第9話 流星-ナガレボシ-

 場面は格納庫へと戻り――状況はシエルが飛び出した時のまま。


「……んんん」


 イグナは突然飛び出していったシエルを追うことはせず。しばらくしたら戻ってくるだろうと、再び身体を丸めて眠りに落ちていた――のだが、突如聞こえてきた竜たちの鳴き声と砲撃音に、再び目を覚ましたのだった。


「いったい何が起きて……」


 明らかに異常だったものの、鎧戸シャッターが閉まっているために外に出ることもできず。少しでも何かを聞き取れないかと、首を伸ばし耳を澄ませるイグナ。


 様々な音が混じりあい、判別が付きにくくなっている中で。必要な情報の取捨選択を進めていくが、そんなイグナの集中も勢いよく開かれた扉に遮られてしまう。


「止めないと――!」

「――っ!?」


 それは殆ど不意打ちのように。完全に集中していたイグナは、思わず身体をびくりと震わせた。入ってきた人物は彼の予想していた通り――


「シエル……?」


 息を切らせて戻ってきたのは、さっきまでの喧嘩相手だったシエルである。ただ戻ってきたにしては、明らかに焦っている様子が見て取れて。それには間違いなく、外の騒ぎが関係していて。彼女が慌てるほどの‟何か”があったのだと、イグナは察したのだった。


「空にたくさんの竜が飛んでた。街の方も……配備してた兵器で迎撃してる」


 開け放たれた入口から微かに漂ってくる火薬の臭い。それに続いて――むせるような濃さの、生臭い血の臭いが後を追ってくる。丘を越えたすぐ先にあるとはいえ、格納庫まで届く程。相当な濃度だったことが自然と窺い知れた。


「まさか……凶暴化しているとはいえ、そんな無茶をするわけが……」


 わざわざ危険を冒して街を襲うなど、愚行もいいところである。いくら本能で生きているようなそこらの小竜だろうと、それぐらいは弁えているはずだと唖然とするイグナ。


 それだけの理由が何かあるのだろうかと考えを巡らしたところで、答えなどは出てくるはずもなく。なだれ込んできた情報を整理しているイグナを尻目に――シエルは着ていた作業着を脱ぎ捨て、飛行服に着替え始めたのだった。


「原因はわからないけど――このままじゃきっと酷いことになる……!」

「――――っ!?」


 ――この血と火薬の臭いに塗れた空の中を、シエルは飛ぶつもりでいた。信じられないと息を呑むイグナ。

 

「いったい、どうするつもりなんだい!? 上手く飛べない飛空艇それじゃあ、行っても巻き込まれるだけだ!」

「分かってる! それでも――……!」


 鎧戸シャッターを開け、飛空艇を荷車に乗せて外へと運び出すシエル。その手には自然と力がこもり、荷車の持ち手がミシミシと音を立てていた。奥歯を噛み締めながら、彼女は絞りだすように声をあげる。


「こんな空……私は見たくない……!」

「無茶だっ……! 君が行ってどうにか――」


 イグナが止めるのも聞かず、シエルは蒸気機関スチームエンジンを稼働させた。ガタガタという乱暴な音に、イグナの言葉は掻き消されてしまう。


 そのまま足を止めることなく、格納庫から離れていくシエル。――後のことなど考えていなかった。まずは『止めなければ』という感情でいっぱいだった。格納庫へ戻ってきた時と同じぐらいに、自然と足が早くなる。


 飛び立つための助走をつけるために一息に丘を登り切ったシエルは、ここで後戻りをする気はないと、坂を下るように飛空艇を滑らせていく。そして、勢いのついた飛空艇に乗り込み――蒸気の吹き出す音と共に、ナヴァランへと飛び立ったのだった。






 黒々とした空の中を、一機の飛空艇が駆けていく。


 深緑に塗装されたそれは、あまりにも場違いで。竜の咆哮とも、対空砲の砲撃音とも違う音を撒き散らしながら飛んでいく。なるべく目立つように。竜たちの意識を少しでも街から逸らせるように。


 結局完成することはなかったため、時折り上下左右にふらつきはするものの――シエルの操縦によって、飛空艇は街をぐるりと旋回するように近づいていった。


「なんとかして追い払わないと――」


 シエルが右腕のクロスボウを展開した。狭い操縦席の中で、ガチャンという機械音が鳴る。装填されているのは特製の照明弾や音響弾で。ここで下手に危害を加えても、状況は悪化するだけだと。あくまで追い払うことを目的に、群れに向けて矢を撃ち出す。


 殺傷力はないものの――衝撃によって矢に取り付けられたカプセルが開いて。弱い魔物ならば気絶する程の爆音、閃光により中心部にいた竜たちは怯み、その旋回を停止させる。


「上手くいった……――っ!?」


 シエルの喜びの声も――後方から襲ってきた砲弾によって遮られた。


 飛空艇のすぐ真上で、血が、肉が、弾け飛ぶ。

 ――鈍い、鈍い音が。シエルの耳に届く。


 視界を失い、空中で動きを止めた竜が撃ち抜かれたのだった。


「なっ――」


 突然の出来事に、絶句するシエル。また――空が、血に染まる。


 飛空艇の風防に飛び散った竜の血が、シエルの視界に残り続ける。操縦桿を握る手が、震えを抑え込めずにいた。こんなはずではないと、そんなつもりではないと。頭を抱えて叫びだしたくなるのを堪え、シエルは操縦桿を握り直す。


