答え無き暗号。世界の誰もが、そう言っている


 緑の丘に建つ白亜の洋館、ウェヌス・アキダリア。

 その大きなダイニングキッチンにたたずむ二つの影。


 囁くような、呟くような言葉のやり取りは、三方を覆う巨大なガラスを叩く雨粒によって掻き消され、仮に誰かが廊下を通り過ぎても、その内容を聞き取ることなどできないことだろう。


 黒い髪の野性的な美女がため息交じりに何かをつぶやくと、テーブルの反対側にいる赤い髪の少女がふてくされながら返事をする。


 この空間にあるのは、一人の女性が誰かを想う気持ちと、もう一人の少女が想う、みんなが幸せになるにはどうしたらいいのか、そんな気持ちだけだった。


「ほんとてめぇはイラつくなぁ。姫がせっかく答えに気付いたのに、それを台無しにしやがって」

「だって……」

「てめぇに追いかけられたって、ウチは嬉しくもなんともねえ。それより、勾玉だろうが。ここんとこまったく手に入ってねえから、サタン様もご機嫌斜めだ」

「だって……」


 ふてくされた赤髪の少女がずっと呟く、唯一の言葉にため息をつきながら、黒髪の女性は携帯の画面に触れた。


 そこには今日のアエスティマティオの結果が表示されており、Bランク達成者の名前をタップすると、見たくも無い白髪の男の顔が現れた。


 だから、黒髪の女性は画面をすぐに消して待ち受け画面に切り替える。


 そして購入したそのままの味気ない画面から、目立たない位置に置いてあるアイコンを叩いて、見ているだけで安心できるとぼけた笑顔を表示させた。


「……それにしても、さすがウチの姫。鏡になってるんだから蜂も半分にするとか、普通の奴には思い付かねえよな」

「うん。そこは素直にそう思う。『シーサー』『岩』『蜂』『岩』『シーサー』って並んでるんだから、鏡があるのは確かに『蜂』の真ん中」

「で、『岩』『四』でイワシ」

「うん。釣り部の魚拓、有名だもんね。あの裏に張り付けてあったって」

「へへっ、そこまで思いつけるのに最後の一手までは届かねえってのもまたいいね。あー、雫流のかっこいいとこ、もっと世間に教えてやりてぇなぁ」


 満足そうに背もたれを鳴らす黒髪の女性だったが、その優しい笑みは赤髪の少女によって塗り替えられる。


「…………かっこ悪かったもん」

「おいこら。ウチの姫になんてこと言いやがる。あいつをバカにしていいのはウチだけだ」


 石造りのテーブルがドンと重たい音を鳴らすと、赤髪の少女が体を強張らせた。


 窓を叩く雨の音も、彼女の心を映しだすように強く鳴く。


 辛い。切ない。

 激しい感情の内側で、自分はこうして縮こまっていることしかできないのか。


「手を振りほどかれたのに、それでも許すなんておかしいよ。……ねえ、好きって、どんな気持ち?」


 上目遣いの質問に、黒髪の女性はテーブルを叩いたその手を頬杖に、顔を背けてしまった。


 こうされてはなす術がない。

 赤髪の少女は、溜息と共に携帯を取り出した。



 罰が解除されたその日から、誰かと一緒にいることが出来る幸せが訪れた。

 ずっと一人ぼっちだったから、そんな普通な幸せを、文字通り有難いものと心から感謝して楽しんだ。


 そんな彼女が感じた、久しぶりの孤独。

 拒絶なんか慣れていたはずなのに、一度忘れてしまうとこんなにも辛く感じてしまうのか。


 真っ黒な携帯画面。

 かつては、アエスティマティオの通知が届くだけの冷たい機械だったのに。


 それが、今ではこんなに暖かい。

 その温もりの中に、彼女のIDも入っているはずなのに。



 ……電源を入れると、自分のパートナーがヒントをくれて、自分が解読できた暗号が表示されていた。


 これを捨ててでも、救いたい物があったんだ。

 そう思いながらメールアプリを閉じると、驚くべきニュースが表示されていた。


「この人……。紫丞さん! 多羅たら高ニュース見て! さっきの人が!」


 椅子を跳ね飛ばして立ち上がるほどの剣幕。

 無視を決め込んでいた黒髪の女性も、これにはさすがに反応を示す。


「どうしたんだよ。ニュースがなんだって?」

「雫流を突き飛ばした人! 三年生の辰巳さん!」

「ああ、今度会ったらぶっ殺す。あれがどうした」

「重症だって!」


 二人はそのまま、険しい顔で見つめ合う。

 そして黒髪の女性がゆっくりと携帯を操作して、目を横に、指を縦に滑らせる。


