第19話 ピアンヴィコ地方その2

「よく似合ってるじゃないか」

 屋敷を出る前に着替えたチェック柄ズボンとジャケットのセットアップに、エルマーが賛辞を送る。グレー地に黒のチェックという地味な色合いだが、肌触りが抜群にいい。柄物はちょっと、というアルフレートの拒否の言葉を引っ込ませるには十分だった。

 朝日が当たり、庭は輝いていた。雨はいつ降ったのだろうか。通路を囲むように生えたラベンダーとローズマリーの植え込みが露に濡れている。敷石の隙間から生えるニチニチソウを踏まないよう、2人は目的の場所を探し歩く。

「ああ、あれだ」

 エルマーが前方を指差す。屋敷の左手隅にある東屋に人影が見える。石造りのガーデンベンチに座るのは昨日も見かけた傭兵だった。背中に背負っていた大きなロングボウを、今はベンチの手すりに傾けている。女性だというのに見事に隆起した筋肉はどれほどの鍛錬を積んだのだろう。こちらに気付き、手を挙げている。

「わざわざ出向いてもらって、どうもありがとう」

 黒髪と金髪が入り混じるウェーブした髪、日に焼けた顔と長身の狩人は2人と順に握手する。力強い、気持ちの入ったものだった。

「こちらこそ。色々と話を伺いたいと思っていたものの、その、歴戦のオーラ漂う戦士たちには話しかけづらいと感じていたんだ」

 にこやかに返すとエルマーは向かい側に座る。アルフレートはその隣に掛けることにした。

「傭兵集団には声かけづらいよね。其方さんから見たら柄悪いだろうしさ。こっちも壁は感じてる。さっきも執事の人に『屋敷内には案内できない』ってはっきり言われちゃったよ。……ああ、私はリュカ」

「エルマー・シュパンだ。こっちは友人のアルフレート」

 エルマーの指し示す先を見ながらリュカは頷く。

「うん、男爵家の方だって聞いてたんだけど、エルフ連れてくるような変わり者だから話してみる価値あるかも、って思ったんだよね」

 リュカはそう言って肩をすくめた後、豪快に笑った。やがて真顔に戻ると、アルフレート達を交互に見る。

「単刀直入に言うよ。このタイミングで来たんだ。皇帝の従兄弟さんのことだろ?」

 アルフレートとエルマーの顔を見合わせる仕草を返事とし、リュカは続けた。

「私、見ちゃったんだよね。例の皇帝の従兄弟さんとウルの女王が会ってるところ」

 エルマーは指を組み、親指を回す動作をすると呟く。

「なるほど」

 深いため息には興奮を抑える意味があった。アルフレートもルシアノルの話だと予想はしていたものの、目の前の狩人が実際に見かけた本人とは思わなかった。リュカは反応を確認する鋭い視線を和らげ、敷地の外を指差した。

「ここの提供飯はね、質は良いんだが、私みたいなのには量が足らなくってさ。兎でも狩るかって遠出してたんだ。湖があるだろう? あそこの辺りほとりに2人がいたんだよ」

「疑うわけじゃないんだが、確かにルシアノル殿下と女王だったのかい?」

 エルマーが尋ねる。

「……皇帝の従兄弟さんは敷地で言ったらお隣だからね。何度か見かけて顔は知ってる。それにウルの女王って青髪に人間離れした美貌って人だろう? 聞いたことのある特徴そのまんまだったよ」

「どんな雰囲気だった?」

 アルフレートが質問するとリュカは少し躊躇を見せる。

「ええと、子供に話して良いもんなのかな」

「大丈夫、友人は見た目より若くないんだ」

 エルマーがにっこりすると、リュカは首を傾げた後、話し出した。

「お熱いって感じだよ。数ヶ月ぶりに再会した恋人同士って雰囲気。腰に手を回したりね。……いくら皇帝一家の中じゃ変わり者で隠遁生活送ってるって言っても、私ら庶民からすりゃ皇帝の従兄弟さんはやっぱりお召し物からして違うし、相手の女王様も神々しくってね。パッと見て『こりゃ只事じゃない』って気付いた。コソコソしててもそりゃ目立つよ」

