拍手
気が付くと、いつの間にか講義は終わっていて、広い講義室には私1人が取り残されていた。まずい、次の講義の教室はどこだったっけ。教科書や配られた参考資料のプリントを急いでまとめながら考える。
ふと視線を感じて、恐る恐る顔をあげた。次にこの教室を使う誰かがもう来てしまったのかもしれない。
しかし、向けた視線の先にいたのは、政夫叔父さんだった。どうしてこんなところに政夫叔父さんがいるのだろう。政夫叔父さんは母方の叔父でこんなところにいるはずがないのに。
そんなことを考えていると、その後ろに他にも誰かの姿が見えた。目を凝らしてみると、それは従妹の麻理姉ちゃんだったり、父方のお祖母ちゃんだったり、中学の時の同級生の優君の姿だった。皆どうしてこんなところにいるのかわからなかった。ただ、皆、無表情で真っすぐに私を見つめている。訳も分からず、足元が急に冷たくなっていくのを感じた。
必死に皆がここにいる理由を考えていると、視界の隅で政夫叔父さんが動いた気がした。視線の先を叔父さんに向ける。すると、ゆっくりだが叔父さんの口が動いていることに気が付いた。その動きをじっと見つめ、何を言っているのか言葉を追う。
「お・め・で・と・う」
確かに叔父さんの口はそう動いていた。訳が分からず政夫叔父さんから目を離せずにいると、ぱち、ぱち、ぱちと音が聞こえてきた。政夫叔父さんを皮切りに、後ろにいた麻理姉ちゃんやお祖母ちゃん、優君、いつの間にか現れていた他の何人もの人が拍手をしていた。ぱち、ぱち、ぱち。ゆっくりと打ち鳴らされる乾いた音と共に、皆が、1歩、1歩、ゆっくりと私の方に向かってくる。音もなく紡がれる「おめでとう」が、何故か耳の奥で響いている。今にも発狂しそうな自分を理性でどうにか抑えて、皆から目を放すことなく、1歩、1歩確実に後退する。
だから、油断してしまった。背後にいた誰かとぶつかった。瞬時に飛びのき、ソレと向き合う。ぱち、ぱち、ぱち、乾いた音と「おめでとう」を紡ぐその主に私は言葉を失った。
――――ねぇ。ねぇ、大丈夫?
気が付くと、心配そうに未希が私の顔を覗き込んでいた。
「なんだか、うなされていたみたいだったから……」
「あぁ、うん。ありがとう」
あれは夢だったのだろうか。
何か変な夢でも見たの?と尋ねる彼女に、先程夢で見た政夫叔父さん達の件を掻い摘んで話した。
すると、未希が僅かに怪訝そうな表情を見せる。
「え、政夫叔父さんって……」
未希の言いたいことはすぐにわかった。
――――そう。政夫叔父さんは半年前、事故で亡くなったのだ。麻理姉ちゃんもお祖母ちゃんも優君も、もう随分前に亡くなっている。
「それに拍手もね……裏拍手だったの……」
死者の拍手。そう、か細い声が空気を揺るわす。
未希が少しだけ開けた口を戦慄かせ閉じたことは、見なかったことにした。
私も、何も言えなかった。
体感としてはいつまでも続きそうな、だが実際は数秒も経っていないこの短い沈黙を先に破ったのは未希だった。
「そんな変な夢は忘れてさ、何か食べに行こう!」
戦慄く口をゆっくりと閉じるのは、今度は私の番だった。
「空腹と睡眠不足は精神的に良くないんだよ」
そう言って笑顔で先を歩き始めた未希の後ろを、私は無言で着いていく。代わりに笑顔を作る。それが正しいのかは私には分からないけど、私はそれを受け入れることにした。
あのとき、私の背後にいたのは、確かに未希だった―――。
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