魔王領

 撤退の旅は三日目になった。

 最初こそ他の魔王軍の追撃を恐れて闇雲に現場を離れるだけだったが、さすがにそろそろ移動計画をしっかりしなくてはいけない。

 というわけで、洞窟に身を隠して休息しつつ、リュノから拝借した地図を広げてホークとメイはルートを検討する。

「今の地点はここ。魔王が旗揚げした……というか、本来の領地だったキグラス亜人領。それと旧クラトス王国、旧ピピン王国、どちらにも出ていける……三国の交点ってとこだな」

 キグラス亜人領はその名の通り亜人を中心とした住民が住まい、それも比較的好戦的な獣人や巨人、鳥人など、狩猟を生業とするものが多く、互いの縄張り意識で成立していた原始的な地域。

 実り多い森は知力と社会性に優れるエルフや人間族の諸王国にとっても魅力的だったが、下手に手を出しても森林・山岳戦で現地住民にはかなわず、かといって彼らも平原では正規軍に太刀打ちできず、相互不可侵の中立地域とされていた。

「元々魔王の領地なんてあったんだね」

「そりゃ降って湧いたわけじゃねえからな。魔王は『魔族』の中で、特に危険な侵略行動を始めた奴のことだし」

「魔族……」

「レヴァリアでは大人しかったから、お前はよく知らないか。どこの国にもいるぞ。ロムガルド以外」

 魔族。

 人間やエルフ、獣人などといった通常の種族とは明確に異なる特徴を持った「上位種族」。

 単独の戦闘力で一軍にも匹敵し、齢数百歳のエルフすら知らない古代の記憶を有し、そして同族と群れることなく単独で縄張りを持ち、また多くは「眷属」として、一部族を従属させている。

 その外見は人間とほぼ変わらないものから、醜悪で巨大な異形まで様々。多くは他生物の角や耳、尾、鱗、翼などといった特徴を脈絡もなく持ち、そして同族も含めて完全に周囲に興味を持たず、自分の「眷属」の保護くらいにしか動かない。

 同族同士でも互いに似ても似つかぬ外見といい、異種族と全く異なる価値観といい……生物種という部分から謎の多い者たちだった。

「魔族は、強さって点で言うなら一人ひとりが勇者並みだ。だが全く他人に興味がない。あえて乗り込んでいって喧嘩を売らない限りは普通は戦わない。……それが、眷属と魔物を率いて突然戦争を起こすのが『魔王』ってやつだ」

「へー。なんか世界が危ないとか皆殺しにされるとか、そういう感じの事しかみんな教えてくれなかったよ」

「……お前ちょっといろいろ偏り過ぎてないか? 武術以外なんにもやってないで13年生活してたのか?」

「んー……えーと……そうかも」

「……ある意味盗賊より悲惨な生き方かもしれない」

「そ、そんなことないよう」

 話が逸れた。

「それで、その魔王の根城とされたのがキグラス亜人領中部。俺たちはそこを目指してたわけだが、キグラスに入ったばかりのここでジェイナス死亡。帰りは行きに使った道は使えない」

「なんで? だって途中で敵いっぱい倒してるし、そこをたどれば安全じゃないの?」

「一度敵を倒した場所には敵が二度と入れないっていうならそうなんだけどな。普通にまた補充されてるだろ。これが軍隊なら、後から来た援軍に陣地を守備させられるからまた話が違うんだけど」

 少人数の行動では、それぞれの戦いには勝ててもそのあたりがネックになる。

 頭である魔王を叩けなければ勝ったとは言えない。何人かの幹部や一部の部隊を倒したところで、奪われた平和は戻っては来ないのだ。

 となれば、戦力激減したまま馬鹿正直にそのまま戻るのは、展開している魔王軍側にしてみれば包囲して嬲り殺して下さいというようなものである。

「ジェイナスとリュノが生きていれば、敵が百匹来ようが千匹来ようがやりようがあった。今は十匹でもまずい」

「それぐらいなら、あたし一人でも……」

「お前は最悪の事態ってもんが何かわかんねぇのか。一番困るのはジェイナスの死体を奪われることだろ。戦うだけならお前ならいけるかもしれないが、お前が他とガツガツやってるうちに死体を狙われたら俺には守り切れない」