「2人の方は見られてることに気付かなかったか?」

 もう一度アルフレートが聞くと、リュカは傍の弓を撫でる。

「職業柄、気配消すのは得意なんだ。弓使いは相手に見つからない内の一発目が勝負だからね」

「そりゃそうだ。納得した。どうだろう、我々が張り込んでも2人に会えるかな?」

 アルフレートの提案にエルマーが露骨に顔を顰める。リュカが肩をすくめた。

「どうかねえ、多分そんなに頻繁には会ってないよ。仲間内でも見かけたのは私だけだ。張り込む気なら長期戦だね」

「……なるほど。じゃあまた君が見かけたら教えてくれ。我々は昼間のルシアノル殿下に近づいてみるか」

「その方が良いと思うよ。ただ私の意見を一個言わせてもらうと、皇帝の従兄弟さんはスパイなんじゃないかって噂はと思うね。そんな器用な人じゃないよ、ありゃ」

 リュカの言葉にエルマーがふうん、と唸る。

「僕も同感だね。友人を作ることすら億劫な殿下が、国の中枢にのし上がろうなんて思う訳がない。人間関係の最たるものだよ、権力者の仕事は」

「そのは『帝国』なのかな。『ウル』なのかな」

 アルフレートの問いにエルマーは苦笑して返した。

「どういう意味?」

 リュカが疑問を呈した時、3人の上空をトンビが旋回する。何となく全員がそれを眺めていた。

「現場に踏み込める可能性が低いんじゃしょうがない。僕たちがやるべきは一つだ」

 そう言って立ち上がるエルマーにアルフレートは少し間を置いて頷き、リュカは「頑張って」と親指を立てた。





「全く意味なかったじゃないか」

「まあまあ、捜査は始まったばかりじゃないか」

 ぼやくアルフレートをエルマーが窘める。2人の歩くフランケッティ邸の前庭、上空はすでに茜色になっていた。半日、こことルシアノル・フェッロニウスがいる別荘の、間にある森をうろうろしてみたものの、何の成果もなかったのだった。野生の鹿に会えたぐらいで、人の影すらなかったのだ。

「その捕まえた昆虫達も無意味だ。どうするんだ、それ?」

「逃すよ。昆虫採取も中々、勉強になるよ。どういう場所に潜んでいるか、どういう場所を移動するのか、本に無いこともたくさんある」

 エルマーがそう言って腰元に括り付けた籠に手を伸ばした時だった。2人が歩く南側からの小道とは別の、東側から屋敷に伸びる舗装道を歩く人影に気付く。同じタイミングで気がついたのか、向こうもこちらに振り向いた。

 一瞬、エルマーはぎょっとしたように体を震わせて動きを止めたが、アルフレートを急かすと人影に近づいていく。

 2人の動きに立ち止まったのは長身の男だった。黒髪を後ろに撫で付け、リネンのシャツに茶のズボンをゲートルで巻きつけた格好。少し面長だが美男子と言っていい。翡翠の目が物憂げな印象を受ける。

「もしかして、エルマー・シュパン先生かな?」

 男の方から声がかけられた。空気に溶け込むような弱々しささえ感じるが、よく響く不思議な声だった。

「左様でございます。お一人でいらしたのですか?」

 エルマーの不思議なほど改まった態度に、アルフレートは眉を寄せる。心当たりはあるが、まさかとも思う。男が答える。

「フランケッティ夫人に今夜の食事会に招待されてね。いつもこの辺りでは1人で行動することにしているんだ。あなたのことはフランケッティ伯からお聞きしてます」

 男が手を差し出す。エルマーは握手しようとした手が虫網で塞がっていたことに気づくと、網を生垣に放り投げた。

「拝見叶いましたところ大変喜ばしい限りです。……殿下だ」

 最後をエルマーが小声で囁く。アルフレートも薄々勘付いていたが、流石に驚いてしまった。田舎の別荘に引き篭もった養蜂家もどき、とはいえ皇帝一族の人間が小作人のような格好で1人で訪ねてきているとは。エルマーの動揺も頷ける。

「この辺りの昆虫を調べたいと申し出ましたら、伯爵が別荘をお貸しくださったのです。僕達は昨日から滞在していましてね。一緒に参りましょう。……なんで夫人も言っておいてくれなかったんだ」

 また最後を恨みがましく呟く友人を、アルフレートは内心面白く、ほくそ笑んでいた。

「ちょうど私も新しい巣箱を増やすのに、良いアドバイスはないか専門家とお話ししたかったのですよ。行きましょうか」

 よく通る発声の良い声だが、どこか影のあるルシアノルの言葉は、どこまでが本心なのだろうか。アルフレートは後ろ姿を眺めていた。





 屋敷内に戻ると待っていたのは、フランケッティの人間達だけではなかった。

 いかにも軍人らしい体躯と威圧感に満ちた老年期に入りかけの男と、傍にいるその夫人らしき女性。全員が立ってグラスを傾けている談話室で、1人椅子に腰掛ける老女。その側にいるのは彼女の侍女だろうか。ドア付近を動けずに所在なげにする若い夫婦は緊張気味に見える。男性はポケットに手を入れ、女性はグラスを持った手が骨ばって白くなっていた。それを隠すように反対の手で摩っている。

 ルシアノルが部屋に入ると歓声の声が静かに上がる。この様子を見るに普段はあまり貴族同士の交流に参加しないのであろう。皇族の男はどこか照れくさそうであった。

「あら、おかえりなさい」

 呑気な声で出迎えるミュケラ夫人を、エルマーが部屋の隅に連れていく。カーテンに隠れるように立ち、顔を突き合わせるとエルマーが小声で詰問した。

「どうしてルシアノル殿下を今夜招待すると、僕に伝えなかったんですか?」

「あなた達が出て行った後に使いを出したらトントン拍子に話が進んだんだもの。他の皆さんにも今晩で良い、って言われちゃったら引けないでしょうよ。呼んだのはこっちなのに」

