12.秘匿騎士
「ほらね。大変だったでしょう、若」
一息つくと、スノウが真っ先に口火を切った。
その瞬間を待っていた、と言わんばかりの、恩着せがましい物言いだった。
「やっぱり若には私がいないとダメってことが、よくご理解いただけたんじゃないですか? 今回ばかりは、大手柄間違いなし。心から感謝してもいいんですぜ」
「ああ」
ジェフとしては、スノウの言う通りにするしかない。
「また、助けられたな。ありがとう」
「いい返事ですな。これはぜひ、帰ったらご馳走してもらわないと」
「できる範囲で、請け負う」
答えは慎重になる。安請け合いをして、法外な要求をされては堪らない。
だが、スノウが働いたのは事実だ。地面には、トロールたちの身体が転がっている。死屍累々、といったところだろう。
トロールたちを片付けるのに、数十秒とはかからなかった。
ジェフには収穫があった――この
誰もが、できる限りのことをした。
メリー・デイン・クラフセン。彼女もまた、そうだ。魔法は拙いものだったが、どういうわけか果敢にトロールたちの注意を引いた。注意を引きすぎて、一度は危うく殴り倒されるところだった。
スリカとエレノアが傍にいなければ、そうなっていただろう。
つまりメリーとは、とてつもなく勇猛な人間なのだ、とジェフは思った。負傷も、死も、怖くはないのだろうか。まるで開闢期の伝説にある、狂猛なる東部諸島の海賊たちのようだった。
「あ――危ない、ところでしたね、ジェフさん」
腰に手を当て、胸を張った彼女は、荒い呼吸をつきながらも強引に言葉を発した。
「本当に、心配ばっかり、させるんですから。私――たちが駆けつけなかったら、すごい、大変な、ことになってたかもしれませんよ!」
ひゅう、ひゅう、と、喋るたびに喉の奥が鳴る。
それでもメリーは止まらない。呼吸は苦しいだろうが、どうにかこの説教を言い切ってやろう、という得体のしれない意欲に溢れていた。
「次から、絶対に私――たちの傍から、勝手に離れちゃいけませんからね! ジェフさんの魔法、まだまだ、全然、ヘタクソなんですから!」
「そうだな」
その点について、ジェフは同意せざるを得ない。
「みんなに助けられた」
「と、と、当然ですよ」
メリーは指が白くなるほど握りしめていた、自分の杖を掲げた。
「ジェフさんが危ないときは、助けるって約束しましたからね! ヒ、ヒヒッ! ヒッ!」
「そうそう、チームメイトだもんね」
メリーの引きつった笑いの後を、ゆっくりと歩いてきたエレノアが継いだ。彼女はいつも自分のペースで行動する。
「いやあ本当、斜面を降りるのは苦労したよ……と」
喋りながらも、エレノアは武骨な籠手を左手で押さえ、何らかの取っ手らしきものを引っ張った。ばきん、という硬質な音とともに、籠手が展開し、右腕が露出した。内側にこもった熱気を発散する仕掛けらしい。
「でもまあ、無事で良かったよ、ユリーシャ。あんまり無茶なことしないでね。冗談抜きで、私がすっごい苦労するからさ」
「ああ――いや、そういえば。きみたちは」
口ごもるユリーシャは気まずそうで、エレノアと目を合わせたがらない。
「あの急斜面を、どうやって降りてきた? 空飛ぶ箒類の持ち込みは禁止されていたはずだ」
「あ、あれね。空飛べるやつを私が作ったんだ。木の枝ならいっぱいあったし、十秒かそのくらい飛ぶだけでいいなら」
エレノアは籠手の嵌まった右腕で、力こぶを作るような仕草をした。
「楽勝だよ」
「……なるほど、さすがだな。何にせよ、助かった。そう――すまない。きみたちに迷惑をかけた。感謝している」
「どういたしまして」
ユリーシャは深々と頭を下げ、エレノアは満面の笑みを浮かべた。
「とりあえず、もう一段落したのかな。トロールなんて、実物で見るのはじめてだったよ」
「いえ。まだ、敵が去ったわけではありません」
沈黙し、空を見つめていたスリカが、やや唐突に口を開いた。
「周囲からやつらの匂いがします。複数。この近辺を徘徊しているようです」
峡谷を吹き抜ける風は湿っていて、泥と草木の匂いがした。スリカには、その風にトロールの匂いを感じ取れるのだろう。
