第2話 暗き坑道を抜けて

 降り注ぐ小石や砂が、パラパラと飛空艇の底部を叩く。シエルを乗せた飛空艇は上下逆さの状態で、地下にあった空洞の中心部に落下していた。


「痛てて……。流石に今のは死ぬかと思った……」


 申し訳程度の安全装置が働いた搭乗部の中で、シエルは呻く。怪我が無かったのは不幸中の幸いだろう。飛空艇が落ちた辺りには木の葉や枝が積み重なっており――それが多少なりとも、クッションの役割を果たしていたことも大きい。


「んうぅぅぅ」


 ボロボロになった飛空艇から、何とか這い出したシエル。彼女が腰に手を当て、伸びをするように見上げると、天井にぽっかりと開いた大穴が、空を円形に切り取っていた。


「OOOoooooooo!」


 先ほどまでシエルを追いかけていたの竜の鳴き声が、洞窟の内部へと響いてくる。単純にシエルを見失ったのか、それとも洞窟まで入るのを嫌ったのか。段々と遠ざかっていく声に、とりあえずの脅威は去ったとシエルはようやく一息ついた。


「あーあー……。機関エンジンは持って帰って修理するにしても――」


 シエルの目の前には、墜落によって再起不能なまでに破損した飛空艇。他のパーツと違い機関エンジンは群を抜いて高価で、なかなか替えがきくものではない。『はぁ……』とシエルは再びため息を吐きながら厚手の皮手袋をはめ、まだ高温状態にある蒸気機関スチームエンジンを取り外す。


機体ボディウィングはまた一からかぁ……」


 新しく飛空艇を作るための資金、材料、そしてそれに費やす時間。そういった諸々の問題とは別に、どうしても解決しなければいけないことが一つ。


「……どうやって帰るの、これ」


 ――帰り道である。


 落ちた穴は高く、遠く、それでいて不安定という三拍子。道具を使ったところで出るのは難しいだろう。機関エンジンという荷物を抱えたままの状態となると、尚更である。つまりは、別の出口を探す必要があった。


「日のあるうちには、格納庫に戻らないと……」


 ごつごつとした壁面には、燃料の切れたランプ。地面には貨車が通るためのレール。そこは――かつて使われていた坑道の一部だった。


「持ち物は何も壊れてないよね……良かった」


 装備に異常がないことを確認したシエルは――蒸気機関スチームエンジンの熱が冷めるまで待つことにした。






 腰に提げたランタンからの灯りで、壁面に映った影が揺らめく。かれこれ数十分は歩き続けているだろうか。シエルは薄暗い坑道をひたすらに進んでいた。


 閉塞的な場所で、たった一人。大の大人でも抱えるだけで精一杯な筈の、蒸気機関スチームエンジンを軽々と担ぎながら。


「出口はまだなのかな……?」


 シエルの中で、疲労が徐々に溜まっていく。


 ――道中にいくつか上り坂があったこと。

 ――徐々に壁面の整備具合が良くなっていること。


 これらから、確実に出口へと近づいている確信があったのだが――


「やっぱりいるよねぇ……」


 不穏な気配を察知して、担いでいた荷物を地面に下ろす。シエルの視線の先――坑道の天井部で、


 その影は天井から離れふわりと浮いて、一直線にシエルの方へと向かっていく。


 鳥のようにも見えるが、全身は毛に覆われて。頭には大きな耳が一対、ブヨブヨとした皮でできた、身体の倍以上の大きさもある翼。シエルの持っていたランタンの灯りに照らされたのは――身体が人の頭ほどの大きさもある吸血蝙蝠だった。


「悪いけど手加減はできないからねっ」


 シエルは右腕を掲げ、肘の部分に取り付けられたスイッチを押す。


 ガチャンッという音と共に展開された、改良型クロスボウ。右腕から大きく広がる弓は、まるで風切羽のようで。即座に装填され、先へと伸びるそのやじりはさしずめくちばし


 そして一瞬のうちに引き絞られた弓を、シエルは引き金を引いて解き放つ。狙いを付けて発射された矢は、高速で飛び出し。次の瞬間には、魔物の身体を貫いていた。


 百発百中。一撃必殺。彼女専用に様々な手を加えられたそれは――威力も、精度も、一般のものとは格が違っていて。引き金の重さは、求められる威力・安定性に比例する。常人ならばピーキー過ぎて扱うことができない代物だろうが、ドワーフ特有の筋力を持つ彼女ならば造作もないことだった。






