お母さん、ありがとう♥

ティーさん(ポスト・ヒューマン)

第1話 お母さん、ありがとう

「え、お母さん…なんで来たの」

なんの前触れもなく突然やってきたのは懐かしい母であった。


「あーら、ミーちゃん元気だった?」

大きなダミ声が木枯らしの吹く松林に響く。


「ちゃんとご飯食べてる?ミーちゃん、なんかちょっと痩せたんじゃないの?」


一緒に暮らしていた時はこのお節介が我慢ならなかった。どうしてもイライラしてしまうのだ。やっと 一人暮らしになって、ああこれが母の愛情表現なのかなと少し分かった気がする。


ただ、痩せたのは母の方ではないのだろうか。スニーカーにスキニージーンズと白のタートルネックセーター、久しぶりに見る母は10年若返ったようだ。


「え?これ?これね、施設にあんまり服のチョイスないから。ナウいでしょう?こういう服着ると女子大生ですかって聞かれちゃいそうだよね~」

母は恥ずかしそうに顔を赤らめる。


「いや、絶対間違われないから大丈夫」

この腐った母のユーモアを受け継がなかったのは幸いだ。


「ほら、最近お母さん暇だからさ、ちょっと料理を勉強してるのよね。」


母は少し照れながら重そうなバスケットを差し出す。


「これ、ミーちゃんの好きなシュークリーム作ってきたから。あんまり膨らまなかったから平べったいけど、味はおんなじよね。あとウインナーおにぎりとあったかい麦茶も。」


私は久しぶりのごちそうに心が踊る。最近はコーンの缶詰ばかりで飽き飽きしていたところだ。バスケットを開けると、いびつだが、愛のこもったおにぎりがぎっしり並んでいる。


無言で頬張る私を母はじっと笑顔で見ている。


「ミーちゃんはいつもせっかちなんだから、ゆっくりよく噛んで食べなさい」


おにぎりを早く食べすぎて喉につっかえた私に水筒の麦茶を渡してくれる。冷え切った私の体を温かい麦茶が潤して、生き返るようだ。


バスケットの奥に手を伸ばし、3個目のおにぎりを取ろうとした時、指先が冷たく固いものに触った。底にあったそれをそっとつまみ出す、目に入った瞬間、恐怖で指先からこぼれ落ちる。


凍りついた地面にぶつかり、派手な音が響く。やけに軽い金属製の四角い箱、中央の青く光るクリスタル。絶対に見間違えることは無い。トランスクライバーだ。


「ごめんねミーちゃん、これ持って来ないと、施設から出してくれないのよ」

母は申し訳なさそうにトランスクライバーを拾う。クリスタルが青いのは起動していない証拠だ。


「ミーちゃんの気持ちは分かってる。でも、お母さんもお父さんもミーちゃんがいなくて淋しいの。また前みたいに家族三人で楽しく過ごしたいの。もし、もしね、ミーちゃんが心変わりして…」


そこで言葉が途切れる。

私は泣きそうな母を睨みつける。


「家族三人じゃないよね?ターくんもカッくんも。家族五人だよね!」

私はそう口にしてすぐに後悔した。


「ごめんね、ミーちゃん」

うつむく母の目から涙がしたたる。


「ごめん、お母さんを責めてもなんにもならないんだよね。お母さんは悪くない、わかってるのに。お母さんは、命かけて私たちを逃してくれた。ターくんとカッくんが死んだのもお母さんのせいじゃない。」


8月なのに、心の芯まで凍りそうな風が二人の沈黙の間を駆け抜けていく。


私は背中に背負ったセミオートマチックライフルをゆっくり構えなおして、セーフティロックを解除し、チャージングハンドルを引く。


「ミーちゃん、また来るからね」

母は目をつむる。哀しみの表情の中に少しだけ安堵が混じっている。いや、安堵が混じってる気がするだけかもしれない。


照準の向こうの母が歪んで見える。

トリガーにかかる指が震えているのは寒いからだと自分に言い聞かせる。

そして乾いた銃声が白骨化した杉林に響く。


「お母さん、ありがとう」

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