夢のお告げ
高い煙突からもくもくと静かに登りゆく真っ白なそれを私はただ茫然と眺めていた。
半年前に突如見始めた夢は、何もない真っ白な世界で不思議と現実での孤独や痛み、苦しみから解放してくれるようだった。まるで私を優しく包み込んでくれる、羊水の中を揺蕩うようで、ただただ心地好かったことを覚えている。
そこに真っ黒な人影が不意に現れる。それでも私はそれを不思議と怖がることはなく、なにかを告げてくるそれにうん、うんと素直に頭を縦に振り続ける。だと言うのにいつだって夢の中で、私は最後には子どものように泣きじゃくっていた。目の前の黒い人影に言われたなにかに傷ついたのだろうか。辛かったのだろうか。怯えていたのだろうか。わからない。
でも、黒いそれが私に「大丈夫だよ」と優しく伝えてきたことは覚えている。「君ならきっと乗り越えられるよ」と。ない口が微笑んだ気がした。
目が覚めるとびしょびしょに濡れた目元を両手で覆う。その隙間からはぁと息を溢す。かれこれ数週間毎日見続けているこれを、「疲れてるのかな……」と言葉を溢しながらも私はどう解釈していいのかわからなくなっていた。
そんな折り、実家を離れて疎遠気味になっていた妹が久々に「大事な話があるんだけど」と連絡してきた。
「子ども、出来たんだ」
電話越しでもそう告げる妹の綻ぶ表情が見えた気がした。
「え、おめでとう」
「まぁ、安定期に入ったら言おうって思ってたからもうお腹も結構大きくなってて、ちょっと今更感があって申し訳ないんだけど」
「そんなことないよ。嬉しい知らせに変わりはないでしょ?」
そう返せば、そういってもらえると嬉しい、ありがとう、と妹は笑った。
───それからだ。夢が、少しだけ変わった。
景色は変わらない。あの黒い人影もいる。ただ、何処か息苦しい。まるで真綿で優しく何かで首を絞められているような……。それでも黒い人影は同じ言葉を繰り返す。そうして私はまたそれの言葉に子どものように泣きじゃくるのだ。日を追う毎に苦しさは増していく。
そんなとき、実家から連絡が入った。妹が入院することになった、と。聞けば、おいつの間にか赤ちゃんの首にへその緒が絡まり心音が弱ってしまっているらしい。妹の体調不良で偶然医者にかかった際にわかったことだと母が続けた。
それを聞いて妙に納得する自分がいた。あぁ、あの苦しみはそれを告げていたのではないだろうか、と。
あの夢はやはり私になにかを告げているのだ。なんの根拠もなくそう思った。
私の魂はもしかすると妹のお腹の中と共鳴しているのかもしれない。そう思えて仕方なくなり、私は夢で何か違和感を感じる度に妹に連絡してその様子を伺った。案の定その度に妹は入院を余儀なくされていた。しかし、運良く大事に至ることもなくお腹の中の子はすくすくと育っていった。
妹は頻繁に連絡をいれる私を心配性の姉だと苦笑していたけれど、それでも彼女のお腹の中の子の異変にはいち早く気づける自信があったし、子どもを守る、それが私の使命のような気もしてた。
数ヶ月経ち、無事妹は子どもを出産した。元気な男の子だった。
良かったと思う。
同時にあの不思議な夢も見ることはなくなった。あぁ、やはりあの夢は妹の子どもを助けるための私への何者かからの啓示だったのかもしれない。「大丈夫だよ」の言葉通り上手くいった。
そう思っていた。
その日、久々にあの夢を見た。不思議と現実での孤独や痛み、苦しみから解放してくれるようなあの何もない真っ白な世界が広がる。ただただ心地好い空間で、あの真っ黒な人影が私に向かってまた告げる。
「大丈夫だよ」と。
「君ならきっと乗り越えられるよ」と、ない口の口角が緩やかに上がった気がした───。
「お姉ちゃん!」
その声に私はハッとする。私の部屋の扉を勢いよく開けた妹は丸めたティッシュみたいなくしゃくしゃの顔をしていた。
「お母さんが、……お母さんが………」
そこまでいって妹は崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。そうして、察した。そこからはあっという間で父親が葬式の手配をして、式は厳かに進められた。
そうして私は今こうして、高い煙突からもくもくと静かに登りゆく真っ白なそれを私はただ茫然と眺めている。悲しさも、痛みも、苦しみも、何も感じない。近くで妹は叫ぶように、父は隠れるように涙を流している。母はもう人の形を何処にも残していない。その事実にすら心が動かない。
あぁ、そうか。これなのか。
真っ白な世界を、真っ黒な人影を、他人事のように思い出しては
「君ならきっと乗り越えられるよ」
その言葉を頭の中で繰り返した。
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