ジェフは、スリカがその気にさえなれば、犬や狼と同等の嗅覚を発揮することを知っていた。
「えええ」
メリーは不安そうな顔をした。
「まだいるんですか? ど、どうしましょう? おかしいですよね、これ。もう遠足どころじゃないような気がしてきたんですけど。理不尽ですよ……やっぱりこれって私が不幸を呼んでるとか、そういうことですかね……」
「い――いや、それはどうか知らないが」
呪詛のようなメリーの呟きに気圧されながらも、ユリーシャが片手の杖を頭上に向ける。赤い《しるし》が瞬いて、すぐに消えた。
「『念話』の
「なな、な、何者かって何者です?」
「わからない。帝国の残党という可能性が高そうだ」
「え、えええええ……」
メリーの呻き声が長くなった。顔色はいっそう青白い。
「じゃあ、どうします? 帰ります? それとも引き返します?」
しかめっ面のまま、ユリーシャは何かを振り払うように首を振る。
「いや――いま、ここで戻っても仕方がない。状況がまったくわかっていないし、我々の退学はほぼ確定する。もう少し情報がほしい」
「た、退学……確かにそうでした。それはまずい……」
その途端に、メリーは何かを飲み込んだような顔になった。
「やるしかないってことですよね。つまり、その……帝国の残党だか何だか……そいつを締め上げて、学園に突き出せば、特別扱い間違いなしですよね」
「う、うん。そうだな。大意は合っている。この先に――」
ユリーシャは、再び洞窟を覗き込む。
「何か、決定的な証拠があるかもしれない」
ジェフも洞窟の暗闇に目を凝らす。
毛布や食料、帝国の酒瓶。少し進めば、そうしたものが転がっていた。さらにその奥からは、トロールがやってきた。
さらなる手がかりがある可能性は高い。
「もう少し進んでみよう。こうなった以上、通常の方法で成績上位となることは不可能だ。有効な情報を持ち帰りたい……だが、反対する者がいれば、いまのうちに申し出てくれ。この探索には危険性も大いにある」
ユリーシャは咳ばらいをした。
「だが、今度はみんなで進みたい。そちらの方がはるかに効率的で、心強いことがわかった」
彼女は研究室のメンバーを見回した。異議を述べる者はいない。
ジェフは安堵した――ようやく、チームがまとまりつつある。
「よかったね、ユリーシャ」
エレノアも大きくうなずいた。平素から何かと楽しそうな少女だが、このときはいつもの何倍も楽しそうだった。
「ジェフくんと仲直りできたし、ようやくいつも通りって感じ」
「別に、仲たがいしていたわけではない。多少の誤解があっただけだ」
「うんうん。じゃあ、そういうことで」
「そういうこと、というか、エレノア。きみは――」
「ジェフくんもごめんね。ユリーシャって、生まれてからほとんど男子と関わったことなかったからさ。どうやってジェフくんと接していいか、わからなかったんじゃないかなあ。好きな子に意地悪したくなるみたいなやつで」
「エレノア」
ユリーシャの表情が一転した。鬼のような形相で、エレノアを睨む。
「その比喩はおかしい。まったく違う。誤っている。訂正しろ」
「そうかなあ?」
「そうだ。訂正しろ」
「私は合ってると思うんだけど」
「……だったら、勝手に思っているがいい!」
「あ」
ほとんど、怒鳴りつけるように言い捨てた。ユリーシャは一人、足早に洞窟へ踏み込んでいく。
少し慌てて、エレノアがそれに続いた。
「待って、ユリーシャ、ごめん! なんで怒ってるのかわかんないけど! 一人じゃ危ないって言ったばっかりなのに――」
二人の足音と声が洞窟に吸い込まれていく。
理由はよくわからないが、追わなければ。ジェフはそう判断し、自らも洞窟に踏み込もうとしたところで、二人分の視線に気づいた。
メリーとスリカが、何かひどく疑わしげに彼を見ていた。
少し、気にかかる。だから尋ねる。
「どうした」
「別に。なんでもありませんけど」
言葉とは逆に、メリーは爪を噛んだ。不機嫌な証拠だ。
「同感です」
スリカの場合は、ほとんど表情らしきものが現れない。それでも、何かを意図して隠していることはわかった。
「《
そう言い残しただけで、メリーもスリカも、無言で洞窟へと入っていく。
(何かがあった?)
