第15話 アルニオーラ地区

 土聖ノームの月も半ば、アルカドの街は日中だとまだまだ暑かった。アレクシアの買い物に散々付き合わされたアルフレートは「涼みたい」という希望を伝える。

「いいわ、あそこのカフェに寄りましょう。レモンソーダでも飲むと良いわよ」

 応えたアレクシアは目的のブーツが買えたために声が弾んでいた。中央地区の中でも、議員達が多く住むアルニオーラ地区へと通じるこの通りは、洗練された綺麗な店が軒を連ねる。エルマーと街を歩く時に利用するのは騒がしいパブや雑多な店が多かったのだが、兄妹でも嗜好の差はあるものだ。アレクシアが指したカフェは黒が基調となっており、看板も控えめだが女性客が多かった。流行り、というものなのかもしれない。

 アルフレートがアルカドの街に住んで数ヶ月、気づいたのは女性の新しいものへの関心の高さだった。食事、身につける物、家に飾るもの、本、旅行先、世の中の技術に対しても考えが柔らかいと感じた。程度の差と個人差はあるにせよ、男性の方が保守的ではないか、と子エルフの目には映った。現にエルマーなど同じ靴を10年は直し直し履いているそうだ。先月にようやく新しい靴を買ったと思ったら、同じ型、同じ色を「予備だ」と見せてきた。これは極端な例かもしれないが。

 オーニングを目一杯広げて日陰を確保しているからか、店内は涼しかった。白いシャツに足元まで届く黒エプロンといった出立ちの店員に声を掛ける。窓際の席を確保し、注文を済ませるとアレクシアは手帳を取り出してスケジュールを確認しだす。親からの頼まれごとが多いのも、この妹の方だった。

 暇になったアルフレートは通りを歩く通行人を何の気無しに見ていた。今日はやけにガナン族の姿が多い。大型の貨物船でも寄港したばかりなのかもしれない。

 大柄のガナン族には船乗りが多かった。肌が青みがかっているのに加え、四角張った額に広い眉間、大きな鷲鼻と鋭い目元はきつい印象を与える種族だが、話してみると柔和な性格の者が大半だ。きつい航海にも耐える精神力も持っているという。今、アルフレートを見ながらニヤつくモロロ族よりよっぽど印象も良かった。

 通りの反対側にいる吟遊詩人が海の男達に向かって声を張り上げるも、あまり響いていないようだった。吟遊詩人の歌が同じ調子を繰り返す為、アルフレートは思わず口ずさむ。無意識に気に入っていたのかもしれなかった。

「驚いた、アルフレート、あなた随分綺麗な声しているのね!」

 手帳から上げたアレクシアの顔はあまりに驚嘆している。アルフレートは抗議の意味を込めて片眉を上げて見せた。

「そんなに驚かれると良い気はしない」

「何か音楽をやってみたら? ヴァイオリンなんてどうかしら」

「ヴァイオリンじゃ歌は歌えないだろ」

「ピアノは? 談話室にピアノがあるでしょう。私と兄様が習ってたからね。兄様はそこそこ上手いのよ」

「君はどうなんだ?」

「その話はいいの。ハープも可愛いかもしれないわね」

 女性というのははしゃぎ出すとなぜ、会話が噛み合わなくなるのか、というのは口が裂けても言わないでおく。アルフレートは次々と楽器の名前を挙げるアレクシアを見ながら、よく冷えたレモンソーダのことだけを考えることにした。



****



「君と出会ったことで僕の運命は大きく変わってしまったようだ」

 状況と相手によってはドラマチックになり得る台詞だった。ピアノの前、それを深い皺と共に吐き出すエルマーを、アルフレートは同じく険しい顔で見る。談話室のカーテンが雨で濡れていた。急激な雨に2人が何も対処しなかったせいである。アレクシアかギーゼラが目を釣り上げるに違いない。

 また理不尽なぼやきが始まるぞ、とアルフレートが身構える前にエルマーは一通の手紙を取り出した。勿体ぶった仕草でテーブルに置かれたそれをアルフレートは手に取り観察する。

 封筒に見覚えのない家紋の透かしが入っている。同じマークの封蝋は一度開けられていた。随分と地位のありそうな相手だ、とアルフレートは思った。宛先、宛名はこの家のエルマー・シュパンとなっている。

 目で問いかけると、エルマーは手振りで「開けろ」と答えた。中の手紙は一枚。こちらも透かしが入っている。

「……『先日の貴殿らの活躍に深い感謝の意を贈ると共に、このような不躾かつ急な便りになり謝罪申し上げる。今日こんにち、アルケイディアに平和と変わりない繁栄が続くのは、貴殿らの見返りを求めない勇往邁進のお陰であると私は自信を持って断言するものである。ついては一度、対面での面会を希望したい。双方にとって悦ばしい会談となることを望む。ゼビオ・フランケッティ』……やあ、新しい書記官様じゃないか」

