六
帰りの電車の中で本日のやりとりを思い出していた。
「田上さんはこの手紙を見てパニックを起こしそうになっている」軽部校長はそう言っていた。
あの手紙は実に単純素朴な内容だった。あれを読んでパニックを起しそうになる人というのはどういう人なのだろうか。事実に直面すると人格が崩壊する人だろうか。本当に田上ティーチャーはそういう人間なのだろうか。それとも軽部元校長が誇張して言っていたのだろうか。もちろん、言葉や文章というのは人によって千差万別の受け取り方があり、誇張していたわけではなく本当にパニックを起こしそうになっているのかもしれないのだが。
〈それにしても、田上ティーチャーが憧れのお姉さんとは笑止の沙汰だなあ〉
実際には、向こうの方が2つくらい年下だが、ぼくは塾や予備校の先生をしていた時代が長く、少し年をとってから学校の先生になったので、教員になったのは田上ティーチャーの方が5年くらい早い。だから軽部元校長先生は「お姉さん」と言っていたのだろうか。
それはともかく、幸子(自分の奥さん)の方が10歳くらい年下でずっと可愛いし、どうして田上ティーチャーに憧れないといけないのだろうか。でも、「それではなんで田上ティーチャーにあんな変わった内容の年賀状や暑中見舞いを出すのか」と聞かれると、自分でも不思議だ。
〈なんでだろうか〉
確か、さっきのやりとりの中で、軽部元校長が「そりゃーショックだったんだろう」と言ったとき、「ふっふっふ、効果があったぞ」という感じで嬉しかった。
ということは復讐心のようなものなのだろうか。でも、それはいかにも見方が単純と言うか一面的だ。「全然でたらめ」とは言い切れないが、心の働きのごく一部分しか説明していないように思う。
一方、「ぼくがああいう手紙を出して教えてあげれば、自分は嫌がられるにしても、田上ティーチャーにとってはそれなりに考える材料ができる。それによって、多少人間関係がうまくいくようになったりすることが、もしかしたらあるかもしれない。また、あの方の周りにいる先生方もあの先生に接しやすくなって助かるかもしれない」という動機が全然ないとも言い切れない。
これはこれでありえない見方でもないという感じもするが、冷静に考えてみると、自分がそんなに他人のためを考えてわざわざ面倒なハガキを書いたりするような立派な人のようにも思えない。
とは言うものの「人類の大多数の人々は、人のために役に立てば嬉しいという気持ちがある」という説も有力らしいし、なんとなく「意外とそんな気持ちもあったのかなあ」という感じもする。もちろん理論的あるいは科学的な根拠等があるわけでもないが、長い目で見ればああいった内容の年賀状を出すことがお互いのために多少は役に立つのではないだろうか。
それと、「笑止の沙汰」だと思ったけど、それは「憧れのお姉さん」とまで言ってしまっては「笑止の沙汰」かもしれないが、確かに全然なんの関心もない人にわざわざそれなりに内容が書いてある年賀状を出すわけがないから、何らかの関心はある。でも、どういうふうに関心があるのか、と聞かれると、結局いろいろと考えてみるが、結論としては「わからない」。
「自分の考えを発表したいのでなんとなく書いて出した」というのが一番近いだろうか。「なんとなく…」じゃあんまり説明していないのだが他に言いようがない。
〈自分の心なんて、自分でわかるもんじゃないなあ〉
もっとも、それでは他人の心がわかるかと言えばそんなことはなく、正しくは「人間の心なんてわからない」と言うべきか。わからないというのは不気味なことだが、無理にわかろうとしていいことがあるわけでもないのだろう。
こんなふうに自分の心の中で変なこんにゃく問答をしているうちに、8年くらい前の田上ティーチャーとのやり取りを二・三思い出した。
あれは、3月のある日、職員会議の始まる前の出来事だった。
ぼくと田上ティーチャーが来年度の野球部の顧問に決まっていて、春休みのことについて話そうと思い尋ねた。
「春休み中の予定はどうですか」
すると「どうしてそんなこと聞くんですか」と恐ろしい顔を見せつけ怒気を含んだ震える声で言った。
ぼくは驚いた。春休み中の予定を聞くだけで、急にあんなに顔全体から凶暴な空気が噴き出すとは、いくらなんでもすご過ぎる。
「野球部…」
「まさか。沢田さんは野球部の仕事を全然やらないってことないでしょうね、私はね、私はね、私は春休み中は忙しくて学校には来られないんですよ」
とすごい剣幕で怒鳴りあげた。
田上ティーチャーの顔と体全体から吹き上げる凶暴な空気に圧されて、どうしてもそれ以上話すことはできず、ぼくは春休み中ずっと野球部の練習のために毎日学校に来ることになった。
一方、田上ティーチャーは自分の用があるときに二日くらい来ただけだった。
それから、試験問題に関して怒鳴られたこともあった。
その学校の自分が担当している教科・英語では、同じ学年の定期試験は共通問題を作り、事前にどんな問題になるのか見せて、担当者が全員納得してから印刷することになっていた。
その時はぼくが問題を作る番だったので、田上ティーチャーに自分の作った問題を見せた。
「この、記号問題は記述に代えてください」
「うーん、そこはたぶん変えないと思います」
このように、いきなり結論を言ってしまうところはあの頃の自分のしゃべり方の特徴で、今だったらいきなり結論を言わないで、相手にもよるけど例えば「どうして記号問題だと生徒が勉強しなくなるということがわかったのですか」といった質問をして様子を見るかもしれない。
「こんな記号問題ばかりではやさし過ぎて生徒が勉強しなくなる」
田上ティーチャーはイライラしながら言った。
「でも記号問題の考え方も学んだ方がいいと思いますが」