 アルフレートが部屋を見渡すと、ルシアノルに話しかける軍人風の男を始め、各々が飲み物を片手に話に花を咲かせている。少人数ならではの和やかな空気があった。

「その使いを出すことをあらかじめ言っておいてくれたら、こっちも準備が出来たでしょうに」

「準備って? 今更、何言ってんのよ。しょうがないじゃないの。急に思いついちゃったんだもの」

 一向に悪びれない夫人にエルマーは眉間に深い皺を刻み、しばらく目を閉じていたが、やがて諦めたのか息つく。その後ろから大きな影が近づいた。

「エルマー、久々じゃないか」

 声に振り返ると、威風堂々たる人物が立っていた。アルフレートが一番最初に目についた軍人風の男である。半分白くなった薄茶の髪、しっかりした顎、綺麗に整えられた口髭、そして何と言っても射るような眼。

「ヴァレッシ大佐」

 エルマーは応えながら差し出された手を握った。大佐と呼ばれた男は固い握手のままもう一方の手でエルマーの肩を叩く。

「相変わらず線が細いな! ヨーセフは元気か?」

「父も変わらず町嫌いですよ。シティハウスにはほとんど戻らないのでアレクシアが忙しそうです」

「あの元気な妹さんか。彼女がいればシュパン家は安泰かもしれんな」

 アルフレートは居ないところで一族の繁栄を背負わされたアレクシアの顔を思い出す。こちらにも来たがっていたが、まさに家の用事で帯同出来なかったのだ。

「エルマー、元気そうでよかったわ」

 大男であるヴァレッシ大佐の影から小柄な女性が現れる。エルマーが一歩出ると、女性の目元に深い皺が刻まれた。

「カゼラ夫人、お久しぶりです」

「昔みたいに『おばさま』で良いのよ」

 笑う夫人にエルマーは頭を掻いた。そしてアルフレートに振り返る。

「こちらは陸軍に所属するエルディオ・ヴァレッシ大佐と御夫人。父の友人でもあり、僕とアレクシアもお世話になった人達だよ」

 エルマーが2人にアルフレートを紹介すると、2人は事前にミュケラ夫人から聞いている、とは言うものの見慣れないエルフに物珍しい視線を送ることは躊躇できなかったようだ。

「可愛らしいお顔だわ。色がこんなに白くって」

 ため息つく夫人の横で、ヴァレッシ大佐は真顔に戻るとエルマーの肩を抱く。そして周囲を窺う仕草を見せ、先ほどとは打って変わった静かな声で話し出す。

「聞いたぞ、エグモント・ヤンカーが引退した件に関わっていたらしいな。……大袈裟じゃなくお前は国を救ったぞ!」

「大袈裟ですよ。僕はただ成り行きを眺めていただけです」

 そう言うと、エルマーは思わせぶりにアルフレートを見る。大佐はエルマーとアルフレートの顔を交互に見た。その時、ミュケラ夫人が2人の間から顔を出す。

「ちょっと良いかしら。エルマー君に紹介したい人がいるのよ」

 夫人の言葉に大佐は頷くと、エルマーに再び囁いた。

「後でもう少し話そう」

 エルマーの肯定の仕草の後、ミュケラ夫人はヴァレッシ夫妻に会釈するとエルマーの腕を取り、部屋の隅に連れて行く。この華やかな貴族の集まりの前に萎縮していると見られる若い夫婦の元だった。2人ともエルマーに笑顔を向けるが、どこか固い。

「セアンディケ男爵夫妻よ。つい最近この辺りに別荘をお持ちになったんですって。ええと、こちらがルーセリオ・セアンディケ男爵」

 黒髪の眉目麗しい男が頭を下げる。太い眉と鷲鼻は意思が強そうだ。背が高く、肩幅も広い。次に隣の女性も軽く頭を下げる。

「……夫人のエベリアさんよ」

ミュケラ夫人の紹介の後、エルマーは彼女の片手を取ると、その手に頭を垂れた。その間にアルフレートはセアンディケ男爵と握手する。

「やあ、こんばんは。エルフに会うなんて実は初めてですよ」

 照れくさそうに笑う若い男爵にアルフレートはにっこりと微笑み返した。

「別荘を持つくらいだ。狩猟か釣りの趣味でも?」

 アルフレートの問いが予想外なものだったのか、ルーセリオは少し口籠もる。

「ええと、そうですね、来たばかりなのでこの辺りにはなれないんですが、そういうことが出来るなら始めてみても良いかと思っています」

「よろしいかと」

 アルフレートはもう一度にっこり微笑んだ。

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