 手紙の中身からエルマーという青年の苦悩が読み取れる。元来、政治や国の枠組みが嫌いな男なのだ。自分の興味ある分野の研究をしていれば幸せだったのに、ここのところ気まぐれな好奇心に従った結果、国家の中心とも言える人物からお呼びがかかってしまったのである。

「会談を希望してるみたいだが、いつの話なんだ?」

「今日みたいだね」

「今日!?」

「あんまりにも億劫なんで君に話すのを忘れていたんだ。手紙とは別にカード入っていてね。夕食前に迎えを寄越すってさ」

 随分とマイペースな言い分にアルフレートは文句も出てこなかった。届くのがいつになるか分からない手紙で来たということは、今日までに十分な期間があったはずだ。

 話が終わるタイミングを見計らっていたように扉が叩かれる。これには流石に2人ともびくりと体を震わせてしまった。扉からコンラードが顔を覗かせる。

「エルマー様、フランケッティ伯爵の使いだと名乗る人物がお見えです」

 コンラードの顔は普段には見られないような懐疑的なものになっている。言いにくそうに言葉を続けた。

「それが、伯爵様の使いには見えないような方でして」

 思いがけない困惑の言葉に2人は顔を見合わせた。




 家の扉を開けると立っていた男の姿を見て、アルフレートは思わず後ずさる。大きく曲がった背中、歪んだ顔、インプのように節くれ立った手指。ヤンカー邸で見た時のぼろ布を被ったような服から、今日は一般的な辻馬車の御者の服に変わってはいるものの、コンラードが困惑するのも無理はなかった。

「お前、フランケッティの使いだったってわけか。……なるほどね」

 匂わせるようにアルフレートが言うと、曲がった男は、

「ポッブで良いですよ、旦那」

そう名乗るのだった。

「フランケッティ伯は予想以上に老獪な方のようだ。これは気をつけなきゃいけないね」

 エルマーが苦笑しながらポッブの後ろで待機している馬車へと乗り込む。芦毛の馬二頭が黒塗りの車体を前に鼻息を鳴らしていた。街灯を灯すために役場の人間が二人組で歩いている。うっすらと暗くなり始めている空にすじ雲が流れていた。

「お前には聞きたいことが山ほどある」

 アルフレートの言葉にポッブは「おお怖い」と戯けて見せた。幸い馬車は屋根のないオープン型だったので、アルフレートはエルマーの隣に腰掛けながらポッブの座る御者席の方へ身を乗り出す。

「まず、エグモント・ヤンカーと同じクラッセン伯の部隊にいたな?」

「大勢の仲間と共にね」

 ポッブの返答と同時に振るわれた鞭によって馬が歩き出す。車体が揺れた。

「今はもうみんな消えちまってますがね」

 続いた男の言葉にアルフレートはしばらく声が出ない。そんなことはあり得るのか、と唖然としていた。

「……全員がヤンカーの犠牲になったってことか」

「地獄のような光景とはこのこと、ってな様相でしたよ。寝食を共にした仲間がどんどん異形の姿に変わっていくんだ。最初、あっしは流行病か何かだと思ったんですがね。特に気の合った仲間に剣を振るう気持ちがわかりますかい? 次の瞬間には自分がああなってるかもしれないって恐怖は言い表せませんねえ」

 話の内容とは裏腹に、ポッブはにやけた顔を崩していなかった。真顔になって黙り込んだのはアルフレートとエルマーの方だった。

「報告のために必死に伯爵領内に戻って、あっしがね、変化したのはクラッセン伯の目の前だったんですよ。身体中が熱くなりましてね。全身の骨が粉砕されるような痛みで意識失う寸前にね、に一撃くらったんですよ。悪魔になった自分が伯爵様に襲いかかる前で良かったという安堵と、奴の満面の笑みに感じた違和感。恐ろしい男でしたねえ」

 馬車は大通りに出る。昼間、アレクシアと歩いた道はアルフレートの目にはまるで別物に映っていた。

「よく生きていたな」

「変化の途中で攻撃されたのが幸いらしいですよ。自分でも何で生きてるのか不思議ですねえ。ボロ雑巾の方がマシっていう状態になっても、伯爵様を襲った悪魔に墓すら掘ってもらえなくてね。道端にそのまま転がっていたんですよ。気づいたらこんな小鬼が出来上がっててね、あっしはこれでも元は良い男だったんだ。嘘みたいでしょう。それからはゴミを食ってゴミの中で寝る生活ですよ。流れ流れてアルカドに辿り着いてた。奴が議員さんなんてやってるの見て、そりゃたまげましたね」