「……あー」

 最終的に戦闘に勝つことができても、ジェイナス蘇生の可能性が奪われたら。それは「負け」と言うべきだ。

 メイは単純な暴力が相手なら強いが、一気に何匹もの魔物を薙ぎ払う技はない。

 ジェイナスやリュノは、魔剣や魔法という広範囲攻撃手段があったのだ。地形を利用してそれを放てば、それこそ大軍団相手でも勝てる力はあった。包囲殲滅何するものぞ、逆に集まってくれて話が早い、とさえ嘯いたものだ。

 だが、今は敵の強さだけでなく頭数にも注意が必要だった。

「でもさー。ホントにホークさんって全然戦えないの?」

「ロクに血の出る喧嘩もしてない街のチンピラ相手なら強気に出られるが、ってとこだな。魔物相手じゃ期待すんな」

「……本当に? おととい勇者様がゾンビ化して起き上がって来た時……」

「なんだよ」

「……見間違いだったのかなぁ」

 メイはおやつ……というか非常食の煎り豆をぽりぽり食べながら、ホークの顔をしげしげと見る。

 一瞬で、不自然なほどの速さでジェイナスの首を斬り、奪い取り、そしてその体を地に踏みつけるという離れ業をやった……と思ったのだが、メイが動転して見逃した、あるいは記憶が飛んだだけだったのかもしれないと思い始めていた。

 ただ見逃しただけとすれば特に不思議ではない。ゾンビジェイナスの動きはそれほど速かったわけではなく、時間さえあれば、ホークが自称する通りの腕でも難しくはなかっただろう。

 だが武術家としての自分が、いくら動転したとはいえ、そんな簡単に敵から目を逸らしたり記憶を飛ばしたりするのだろうか。そう考えるとまた不安になってくる。

 メイは自分の集中力には自信があった。そこを否定してしまうと何に対しても自信が持てなくなってくる。

「うーん……」

「それよりお前、肉も食えよ。俺ばっかり食ってるじゃねえか」

 ホークは食料用の袋から干し肉を取り出す。

 食料は魔法拡張した袋に不用意に入れると急に腐ったりするので、普通の荷袋を使うのが常識だったが、死体と一緒に担ぐとやはり邪魔で辛い。

 嵩は減らなくてもいいから、重量軽減効果のある魔法袋など開発してくれないものかとホークは思う。

 しかしそんなホークの勧めをメイは断った。

「いいよ。ホークさんだけで食べて」

「なんだよ」

「あたし肉きらいだし」

「なんでだよ。おかしいだろ。犬だろお前」

「狼だよ!?」

 メイの属する狼人族は、どちらかというとマイナーな獣人族である。

 とはいえ犬人族とはまた別で、形態にも違いがある。犬人族はそもそも子供のように小さいのだった。それに男女問わず獣っぽさが強く、顔はほぼ犬だ。

 メイはほぼ人間と同じ顔で、獣の特徴は耳と尻尾だけだった。それと瞳。

「狼人族でも肉食べない人はいるんですぅー! ……多分」

「多分ってなんだよ。自分以外に見たことないってオチか」

「……うん」

「とことんお前って……武術以外アレだな」

 肉嫌いそのものはともかく、マイナー種族とはいえ自分以外のこともあまりよく知らないのは、本当に武術以外何も見聞していないせいだろう。

 尖った強さと引き換えに、だいぶ寂しい子供時代を送っているようだった。

「だいたい、ここまで旅してきてあたしが肉食べないのに気づかないホークさんもだいぶあれじゃん」

「あれってなんだよ」

「そっちこそアレって何」

 微妙に険悪な空気。

 ホークは面倒臭くなって、適当に切り上げて離れようかと思ったが、今は死体担ぎの二人旅。気軽に離れるわけにはいかないというのを思い出す。

 放っておいても、ジェイナスやリュノが生きていた時には、年長の二人が適当に宥めてくれたのだが、今はそういった緩衝材はない。子供のようだが唯一最大の戦力であるメイにそっぽを向かれたままでは、危険が増大する。