「お願い……元の住処に逃げて……!」


 中には正気に戻ったのか、背を向け街から離れていく竜もいた。――が、あまりにも全体数が多すぎたのだ。何かに憑かれたのように、牙を剥き続ける竜たち。そうしているうちに、限界は訪れ――シエルはすべての矢を撃ち尽くしてしまっていた。


 かといって、ここで戻るわけにもいかず。どうにかして止めようと、今度は飛空艇を接近させ、竜の行方を遮ろうとする。


「お願い……!」


 無理な挙動を繰り返すせいで、機体が悲鳴を上げる。イグナの言っていたように、本番で都合良くいくはずもなく。依然として、高度を維持するだけでも一苦労な状態。


 一住民であるシエルには、砲撃を止めさせることなどできない。こうして竜を止めることもできずにいる。どちらに対しても、どうすることもできず。フラフラと間を飛び回るのみ。




『君が行ってどうにか――』――できるわけがない。


 最初から最後まで、イグナの言った通り。

 その事実に、シエルは歯噛みをする。無力感がじわじわと込み上げてくる。


 何のために、今まで飛び続けてきたのだろう。

 何のために、翼を求め続けてきたのだろう。

 何のために――


「なんで……」


 私は翼の無い生き物に産まれてきたのだろうか。


 こんなに悔しい思いをするぐらいなら――

 いっそヒトに産まれなければ良かったのだ。


 ――そう、例えば竜に。


 誰よりも努力して、誰よりも優雅に、自由に飛んで。

 この世界のどこにだって、手が届いて。


 きっと、こんな争いなんて簡単に止めることができたのに。


 あの怠け者イグナを無理やりにでも引っ張りだして――

 二人で自由に世界中を旅することができたのに。


「――なんで……!」




 シエルは悔しさに唇の端を噛む。その力があまりに強かったのか――プツリという音の後、一筋の血が垂れる。――その時だった。


 バキリッという嫌な音と共に、飛空艇が衝撃に揺れる。


「――あぁっ!?」


 飛び続けていたシエルの飛空艇に、地上から放たれた砲弾が掠めたのだった。直撃は免れたものの、限界に近かった翼は掠めただけで使いものにならなくなる。空中で姿勢を制御する術を失った飛空艇は、速度を失い落下を始める。


 ――お父さん。

 私もやっぱり上手く飛べなかったよ。


 シエルがふと思い出したのは、流れ星について父親と話した思い出。

『きっと、ナヴァランの外なら見つかるはず』と。


 ファリネへと行って帰るまで――何度、夜空を見上げたことだろう。今まで見ることのできなかった満点の星空は、とても素敵だったけど。それでも、いくら待っても流れ星に遭遇することは無かった。


「お願い……できなかったからかなぁ……」


 翼を中心にバラバラと崩れていく飛空艇の中で、自嘲するシエル。待ち望んでいるだけでは駄目なのだろうか。やはり、自分から動いて行かなければ夢は掴めないのだろうか。


「頑張ったんだけどなぁ……」


 これだけでは、足りなかったのだろうか。

 どれだけ努力をすれば、足りたのだろうか。


 最後まで見ることが出来なかった流れ星だけど――

 せめて、どこかに必ずあると信じて。


 本気で願いが叶うなんて思っていないけれど。

 それでもせめて、夢を叶えようと努力していたことだけは伝えたい。


 確かに私は翼を求めていたのだと。

 最後の最後まで諦めることは無かったのだと。


 きっと天国の父親にまで届くように――シエルは叫んだ。


「――翼が欲しい! 自由に空を飛びたい!」


 途切れることなく続く砲撃音も、竜たちの上げる咆哮も。

 シエルはそれら全てを捻じ伏せんばかりに声を張り上げる。


 しかし、声を受け取る者などいるわけが無く。無情にも飛空艇は既に羽ばたく力を失い、ただただ落下しているのみ。


 叫んだところでどうにもならないと分かっていたとしても、ゴーグルの内側で涙が溢れ、シエルの視界が滲んだ。


「お父さんの為じゃない! 誰かの為じゃない! ただ、私の夢の為に――!」


 もう視界に何が映っているのかも碌に判断できない。そんなシエルの視界の中で――眩しく輝く点が、浮かんでいるのが微かに見えた。


 それはまるで、夜空に浮かぶ星のようで。

 赤にも白にも見える、不思議な色の光だった。


 地面から一瞬で飛び上がったそれは、徐々にシエルの方へと近づいてくる。


 光は飛空艇にぶつかる寸前まで接近して。すでにシエルの視界は輝きで埋まっており、先よりもなお見えなくなっている。


 それでもシエルは――願いを叫ぶことを止めようとはしない。


「空を――」


 その声を遮ったのは、牙を剥く竜たちではなく。激しく撃ち出される砲弾などではなく。――たった一つの流星だった。


 とても――馴染みのある声だった。


「――煩いなぁ。……何回も言わなくても、ちゃんと聞こえてるよ」


 ガクンと、落下が止まる。なにも遮るものが無いはずの、空の中で。この場に、この惨状に。最も似つかわしくない姿が現れた。


 倉庫の隅でいつも眠っていて。

 身動き一つするのにも億劫そうにしていた筈なのに。


 ゴーグルの中で目を見開くシエル。


 飛空艇の風防の外に見えたその姿――深緑の色をした鱗で覆われた全身も今は眩しいぐらいに光を放って。これまで開くこともなかった翼をはためかせるイグナの姿があった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る