「それで、フランケッティに垂れ込んだのか」

「いやいや、それがね、フランケッティ伯爵様から訪ねてこられたんですよ。これまた不思議でしょうがないですがね。あっしは奴が怖くてしょうがないから、何もしたくなかったんだ。でも伯爵様が『顔を見せるだけでいい』とおっしゃるんで協力したまでです」

 これまで黙っていたエルマーが口を開いた。

「批判する気は全く無いし、君には同情しかないがね、これは君にとって満足な結果になったかい?」

「毎日まともな飯が食えて、夜には酒が飲める生活になりましたからね。それを与えてくださった伯爵様の力になれたんなら満足です。そんな顔しなさんな。伯爵様は良い人ですよ。……歯向かわない限りはね」

 アルニオーラ地区の中心部と思われる位置にあったフランケッティ邸は、2人が思っていたよりこじんまりしている物だった。屋敷、庭共にヤンカー邸の半分ほどの規模だろう。白の漆喰壁に木枠窓の家は、この荘厳な住宅群の真ん中に鎮座しているとは思えない素朴さだった。

 使用人が開ける鉄門を馬車は潜っていく。すっかり暗くなった空の下、エルマーが「寒くは無い、な、うん」と呟いた。

 綺麗な仕立てのタキシードを着込んだ使用人に手を取られ、アルフレートはフランケッティ邸の前庭へ降り立った。

「家令のケーニスと申します。ようこそお越しくださいました。旦那様がお待ちです」

 体躯の良い老齢の男に恭しく頭を下げられるとアルフレートはいまだに微妙な気持ちになる。今まで出会ってきた男性使用人というのは総じて背の高い者が多い。これは王国時代から続く習俗が関係するのだが、エルフであるアルフレートには不思議だった。彼らは主人を守るために剣を振るうわけではないはずだからだ。

 玄関ホールも伯爵邸としては簡素な物であったと言える。家具類は応接セットとキャビネットだけ、凝った点といえば階段の手すりの飾り彫ぐらいなものだ。質素さと人の良さは直結する物ではないだろうが、少なくともヤンカー邸の肖像画のようなは感じなかった。

 通された応接室で待っていたのは、これまた意外な姿の男だった。

「ようこそ、御足労願って申し訳なかった」

 そう言う声は低音のよく通る物だったが、中肉中背の丸顔に垂れ目は人懐っこさすら感じる。ただ握手する手は肉厚の力強さを感じた。定型な自己紹介を済ませると、

「ゼビオ・フランケッティだ」

と、これまた簡素な紹介が返ってきた。知っているだろう、とすら言いたそうな雰囲気を感じる。1人掛けソファーに座る際、裾を持ち上げたローブは、ヤンカーのような議員用ローブではなくラシャの僧服だとアルフレートは気付いた。

「掛けたまえ」

 ゴブラン織のカバーがかけられたソファーに2人が座り込むと、すぐに話題に移る。

「先日の働き、感謝する。君らのお陰でポッブもやりやすかったようだ」

「正直申せば、何もしてませんがね」

 エルマーはにっこり微笑みながら答える。アルフレートも同感だった。

「あの場にいたことが大事なのだ。フィーネ嬢にとっても心強かったに違いない。あの娘は守ってやらねばならん」

 顔色一つ変えずに言うフランケッティ伯にエルマーが「ご贔屓で?」と聞くも、眉一つ動かさなかった。

「あの娘は父親より頭がいい。それが理由だ」

 軽妙に答える伯爵を、アルフレートは好意的に見始めていた。まるで全てを見通す目を持っているかのような消息通振りは恐ろしいが、無駄を嫌う会話の傾向はアルフレートと似た感性と言える。子エルフの視線に気付いたのか、フランケッティはアルフレートを見る。

「まだ少年期と思われるエルフが街に住み着いた、と聞いたが本当だったとは。しかし何でまたこの街に?」

 今日、この場でされる質問とは想定していなかったが、アルフレートの中で答えはすんなりと出た。

「世の中のことを知りたかったからだ。森にいるだけだと森のことしか知らないまま一生を終えることになる」

 大雑把とも言えそうな言葉だが伯爵は満足したらしい。大きく頷いた。

「ならばこの話はちょうどいい。実は頼みたい事がある」

 案の定の言葉に、アルフレートとエルマーは目配せし合った。

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