第26話 配属先決定!
翌日、眠たい眼で出社すると、何やら本社の入り口に
時刻は八時四十分。会社自体、特別イベントをしているわけでも、ましてや土日や祭日というわけでもなかった。
「瀬里花、おはよー!」
背後から元気良く、未菜が抱きついてくる。背中にあたる胸が何とも悩ましい。
「あれ、何だろうね」
瀬里花が本社の入り口を指差すと、未菜が瀬里花の背後からちょこんと顔を出してきた。甘い香水の香りがほんのりと辺りに漂った。
「何あれ、すごいね~。まさかアイドルか有名人でも来てるのかな? 今日何の日だっけ? 千人近くいるんじゃない?」
瀬里花の母は、朝からパチンコ店に並ぶ勝負の日だと、忙しそうに言っていた。そういう店ならば、並ぶ意味もあるかもしれないが、平常運転のディーラーでは、ましてやそれが平日ともなれば、そこまでの集客力があるようには瀬里花には思えなかった。やはり、開店前にこっそり有名人でも来店しているのかもしれない。あまり興味はないが、誰が来ているのくらいは知りたいなと瀬里花は思った。
しかし、とても正面からは入れそうにない。それにまだ研修中の身だ。お客様に捕まっては大変なことになってしまう。危険を察知した瀬里花は、未菜と裏口から本社の中に入っていった。
「お前何したんだ?」
中に入るなり、川野が神妙な面持ちで瀬里花たちを出迎える。普段なら君扱いなのに、今日は朝からお前呼ばわりか。憤りが瀬里花にも十分伝わる。
「えっ? 何もしていませんけど」
珍しく威圧的で高圧的な川野の態度に焦りながらも、瀬里花は未菜と顔を見合わせる。心当たりは、二人ともなさそうだ。
「私もわからないですー」
そう言って未菜が、瀬里花の背中に隠れた。って……男役ではないのだけれど。
「何もしてないって、何かやらないと、朝からお前目当てで、人様が並ぶわけないだろう?!」
――え?
川野は瀬里花を睨んでいた。未菜ではなくこの瀬里花に怒っていたのだ。でも、瀬里花目当てって何だ。本当に意味がわからない。一体何が起こっているんだ。
「どういうことですか?」
恐る恐る川野に尋ねるが、彼は顔色を変えないまま、表の入り口を指差した。
「いいから早くショールームに行け。研修はそれが終わってから合流でいい」
――はい?
瀬里花はますます意味がわからなかった。しかし、今は彼の指示に従うしかなさそうだった。未菜としばしの別れである。
ショールームに入るなり、低い声に入り雑じって黄色い声が上がる。男だけじゃない。列には女も半数くらい並んでいる。
――何これ。
「瀬里花ちゃ~ん! 誕生日おめでと~!」
「おめでとう~!」
――誕生日?
中には見覚えのある顔もある。母のお店の常連で保険会社勤務の平野もいる。みんな何しに来たんだ? ここは職場だぞ?
「セリちゃん。SNSのグループチャットにやっと参加してくれただろう? だから、俺が君が困っていることをみんなに告げたのさ。そして、今日は君の二十一回目のバースデーだ。みんな、ずっと祝いたくて我慢してたのさ」
――まさか、そんなはずは。
「お店のお客さんだけじゃないですよ~。モデル時代のあなたのファンもみんな集まっちゃいましたよ~。私のネットワークを甘く見ないで下さいね~?」
そう瀬里花に呼び掛けたのは、あの行きつけのネコホスの女性店員さんだった。
――どうして……。
課金し過ぎたから? セリカがミヤビを迎えにいけていないから?
「私、瀬里花さんからJAFとか入りたいです。だから握手してください」
――そう、どうして……?
「私も入ります! だから握手を!」
――どうしてみんな優しいの?
目頭が熱くなり、胸が締めつけられる。
「瀬里花ちゃん、握手会の始まりだー!」
――握手会って……。
「アイドルか!」
思わず泣いてしまう瀬里花。嬉しくて、嬉しくて、瀬里花は目を腫らし、鼻を赤くしたのだった。
そしてその日、瀬里花のJAFや携帯の実績は、全スタッフの半年分という、歴史的記録を打ち立てた。そしてその大記録と共に、瀬里花の二カ月に及ぶ研修期間は、終わりを告げたのだった。
――そして。
五月三十一日、本社第一会議室にて、役員や各店長が集まり、ついに配属店舗の辞令が下りる。
「……君」
次々に呼ばれる名前。
「小代未菜さん」
胸がドキドキする。瀬里花は自分の名前が呼ばれるのも今か今かと待ち侘びている。
「……店。頑張るように」
緊張からか、瀬里花には周りの音が聞こえない。誰がどこの店舗に配属が決まったのか、瀬里花には一切聞き取れなかった。そう、早く配属を知りたい気持ちも強いが、それよりも今恐怖が勝っているのだ。
「許斐瀬里花さん」
足が震える。指先がピリピリと痺れている。
「……っはい!」
声が上ずる。向けられる多くの男たちの視線に、瀬里花の胸は今にも破裂しそうだった。
「九条大橋店」
――…………!?
「はいっ!!」
「期待しているぞ、頑張って」
役員から辞令の紙を受け取る瀬里花。たくさんの人に守られ、助けられたことに、ただただ感謝するしかなかった。でも、これでようやく彼と同じ土俵に立てる。やっと彼と戦える。瀬里花は一つ肩の荷が下りたような気分だった。
――でも。
そう、だけれど、その陰で未菜が泣いていたことに、瀬里花は気づかなかったのだった。
※ いつもお読み頂きありがとうございます。これにて研修編の終了です。引き続きお付き合い頂けますと、嬉しく思います。
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