第14話 火事の原因 1

 現場検証の時間が近づいてきたので、店を閉めて車に乗った。本来であれば久我が運転をするところだが、あいにく免許を焼失してしまったので黒磯が買って出た。道案内のためチハルが助手席に乗り、花曇りのなか車は発進した。

 後部座席に座った久我が、Aの動向についてこれまでに分かったことを話して聞かせた。すなわち、Aは夜十時くらいには在室していること。十一時頃にいったん出掛け、三十分ほどしてまた戻ってくるという生活を繰り返していた事実だ。アパートが燃えてしまった以上、Aが戻って来ることはもうないかもしれない。しかし、盗電されていた料金の件と、居座っていた原因が怨恨であれば怖いので、引き続き分かったことがあれば伝えると告げた。


「念のためお伺いしたいのですが……人から恨まれていた、というようなことはございませんよね?」

「いや……ないですね。そこまで深い付き合いのある知り合いもいませんし」


 やっぱり、と助手席のチハルは思った。しかし、気付いていなくても本人の預かり知らぬところで恨みを買っていることもある。鹿野はさっきオフ会の話をしていたが、そこでの人間関係はどうなのだろう。

 今度は車を運転している黒磯がバックミラー越しに尋ねた。


「金銭のやり取りなんかはいかがですか? 鹿野様ご本人でなくても、例えば亡くなったお父様が誰かにお金を貸していたとか、抵当権者になっていたとか」

「うーん、ない……と思いますよ。一応父が亡くなった時に銀行の貸金庫もひと通り調べましたが、借用書のひとつも出て来ませんでした。それに、権利関係、っていうんですか? それも司法書士の先生に調べてもらいましたので」

「分かりました。おかしなことを伺いまして申し訳ございません。もしも何か思い出されましたらいつでもご連絡いただければと思います」


 ちょうど現場に着いて、黒磯は車をアパート西側の駐車場に入れた。付近には赤や白黒の緊急車両が数台停まっていて、未だに物々しい雰囲気である。

 どんよりした曇り空のなか、鹿野荘は無残な姿を晒していた。火災は一時間程度で消し止められたが、古い木造家屋につき火の回りが早かった。それでも、外壁が半分以上残っている一階はまだましだ。二階に至っては外壁はおろか屋根瓦はすべて落ちて、炭となった天井の梁が剥き出しになっている。


「はあ……これは結構焼けましたねえ」


 変わり果てた自分の所有物を見て、鹿野は呆けたような声を上げた。さっきより顔色がだいぶ良くなっている。延焼のあった近隣住宅を自分が修理することになり、少し気が楽になったようだ。

 チハルと久我は夜中の二時くらいにはここをあとにしたが、その時と比べて規制線で囲まれた範囲はだいぶ狭められていた。現在はほぼ鹿野荘の敷地ぎりぎりにあり、道路も解放されている。そのすぐ近くにいた消防隊員に声を掛けると中へ案内された。

 入り口を覆っているブルーシートの中はひどい有様だった。出火元となった建物の入り口付近は完全に炭と化していて、一階の手前はほぼ柱しか残っていない。建物の奥の方には壁が残っている箇所もあるが、どこも煤けていて朽ち果てる寸前の廃屋のように見える。


「久我さん、階段見て下さい」


 チハルは久我の背中に囁いた。しかし、その前から久我も同じところを見ていた。

 階段は建物入り口からすぐのところにあった。火元に近かったせいか右側面はぼろぼろに焼け崩れていて、途中から階段自体が焼失している。恐ろしいようだった。昨日まで人の体重を支えていたものが、たった一晩で骸になってしまったのだ。


「きっと直接激しい炎が当たってたんだろうな。あのまま気付かなかったら、出口を塞がれて危ないところだった」


 階段が無くなっているだけあって、肝心の二階は床が完全に崩れ落ちていた。その残骸がおびただしい灰と瓦礫の山となって一階部分に積もっている。つまり、あれほど気になっていた六号室の内部がどうなっていたのか、真相は灰の中に消えたということだ。


「火災原因についてですが、調査いたしましたが明らかにはなりませんでした」

「え?」


 消防隊員の言葉に、チハルと久我は思わず顔を見合わせた。

 隊員は三人いて、全員活動服と呼ばれる青い服を着ている。一番年配の隊員が指揮を執って、まず全員に見舞いの言葉が掛けられた。次に現場の概要についての説明があり、今は火災の状況について話がされているところだ。


