第十三章 戦後の前田家 【次男・正昭】
次男 正昭
今になって思うと、とにかく、すさまじいまでの貧乏ぶりであった。そのものずばり「貧乏人の子沢山」で、7人の子どもがおり、親子9人、生活していくのが大変であった。
私が小学校に入学した時、新品の入学用の服を買ってもらい、それを着ていそいそとして学校へ行ったが、その代金が払えなかったらしく、数日たつと服屋が取りに来た。訳が分からぬ私は、その服屋にくってかかったのを覚えている。小学校では、私だけ弁当を持って行かない時があった。担任の女性の先生が、そっと自分の弁当を分けてくれたのだが、幼い意地があった私はガンとして食べず、先生を困らせたこともあった。私のひどいチビた靴を友達に笑われたと、姉が泣きながら帰ってきたこともあった。
長い間戦争に行き、そのため広大な田畑があるわけでもない貧農にとって、食べ物は最低限自給自足できたが、現金収入はほとんどなかった。しかし家族9人、毎日金はかかる。家の諸雑費、子どもの教育費、衣料費、副食費…。ある時、期日に電気代を支払わぬので、集金人が意気込んで集金に来た。
その集金人に母は、7人の幼い子を抱え、自分は眼病でほとんど目が見えず、金がないので病院にも行けず、生きていく気力もなくなりそうで時々死んでしまいたいと思うことさえあるが、7人の幼い子どもたちを残して死ぬことさえできない、というようなことを泣きながらぶちまけた。集金人は思わず涙ぐみ、「これを食べて元気を出して下さい」と、自分の弁当箱を丸ごと置いて帰った。30数年たった今でも鮮烈な記憶として残っている。
そんなひどい貧困の中で、誰よりも辛かったのは父ではなかったかと思う。すさまじい貧困と戦っていたのだ。眼病の母を病院に行かせたかっただろうし、七人の子どもたちにも満足な生活をさせたかっただろうし、何の道楽もない父自身、疲れをとるための晩酌ぐらいしたかった筈だし。
そんな状況でも父は、泣き言や愚痴は絶対に言わなかった。
9人家族が生きていくためには、何よりもまず現金収入が必要だった。
父は近所に山芋を堀りに行き、その山芋を町の料理屋などに売りに行き、現金を得ていた。
貧困は子どもたちをも真剣にさせた。ようやくわずかな給料がとれるようになった長男である兄は、給料すべてを全部家に入れ、自分の楽しみに使ったことなどなかった。
まだ中学生だった姉も、目の不自由な母に代わり、朝みんなが寝ているうちから夜遅くまで、弟や妹たちの世話、食事の支度や洗濯、その他の家事で、姉が中学生らしく遊んでいる姿など見たことはなかった。
小学生の私も、4年生の時から新聞配達をやった。10才に満たない子どもには、毎朝4時に起きるのはひどく辛かった。しかし1か月1800円の配達代は大きかった。サツマイモやジャガイモを自転車に積んで売りにも行った。家で取れる竹の子も売った。ドジョウを川でとって魚屋に売った。神棚にあげる「サカキ」を山から採ってきて売りに行ったことも度々あった。恥ずかしいとか嫌だとか、そんなことは言えなかった。学費でも遠足費でも、必要な金が要る時、とにかく物を売って現金を得なければならなかった。兄も姉も一生懸命やってる。自分だけがいやだ、なんていえない。その頃はそんな気持ちだった。
父は、どんな状況の時にも口を真一文字に結び、じっと耐える姿を、その強さを、我々子どもたちに無意識に教えた。
その貧困時代を想うとき、貧困の源は時代そのものに起因し、父や母のせいではないのは勿論だった。事実それから、地獄から天国にかわるように時代は推移していった。
私はあの頃のひどい貧困の時代に言語に絶するような体験をしたことを誇りにさえ思っている。
昭和59年、父は喜寿の祝いの席で次のような挨拶をした。これは父が自分の妻や子どもたちの前で、初めてにして最後の心情吐露であった。その録音テープがあるので、そのまま記してみる。
「みなさんに、ちょっとひとこと申し上げます。今日の祝いを本当に、心から協力してくださって、何ともありがたく思っております。今日のお祝いの日のこの感激を、こういうふうに書いてみました。
―幾山河 越えて 喜の寿を迎えられ―
幾山河、本当に、長い間の山あり谷あり峠あり、その難関をなんとかのりこえたために、今日のこの有難い日を迎えられました。これが私の気持ちです。」
おばあちゃんの方はこういうふうに作りました。
「―谷深く ようやく越して 古希となる―
長い、ほんとうに長い間、まったく情けないような毎日を過ごしたけれど、ようやく晴れた、快晴のいい日にめぐりあいました。今日は、本当に本当にどうもありがとう。」
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