 折れるしかないのだった。

「……悪かったよ。降参だ」

 ホークは両手を挙げた。

「降参のタイミングおかしい」

「そこにまで噛みつくなよ」

「そーゆーの言うのはちゃんと言い合ってからでしょ。そーゆー『おれは大人だから子供のご機嫌取ってやらなきゃな』みたいなの嫌い」

「おいおい」

 全くその通りだったが、じゃあどうすればいいのだ、とホークは改めて面倒臭くなる。

 そもそも、そんなに人と向き合うことがなかったのだ。

 悪漢というのは気に入らなければ力で、あるいは狡知で相手をねじ伏せる生き方だ。ご機嫌取りは性分ではない。

「口が悪いのは性分だが、お前にスネて欲しいわけじゃない。わかってくれよ」

「別に謝ってほしいんじゃなくて……なんで途中で話を切ろうとするかなー」

「無駄話だろ、こんなの。イラついてまで続けるこっちゃない」

「それ。ずっと二人しかいないのに無駄話って言って捨てるのやめようよ。もっとちゃんとお喋りしようよ」

「暇ならな」

「暇じゃん。あと帰るだけじゃん」

「あのなぁ……」

 その帰り道の話が本題だろうが、とうんざり口調で言おうとして。

 途中で違う話を振り、その話をやめようとしている自分の勝手さに少し反省する。

 同輩の軽口なら別にいいだろうが、子供なメイからしてみれば、今まであまり話す機会もなかったホークと少しでも仲良く喋り続けたいのだ。

 ふたりだけで死体を運ぶ仕事は、それだけ寂しいのだ。

 それなのに実務的な話の合間に趣味嗜好の話をホークに振られ、それで少し腹を割って打ち解けそうになったら「こんな話をしたのは失敗だ、やめようか」とばかりに駄目出しされている恰好になる。

 それは降参されたって気分良くはならないだろう。

 だいたい実務と言っても、帰り道の話はメイに決定権を委ねるつもりではない。了解を取るだけだ。まっすぐ来たとおりに逃げるつもりで、特に危険とも思っていなかったメイに、何の判断ができるというのか。

「……そんなにお前がおしゃべり好きなんて思ってなかったよ」

「ホークさんは嫌い? 黙っていたい?」

「首なし死体担いで一日中黙ってるのは俺も嫌だ」

「だよね」

 嬉しそうにする狼耳少女に、今度こそ全面降伏。

「ま、とりあえず帰りのルートの説明だけさせろ」

 ホークは改めて地図を指す。


「まず帰りは思いつく限りでクラトス回りとピピン回りのルートがある。南のクラトスは平原国で地形的には大した障害もない。北のピピンは湖畔と山地が国土の七割を占めてるおかげで移動速度はざっと半分になる」

 来た道はふたつの国の国境をなぞるような道だったが、先の通りの理由で没。

 残りは二か国のどちらかに踏み入り、回り込んで反魔王側国家群に抜けるルート。

「クラトス周りの方がちょっと楽だよね。遠回りだけど平地だからルートも融通利くし」

「ああ。でもクラトスはナシだ。融通が利くのは敵にとっても同じだ。援軍がどの方向からも集まれる。それに」

 トン、とホークが指差したのは、「ゴール」となる反魔王側国家のひとつ、レイドラ王国との国境にほど近い都市。

「旧クラトス王国首都ナクタ。ここには魔王の眷属の中でも一番の指揮力を持つとされる智将ラーガスが居座ってる。参謀気取りで実際色々小賢しいって話だ。奴に目を付けられたらおしまいだ」

「勇者様は行きがけにやっつけて行こうって言ってたよね。結局やらなかったけど」

「本人に勝てる見込みはあっても、ナクタの一般市民を盾に取られると後味の悪いことになってたはずだからなぁ。こいつにはとりあえず手をつけずに、魔王を先に倒すほうが被害は少なくなりそうだった……が、それもオジャンだ」