 赤髪の少女も慌てて倣い、そして同じタイミングで嘆息した。


「原因不明の裂傷多数? ……何があったんだろ」

「へっ。どうせウチが同じことしようとしてたんだ。いい気味だぜ」

「駄目よそんなこと言っちゃ!」

「……この男に雫流が殺されかけたんだぜ? こいつの肩を持つような事言うなら、次はてめえを同じ目に遭わせてやる」


 真剣な眼差しには、確かな決意が宿っている。

 それに射すくめられた赤髪の少女はもちろん悲しい思いをしたが、それと同時に、羨ましいとも感じていた。


 雫流が羨ましい、ではなく、雫流を一途に想うことができるこの女性を……、恋を知っている同級生を、心から羨ましく感じた。


「……あたし、好きって気持ち、よく分かってないのかも。みんな仲良くじゃダメなの?」

「ああ、ダメだね。姫に危害を与える奴はウチが倒す。……てめえも例外じゃねえからな、いつもさんざんな目に遭わせやがって」


 確かな恨みに眼光が増した黒髪の女性は、胸の前で腕組みをしながら椅子の背もたれを鳴らしてにらみ続ける。


 そして、泣きそうな目に涙を溜めつつも自分をしっかり見つめ続ける強情な少女に対して、彼女にも理解できるような言葉を探してみた。


「お前、あいつのこと一番の友達って言ってるだろ?」

「今は大っ嫌いだけどね」

「……もし、あいつが一番の友達はウチだって言ったら、どう思うんだよ」

「うーん……。べつに、なんとも」

「はあ……。これじゃ話になんねえ」


 呆れた溜息と、膨れ顔。

 最初の状態に戻った二人だが、黒髪の女性はその方針を変えた。


 無視してここから追い出すことを諦めて、納得させて追い出そうとしていた。


「ウチだったら、そんなの嫌だ。あいつの一番になりてえ」

「じゃあ、とっとと告白したらいいじゃない」

「話になんねえ」

「だめよ、ちゃんと伝わってないと思うよ? 紫丞さん、そんなそぶりも見せないんだもん。いっつも雫流の事いじめてるし」

「雫流の前じゃ普段通りにしていたいんだよ。心配かけたくねえ」


 そうつぶやく黒髪の女性は、寂しそうに微笑んでいた。

 俯く瞳はテーブルを見つめているが、そこに見えているのはきっと違うものなのだろう。


「…………強いんだね」

「やっぱ話になんねえ。弱いんだよ」

「え?」

「……気付かれちまったら、この関係が壊れるかと思うと、怖いんだ」


 赤髪の少女は、胸を針で突かれたような心地を受けた。

 好きなのに好きと言えない。

 そんな辛さと共にあった自分にも、その気持ちは痛いほどわかる


 やっぱり、彼女を救ってあげたい。

 でも、恋愛を知らない自分にはどうしたらいいのか分からない。


 赤髪の少女は、ならば自分も恋を知ったらよいのではないかと考え始めた。


「……今はまだだめかもしれないけど、絶対に何とかしてみせる!」

「またでけえこと吹きやがって。いいか? この世に三角関係を解決した人間なんていやしねえんだよ。どうにかしてえなら、とっとと屋敷から出てけ」

「やだ! あたしに解けない暗号なんかない!」

「こんなの暗号じゃねえって……、おい! どこ行く気だよ!」

「脳内作戦会議! じゃ、おやすみ!」


 鼻息荒く、何かに燃える炎を瞳に宿らせた少女が風のように食堂から出て行く。


 望み通りの静かな空間を手に入れつつも、どこか妙な後味を感じた黒髪の女性は、どうあっても嫌いになり切れない赤髪の少女の魅力に、今気が付いた。



 ……あの瞳だ。



 凛々しく、前だけをまっすぐ見つめる、清々しい瞳。


 雫流が好きな、賢明、純真、優しさ。

 それが詰まった、あの瞳なんだ。



 ……それにしても、重症、ね。

 黒髪の女性は、携帯のニュースを再び見つめながら、その犯人の姿を思う。


 岩山から落下する時、確かに見えた『赤い瞳』。

 奴の狙いはまるで分からない。

 だが、それが自分たちの幸せをかき乱すものだということだけは確かだ。


「ウチが……。何があっても、ウチが必ず守ってやるから」


 熱い息が綴った切なる想い。

 それをかき消すかのように、横殴りの雨が強く窓を鳴らし続けていた。




 つづく。



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