自分で思っていたより彼女に依存していたらしい。
こんなはずじゃなかったのに。
やっと沙月と分かり合えて、死ぬほど嬉しくて、これからもっと楽しい日々が待っていると思っていたのに。
今日も部活で走る。
何も改善しないが、走るしかない。それ以外にできることがない。沙月に言うわけにもいかない。
こんな汚い想いをぶつけて嫌われたくない。
後輩の、同級生の、先輩の視線が痛い。みんなが私を嘲っているような気さえしてくる。
そんなはずない、と振り払おうとしても、昔の弱い自分が顔を出す。
……昔の? いいや、私は弱いままだ。ただ取り繕うのがうまくなっただけ。
いやだ。やめて。こわい。
みんなの目が私を責めているように見える。
どうしても他人の視線からは逃れられない。
何しろ平らなグラウンドには、隠れる場所なんてどこにもないのだから。
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