と言ったら、「えー」という変な声を上げて笑った。そしてその笑い方は、ぼくにはバカにしているような笑い方に聞こえた。
「選択肢を選んだ方が簡単に決まってるじゃないのよ。なに言ってんのよ」
と、怒りでゆがんだ凄まじい形相を見せつけ、ヒステリックに怒鳴りあげた。
こんなに怒りつつ怒鳴っている人に真面目に話をしても無駄だな、と思った。
確かに特定の場合において、選択問題よりも記述問題の方が難しくなることもある。例えば、「『記号問題の選択肢をただ単になくしただけで、ほぼ同じ狙いを持つ問題として成立する場合』において、選択肢がある場合とない場合を単純に比較する」という例などである。
でも、「紛らわしい選択肢を見てしまうとかえって間違えてしまう場合」もある。あるいは出題者が「選択問題だから記述よりは難しいことを聞いても同じくらいのできになるだろう」と習慣的・無意識的に考え、選択問題にした時の方が内容的に難しいことを聞く場合などは多いと思うし、要するにいちがいには言えないのである。
今までのその学年のテストの結果を見ると、選択問題が多い時の方が平均点が低くなっていた。そして、難易度は選択問題と記述問題でそれほど違っていなかった。だから、「この学校のこの学年の生徒は記述よりも選択に弱く、その部分を鍛えた方がいい」というのはそれなりに合理的で自然な結論だと思う。
この場合、まずは「同じ難易度では記述よりも選択問題(記号問題)の方が平均点が低くなる」という現象についてよく考えるなり分析するなりしてから、どちらの形式で出題するのがいいのか考えるべきだと思う。
いきなり怒鳴りあげてしまっては対話にならないので、なるべく対話を成立させるために怒鳴らないで普通に話すようにして欲しかった。
田上ティーチャーは、「相手が自分の言うことをきくかどうか」にしか関心がなく「どうすれば対話が成立するか」というところに全然興味がないようだった。あんなに狂ったように怒り出す様子を見ると、言われたとおりやるしかない。
仕方がないので、「それではこの部分を記述式に直します。直したら印刷していいですか」と言うと、「直したら見せてください。印刷する前にちゃんと見せてください。信頼できない」とまたしてもすごい形相で怒鳴り上げた。
「こんな怒鳴ってばかりいる狂った人間に真面目に話をしても無駄だ」と思い、不本意ながらあきらめてなんでも言うこと聞くことにしたのに、それでも満足できないようだった。
次の定期テストでは田上ティーチャーが問題を作る番だった。
ぼくは、田上ティーチャーが作った問題を見て、問題文に何を答えたらいいのかわかりにくい表現があるのを発見し、「こういうふうに直したらどうか」という相談をした。
すると田上ティーチャーは「沢田さんは、私に仕返しをした」と怒りに震える声で怒鳴り上げた。
問題文を直した方がいいかどうか、直す必要があるならば直し方をどうすればいいのか、冷静に話せばいいと思うのだが、「…仕返しをした…」といきなり怒鳴り上げるところが例によって異常だと思った。
電車はあまり混んでいない。
立っている人は一つの車両に5人くらい。
どこか探せば座れるところもありそうだが、長時間乗るわけでもないので、ぼくは立っていた。
〈うーん、それにしてもさっきのやり取りはなんだったのか?軽部元校長はどうしてああいう一本調子で薄っぺらい単純なものの見方しかできないのだろうか〉
まあ、軽部元校長にとっては物事を薄っぺらく単純に考えていくことが学校社会で生きていくための大切な処世術だったのかもしれない。それで校長になり定年退職まで勤め上げたのだから、有力な作戦なのであろう。なんだかさえない話なのだが。
「とにかく、こんなものが管理主事レベルに知れたら取り返しのつかないことになるぞ」と言っていたが、本当に年賀状の内容が処分の対象になるのであれば、言論の自由がない恐ろしい職場である。自分から辞めたくなってくる。でも、やはりできればちゃんとした正式な処分によって退職させて欲しい。
でも、そんなことを頼んでも、なかなか実行してくれないだろう。本当に処分の対象だから心配して言っているというようなことではなく、ああやって威張ったり脅したりお説教したりするのが面白くてやっていたような雰囲気だった。
〈あんまり感心できないなあ。でも、似たようなことはよくあるのかもしれない。ああいう変な奴のことは忘れてスナックにでもいくか〉
P高校にいた頃と私生活上で変化したことと言えば、第一に結婚したことだろうか。
良子ちゃんではなく、幸子ちゃんという病院で臨床心理士の仕事をしている女性と結婚した。良子ちゃんと結婚していたら間違いなく尻にひかれていたような気がするので、正しい選択だったような気もするが、幸子ちゃんは幸子ちゃんで偉そうに心理学用語などを交えていろいろなことを解説してくれたりするので、どっちがよかったのかよくわからない。一応、今のところはそれなりにうまくいっている。ような気もする。
それとスナックによく行くようになったことも変化と言えば変化である。結婚してからの方がスナックによく行くようになったという人は珍しいような感じもするが、自分の行く店には何人かいる。
こんな時、独身だったら、家に帰って缶ビールを飲みながらAVを見てオナニーをしたりしてリラックスするのだろうが、結婚するとそういうわけにもいかない。別にやったから怒られるわけでもないと思うが、どうも幸子ちゃんのいる我が家には、そういうことが許されないような雰囲気がある。
そう思っているうちに、足がスナックの方向に向かい、いつのまにか『スナック・おしゃれ猫』のドアを開けて中に入っていた。
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