 その作戦立案にはホークは関わっていない。リュノが冷静な判断でそれをジェイナスに進言したのだった。

 実際それももっともだ。勇者の行軍は戦争とは趣が違う。

 何もかも手当たり次第でやっていては、いつまで経っても目的を果たせない。強いと言っても個人の行動力は限界があるのだ。

「で、ラーガスに気取られないためにもクラトス入りは遠慮だ。となるとピピン王国の山の中を進むことになるんだが」

「疲れそう」

「死にそうよりはマシだろ」

「……だね」

 この時代、山道とはすなわち「ロバがゆっくり進める程度の荒れ道」と同義である。 

 地図で見れば都会っ子は「なんだ、たかだか5マイルなんて鼻歌交じりだ」とナメるが、実際に歩けば進みきれないうちに泣き出すのだ。

 魔王軍が制圧している現在、人々は自由に歩き回れるわけもなく、倒木や山崩れなどがあっても放置されているかもしれない。

「どこかで馬かロバか……牛でもいい。荷役の家畜を買えればだいぶマシになるんだが」

「敵の襲撃を考えると、使い捨ての覚悟しないといけないかも」

「……メイ、お前買う前から怖いこと言うな」

「だ、だって物騒な奴らが出てきたら家畜なんて逃げちゃうよ! 使い捨てって言っても、別に囮にして殺すとかそういうの考えてたんじゃないってば!」

「ああ、よかった。お前戦う時はわりと怖いから、何かグロい発想してんじゃねえのかと」

 実際のところ、家畜はそこがネックだった。

 平原のクラトスではともかく、山のピピンでは家畜の相場も安くはないし、制御できなくなれば追い回している余裕もない。

 金はジェイナスやリュノから剥ぎ取った金目の装具を売るか、最悪物々交換を持ち掛ければなんとかなるが……それでもピピン通過中にそう何度も家畜を買い変えられるほどの路銀はない。

 いちいち家畜の調達に四苦八苦せず、二人と死体二つの身軽さに賭けてじっくり進むのも手だった。行く先々で家畜を買おうとすれば目立ってしまうし、最初からあてにしなければ、少なくとも金の心配はしなくてよくなる。

「まあ、なんたって占領下だ。俺たちの食うものだって手に入るかどうか怪しいからな……贅沢はよそう」

「それなら自分で調達すればいいよ」

 こともなげにメイが言い放ったので、ホークは少し考えて頷く。

「調達か。まあ俺の流儀ならそれが一番簡単だ。ジェイナスやリュノがいたら反対しただろうが……」

「あ、やや、盗めって話じゃないよ?」

「……メイ。悪いが肉も豆も野菜もそのへんに落ちてるわけじゃないぞ。誰かのモンだ。買わずに手に入れるなら盗むしかない」

「そっ、そうじゃなくて! どんぐりとかきのことか山菜とか……魚釣りとか!」

「……それをアテにして旅をしろ、と?」

 そのテの食べ物なら、確かに農家や商店に押し入らずとも手に入る。子供のおやつや老人の道楽程度の量なら。

 それを頼って一国横断というのは変人の奇行の類だが。

「だいたい、のんびり食料探していられる時間もないぞ。もうすぐ夏だ。どういうことかわかるな」

「……暑くてくさくなる?」

「死体がな」

「……うぇ」

 ようやく気が付いた、という感じのメイ。

 腐っても国元までたどり着ければ復活自体はなんとかしてもらえるだろうが、腐臭とウジにまみれた死体は、運ぶ際の精神負担が今の何倍になるだろうか。

 死体が綺麗なうちに運びきること自体、ホークは無理だと考えている。だが、できるだけ酷い状態になる前に、可能な限り先まで運んだ方がいい。気持ち的に。

「できるだけ目立たないようにピピン領内を進み、敵はどうしても邪魔な奴だけ……それもメイ一人でやれそうな奴だけしか相手にしない。死体を運ぶ家畜は手に入る時だけ使うが、あまりアテにはしない。メシは一応金で手に入れるが、話が面倒になりそうだったら俺が盗る。で、いいな?」

「盗っ人コンビとして追い回されるのはやだなあ」

「状況が悪ければ強盗コンビになるかもしれないぞ。魔王軍の息のかかり方によっては、殺人もつく」

 魔王軍の恐怖に屈して、ピピンの村人がホークたちと取引をするフリをし、魔王軍に売り渡すような真似をしないとも限らない。

 そうなった場合、実力行使も選択肢に入る。手加減ができる状況かどうかは全く読めないし、いざとなったらホークは「敵になった哀れな民間人」に遠慮をする気はなかった。

「ゲンナリするね……あたしたち、正義の味方のはずなのに」

「悪党がついてきてくれて助かった、と感謝しろ」

「ホークさんって、自分でそう言っちゃうあたりが悪党になり切れてないよねえ」

「何言ってんだ。俺が善人に見えるのか」

「本当の悪党は、悪いことをしても悪いことみたいに言わないんだ、ってウチの師匠がゆってたよ」

「…………」

 少女に得意顔でそんなことを言われて、ホークは溜め息をつく。

 自分は甘いのだろうか。

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