第2話 妄想

 家に帰ると、わたしはケータイからネットで翼人症候群について検索してみた。今までは名前ぐらいしか聞いたことがなかったし、周りにも患者を見かけたことはなかった。でもあの医者の説明からすると、もし患者がいたところで発病する前にたちまち三つの選択肢の中のどれかに放り込まれてしまうのだから、目に付きようがないのかも知れない。


 すぐにネット上の辞書サイトの記事を見つけた。


『翼人症候群』


 読んでみると、何年に最初の患者が発見されただとか何歳から何歳までの間に何千人に一人の確率で発症するだとか、要するにうちの弟とは全然関係のないことがだらだらと書き連ねてあった。下の方には発症後何年何ヶ月でどれくらいまで症状が進むか、ということがイラストで丁寧に解説してあって、そこをむしろわたしは熱心に読んだ。そこには、徐々に背中から大きな翼が生えていく姿が、綺麗なスケッチで描かれていた。ある段階までいくと、羽も生えるということだった。隅には、これは人類進化史上における一種の先祖返りなのかも知れない、という学者の説が引用してあったが、これもやはり弟には関係のないことだ。細かいところは結局よく分からなかったので、わたしはケータイを閉じた。


 そのままわたしは、ドサリとベッドへ背中から倒れ込んだ。そして少し考え、体を横に向ける。弟はこうして仰向けに眠ることすら出来ないのだから。白い壁紙を間近に見つめながら、わたしは自分が弟に何をしてやれるかについて考えた。


 弟が背中が痛い痛いと言いだしたのが大体一ヶ月前で、その頃にはすでに学生服を着るのも苦痛に感じていた。肩胛骨が硬い布地に擦れて痛いらしかった。母さんはおろおろとあっちこっちの病院を廻ったけれど、どこへいっても曖昧でいい加減な応えしか返ってこなかった。そして最後に正解が出たと思ったらあんなのだった。


 わたしは弟に何をしてやれるのか。今、父さんと母さんはリビングで医者から貰ってきたパンフレットを眺めている。安いと言っても、うちが払うには多少の借金が必要なぐらいの額だった。でも、確かに払えないほどではない。もちろんわたしもバイトぐらいのことはしてもいいけれど、そんなことをしたところで焼け石に水だろうとも思った。


 結局、わたしに出来るのは今日みたいに弟に付き添ってやって、何も出来ないバカみたいに横に突っ立っているぐらいしかなさそうだった。そんなこと、マネキンにだって出来る。


 つまらない。


 わたしはカバンの中から携帯ゲーム機を取りだして電源を入れた。ゲームの中では、世界的に有名なキャラクターが跳んだり撥ねたりしながら敵を踏んづけて、ラスボスを倒しに画面を左から右へ移動していた。これぐらいの分かりやすさがわたしにも欲しかった。わたしも画面の左から右へ飛び跳ねながら走っていって、最後に旗に飛びついてゴールインしたいのだ。お姫様を助けるなんて脳天気な目標はなくていいから、ひたすら走ってジャンプして敵を踏んづけて日々を過ごしていければいいと思う。そうすればいつの日かわたしもその功績が認められて、世界的なキャラクターになれるかも知れない。世界的なキャラクターになったら後は海外のリゾート地で悠々自適の生活を送るのだ。そしてその財力を使って片手間にひょいと弟の病気を治したりもする。


 そんな脈絡のない妄想をしながら、わたしはベッドの上でゲーム機のボタンを一切頭を使わずに押して、押して、彼を画面の左から右へと移動させた。

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