 わらわらと湧いてくる吸血蝙蝠を撃退しながら、進んで行くシエル。疲労困憊の中で、辿りついたのは――大きく開けた、作業拠点として使われていたであろう場所だった。


「んー。やっと一息つけそう……」


 休憩用に設置されていたテーブルの上に機関エンジンを置き、シエルは椅子に腰かける。シエルが荷物の中にいれてあったパンを齧りながら、辺りを眺めていると。視界の隅――この開けた空間の端に、白っぽい色の小山が出来ているのが見えた。


「へぇ、珍しいものも採れて――……んん?」


 白色の鉱石が積み重ねられているものかと思いきや、それは生き物の骨。魔物の餌食になった者の、その残骸。そして、その狩場に入ってきたシエルを出迎えたのは――道中で見かけたよりも、一回りも二回りも大きな蝙蝠型の魔物だった。


「もぉおおおぉ! 親玉が出て来てんじゃないのよぉ!?」


 案の定、魔物は次の瞬間には大きな翼を広げてシエルへと滑空していく。真っ直ぐに飛んでくる様は、さながら黒い風。両翼に備わった爪は、長く、鋭く。一度捕まってしまえば、ひとたまりもないだろう。切り裂かれるような一撃が、耳元を掠めた。


「――っ」


 なんとか回避に成功したシエルは、振り向き様に矢を撃ち込む。――が、完全に背後からの攻撃にも関わらず、するりと躱されてしまう。完全に背後からの攻撃にも関わらず。まるで、後ろにも目があるかのように。


「……! 確か蝙蝠って――」


 矢の残り本数も、道中の度重なる戦闘によって数少ない。このままではまずいと、シエルが懐から取り出したのはクロスボウのカートリッジだった。


「これはとっておきだったけど……」


 これまでのものとは別の、シエル特製の矢が装填される。それを確認したシエルは、再びクロスボウを構え、狙いを定めた。魔物目がけて放たれたその矢は、再び軽々と躱され壁面に当たる。


「――弾けろぉ!」


 矢に取り付けられた小さな筒の部分から辺り一帯に向けて、想像を絶する程の“音”が放出される。万が一、竜に襲われた時の為に用意していた音響弾。その威力は、耳を塞いでいたシエルでさえも音の圧力を感じる程である。


 当然、何の対策を取ることもできない魔物ならばタダで済むわけがない。それが、聴覚を頼りに獲物を狩る蝙蝠ならば尚更のこと。魔物は音によるショックで、空中に留まることが出来なくなり墜落し、なんとか飛び立つための壁面を探すために、地面を這っていた。


「…………」


 もちろん、この絶好のチャンスを逃すはずもなく。今度こそ、確実に。シエルは、その魔物を矢で貫いた。――その後、大きな障害となる魔物も出てくることはなくシエルは、なんとか坑道を脱出することができたのだった。


「出れたぁぁぁあ!」


 頬を撫でる風にシエルは目を細める。


 やっぱり、外はいい。

 風を感じられるのは、とても気持ちがいい。


 彼女が空を見上げると、空は依然変わらず灰色のままだった。






 フラフラになりながらも、なんとか格納庫へと戻ってきたシエル。坑道を彷徨う中で蝙蝠たちから傷を受けることは無かったが――最初の落下とこれまでの歩き続けたことによって、疲労感が限界にまできていた。


「……ただいまぁ」

「おかえ――……なんでボロボロになってんの」


 そうして疲労困憊状態で帰還したシエルを、呆れながら出迎えたのは――

 森の木々の葉と同じぐらい深い、緑色の鱗を持った一頭の竜だった。

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