第10.5話 夢

 ……いったいどれだけ寝ていたのだろう。


 シエルの元を離れた僕は、地上ではなく地下にできた空洞の中で目を覚ました。行く先も考えずに飛んだのはいいが、遠くまでいく体力も残っておらず――偶然地表に開いていた大穴を見つけ、そこに飛び込んだのだ。


 深さはそれなりにあって、入り口とも言える大穴からは適度に日が入ってくる。とは言っても、太陽が真上に昇る昼間だけだけれども……それでも傷ついた身体を休めるのには十分な場所だった。


 街からはだいぶ離れているし、途中には森もある。ここまで来るようなヒトも、まずいるとは思えない。下手に人目に付いて騒ぎになるのは望ましくないし、これほど丁度いい場所もないだろう。……というよりも――


「まさか、の場所がそのまま残ってるなんて――」


 自分にとって、この景色は初めてのものではなかった。そもそも、遥か頭上にある大穴を開けたのがことを思い出す。


 自身の身体と引き換えに、ナヴァランが始まる前の地を大きく歪めた遠い過去の日。傷ついた自分はその場から飛び立とうとして失敗、墜落したのだ。地面に大穴を開けて、たまたまその下にあった空洞を更に押し広げて――


 その時は“飲み込んだ”植物を全部吐き出して、辺りが緑に塗れてしまったけれども。今となってはその名残として穴の真下に少し積み重なっているぐらい。……更に言えば、自分がまた吐き出した建物やら飛空挺やらの残骸のせいで、とてもごちゃごちゃとしているけれども。


「――ん?」


 その残骸の中に――取り込んだ覚えのない、飛空艇の胴体部があったような気もしたけれど、今となってはそんなことはどうでもよく。ただ貪るように、眠りへと落ちていくことにした。


 この件については既に終わったことで。街は無事とは言い難いけれど、それでも最悪の自体は回避できた。少しは辺りの竜たちも大人しくなって、シエルの飛行試験も捗るだろう。そして僕は――これ以上波風を立てぬよう、ただ眠り続けていればいい。……そう、あの時と同じように。






『君の背中には立派な翼が付いていて、それは君を飛ばせるだけの力があるはずだ』


 ――声がする。シエルのものではなく、男性の低い声だった。それはなんだか懐かしいような気持ちになって、閉じたままの目を開くことなく、静かに聞き入る。


『それでも、飛ぼうとしないのは何故なんだい?』


 ……覚えているはずだ。この声はシエルの父親、デゼールのもので。あの格納庫の中で、何度も何度も耳にしたものなのだから。


 瀕死の重傷を負って深い眠りについていたところを、半ば無理やりに引っ張り込まれたのにも驚いたが――毎日のように語りかけてきたのである。


 あの頃の自分は、手当てをしてもらったのにも関わらず警戒しっぱなしで。デゼールの前で言葉を発したことは無かったのだけれど、彼は直感で分かっていたのかもしれない。


『君がまた――空を飛びたいと思えるその日が来ることを』

「…………」


 僕は答えない。あの時のように口をつぐんだまま、ただデゼールの声を一方的に受けている。


 ……本当は自分だって飛びたかった。かつて感じたあの風を、再び全身で受ける日を、心のどこかで望んでいた。


『私が死んで……シエルが竜を、飛ぶことを憎まないで済んだのは――きっと、君のおかげなんだろうと思う』

「――――っ」


 そんなことはない。そう口にしようとしたところで、初めて自分の口が動かないことに気づいた。……そうじゃない、自分は何もしていない。


『君には――シエルと共に、夢を追い続けて欲しい』


 ――自分はただ、頑張っていたシエルを横目で眺めていただけで。彼女が空を諦めなかったのは、彼女自身が強かったことに他ならないのに。それなのに僕のおかげだなんて、見当違いも甚だしい。そうじゃない、訂正しないと――


『私がいない今、娘のことを頼んだよ』


 ――イグナ。


「――――」


 ――名前を、呼ばれた。そんな気がした。デゼールには一度も名乗ったことがなかったはずなのに。それでも、彼が自分の名前を呼んだ気がしたのだ。その表情を確認しようとするも、未だに目は閉じたままで。なんでこれまで疑問にすら思わなかったのだろうと、半ば混乱しながらも目を開く。


「――イグナッ!」

「っ!?」


 さっきまでぼんやりとしか入ってこなかった声が、急に色味を帯びていた。直接鼓膜を震わせているような――脳にまで届くようなシエルの声だった。目を開けた瞬間、その一瞬だけ、父親デゼールの姿がダブったような気がして。まだ十分に覚醒していない頭を、ゆっくりと起こす。


「――やっと見つけた」

「……シエル? なんで……」


 一瞬、自分があの格納庫にいるのかと思い辺りを確認するものの、眠る前にみた360度が石壁に囲まれていて。となると彼女がわざわざここまでやってきたということなのだけれど、それにしても何故ここにいることが分かったのかが皆目見当もつかない。


「私はあのまま別れるだなんて、納得してない」


 シエルのその口調は少し怒っているようで。……それは自分も少しは予想がついていた。自分の取った行動について、納得してもらおうとも思っていなかったし、許されるつもりも無かったし。そもそも再開するつもりも無かったのだから。


 先程まで見ていた夢の、その中のデゼールが言っていたことに従うのならば、素直に頷いて格納庫へと戻るべきなのだろう。――けれど、あれは全て自分の脳内が勝手に見せていた、それこそ‟都合のいい話”というやつで。『シエルと共に、夢を追い続ける』だなんて、どの口が言うんだか。


あれだけ派手に暴れたのだ。いくら街から避難していたとしても、その姿を見たものが一人もいない筈はない。シエルの傍にいることで、いつ見つかって責任を問われるかもしれない危険を、他ならぬ彼女に抱えさせるわけにはいかないだろう。


「ボクは――……」


 彼女の言葉に、なんと答えたものか。いつもならばスラスラと出てくるものが、今では喉のあたりでつっかえていて。彼女を諦めさせたいのか、自分がどうしたいのか、それすらも分からなくなって――


「……お願い。聞いて、イグナ」

「……っ」


 俯いていると、いつの間にかシエルはすぐ傍まで来ていて。頭に両手が添えられたことで、初めてそれを認識する。


 正面から、真っ直ぐに。こちらの瞳の奥まで覗き込むような視線から、逃れることもできず。ただ黙って、シエルの言葉を待つ。その瞳に宿っていた光はよく知っている。夢を見続けて、諦めることのない意志の光だ。


「私の夢を、イグナも手伝うの。その代わり――」

「…………?」


 ――僕の役割というやつはどうやら、まだここでは終わらないらしい。

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