「そんなことがあるんですか?」


 チハルが尋ねると、隊員はわずかに顔を曇らせた。


「はい。不本意なことではありますが、全火災のうち一割程度は出火原因が特定できないものです。今回の火災にはふたつの原因が考えられますが、出火元付近の損傷が激しく特定には至りませんでした」

「そうですか。……で、そのふたつの原因とは?」


 恐る恐る尋ねてみた。他の三人も消防隊員が次に言い出す言葉を、固唾をのんで見守っている。


「ひとつは出火元付近の配線が短絡したケースです。げっ歯目――ほとんどはネズミですが、それが絶縁箇所を齧ったところにほこりが溜まり、雨漏りか動物の尿が掛かって短絡を起こし、出火することがあります。火元付近にはアパート外側の共用灯に繋がる配線があったのと、燃え残った箇所に同じような火花放電の跡がいくつか見受けられたことから、出火原因のひとつであると推定されます」

「はあ」


 チハルには消防隊員の言うことがほとんど理解できなかった。

 短絡とは。

 火花放電とは。

 不動産屋は建物の設備や環境についてのプロであり、電気工事に関しては基本素人である。

 明らかに『分かってない』顔のチハルに消防隊員が尋ねてきた。


「では、トラッキング現象はご存知ですか?」

「トラッキング……現象……」


 どこかで聞いたような言葉だが、なんだったか思い出せない。隊員はウェブページをコピーしたものを全員に配った。そこにあるイラストを見て、ああ、とチハルは合点した。

 トラッキングとは、電化製品のプラグを長いこと差したままでいる時に起こる、発火現象のことだ。コンセントとプラグとのあいだに溜まったほこりが湿気を含むと、プラグの両極間に放電が起きる。それが繰り返されることによって徐々に両極間の絶縁状態が悪くなり、発火することがあるというのだ。


「トラッキング現象は住宅内部にあるコンセントに起こりますが、それと同じようなことが壁の内側で起きた場合でも、火災に至ることがあります」

「つまり、今回の場合は共用灯に続く配線をネズミか何かが齧って、そこにほこりが付着し、雨漏りか何かでたびたびスパークを起こしていた。それにより電気の通り道ができたため、発熱、発火に至った可能性がある。……そういうことですか?」


 久我の質問に隊員は頷いた。


「熱で溶けてしまいましたが、アパートの外壁――あの辺りに共用灯があったでしょう。一番燃え方が酷かったのがその裏側に当たる共用廊下の壁でした」


 と、今は何もなくなった二階の壁辺りに、持っていたボールペンでぐるぐると輪を描いた。

 全員で宙を見つめて、なるほど、と頷いた。確かにこのアパートは共用部分の傷みも激しかった。天井だけでなく、ところどころ壁板も剥がれていた。あの時は一番道路側の部屋の前の廊下が燃えているように見えたが、実際には壁が燃えていたのか、すでに廊下まで燃え広がっていたのか、今となってははっきりしない。

 久我は黒磯のほうを向いて尋ねた。


「現在の住宅では、壁の内側には断熱材がみっちりと詰まっているじゃないですか。この年代の建物って、その辺はどうだったんですかね?」

「えーと、この物件が建てられたのは――」

「昭和四十二年です」


 チハルが口を挟んだ。黒磯は遠い記憶を探るように、屋根の上に拓けた空に目を馳せた。


「そうだな……。若い頃、ちょうどこれくらいの築年数の物件の解体に付き合ったことがあるんだ。断熱材は入ってたけど今と比べると確かに厚みが半分もなかったな」

「そういえば、住宅金融公庫の融資基準に盛り込まれてから本格的に導入されるようになったんじゃありませんでしたっけ」


 久我が言って、黒磯は頷いた。


「うん。それまでは断熱材も入れたり入れなかったり、だったらしい」

「……そうですか」久我は腕を組んで唸った。「それなら雨漏りはもちろんのこと、ほこりが溜まるほどの隙間があってもおかしくないですね」


 原因と考えられるひとつ目は分かった。しかし、チハルと久我が聞きたかったのはこれじゃない。なにも事件にしたいわけではないが、長年劣化を続けていたアパートが自分たちが関わった途端に牙を剥くなんて、少しタイミングが良すぎるんじゃないかと思うのだ。期待していると思われないよう、チハルは冷静に尋ねた。


「で、もうひとつの原因はなんでしょう?」

「可能性は高くありませんが、放火も考えられます」


 チハルは静かに息をのんだ。その言葉を密かに待っていたものの、実際に火災の専門家の口から聞くと戸惑ってしまう。

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