あまりにも異様な態度の変化。ジェフはそのことについて考える。
ジェフに関する問題。洞窟の奥に潜む何らかの危険性。
それらのことを総合して考えると、消去法で答えは一つしかないだろう。
「まさか――竜か?」
ジェフは空を見上げる。
梢の上から、スノウが馬鹿にするようにしわがれた鳴き声をあげていた。
――――
《秘匿騎士》フレッド・アーレンは、その死体の数々を見る。
彼がねぐらの一つに使っていた、洞窟の前だった。
「《秘匿騎士》フレッド・アーレン」
頭上を、梟の翼がかすめた。声が聞こえる――見上げなくてもわかる。
ネルダ。《魔人》ダーニッシュの使い魔にして、使者。彼女には任務がある。フレッドの監督と、この峡谷に関する情報収集だった。
このときも、彼女はその役目を果たしていた。
「学園の生徒が複数、我々のトロールたちと接触。完全に気づかれたようですね」
「知ってるよ」
フレッドは面倒そうに片手を振った。
「もう仕方がない。やつらを追い返して、本格的にこの峡谷を前線基地にする。それはいいんだが――わかるか? これだよ」
鼻を鳴らして、フレッドは地面を指差す。ネルダはその肩に止まり、首を傾げて見下ろした。
「トロールの幼生ですね。成体になる前に撃破されたのは残念ですが」
「違う、違う。そういうことじゃなくて」
フレッドは横たわるトロールのうち、喉を切り裂かれた個体と、それから首の骨を折られた個体に触れた。何かの温度を測るように、手の平を当てる。
「莫大な魔力価。その残滓が残ってる。特に、この首の骨が折れてるやつ。なんなんだ? とんでもない魔力価だ。本当に悪魔じみてる。驚いたぜ――ダーニッシュ閣下と対面したとき以来だよ」
「それほどの、強力な魔導士が」
ネルダは翼を広げ、地面に舞い降りる。
「なぜ、学園の初級生徒として、この峡谷へ?」
「さあね。案外、学園の新兵器ってやつかもな。洞窟の奥に向かってる」
「追いますか?」
「ああ。だが、その前に」
フレッドの手が、腰に伸びた。そう見えた瞬間、紫檀の杖が引き抜かれ、頭上に向けて《しるし》を閃かせている。
空中でかすかな、甲高い悲鳴。
直後には、一匹のハヤブサが落下してきた。全身が強張り、目も嘴も見開かれたまま固まっている。
外傷は、ただ一点。
胸部が深く抉られていた。鋭利な刃物で貫かれたような傷だった。
「追跡されたな、ネルダ。こいつは使い魔だ。たぶん学生だろう。そこそこやるようだったが、まあ、相手が俺じゃ仕方がない」
「ええ――さすがに速い。その技量、衰えていないようですね。《秘匿騎士》フレッド」
「唯一の取り柄だからな」
旧帝国において、《秘匿騎士》の数は多くない。
戦闘技術だけではなく、単独行動に優れた魔導士が選ばれる地位だった。帝国領内を極秘に監視し、必要によっては武力で介入する。反乱の目を摘み取り、皇帝の法に逆らう者を処罰する――《皇帝の猟犬》と呼ぶ者もいた。
現在、その生き残りは六名。その一人として、フレッドは自分の魔法技能に高い自信を持っている。
特に、高速の魔法起動に関してなら、《魔人》ダーニッシュその人とも比肩するだろう。
少なくとも彼はそう思っているし、事実、その手の戦いで敗北したことがなかった。出会い頭の魔導戦闘は、起動の速度がものを言う。
事実としてフレッド・アーレンは、旧帝国が崩壊し、この危険な任務に就いて以来、ずっと生き延びてきた。
その自負と経験こそが、彼の自我を強固に支えているものだった。
だからこそ、慎重になる。
未知の相手の強さを過小評価しない。
「ネルダ、俺はいまから、この謎の悪魔を追跡する」
「問題ありません。不確定要素を突き止め、排除し、速やかに閣下に報告してください。トロールは使用しますか?」
「もちろん。だが、それだけじゃない」
フレッドは紫檀の杖を握りなおした。
ここまでの魔力価を残す相手は気になる。正面から戦いたくない、と、その残滓だけでフレッドに思わせた。
「竜も、だ。イーリオンを呼んでくれ」
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