採用面接(3)
「というわけで、内定」
目を見開いて立ち尽くす佳奈にそっけない口調で話しかけてきたのは、灰色頭の男だった。先ほどのボスと同じ濃紺の制服を着ているが、ウイングマークは付けていない。
「えっ、な、内定……ですか?」
「承諾ってことで、いい?」
佳奈は首だけを大きく縦に振った。そこに、墨色のスーツを着た薄毛頭がのそりと歩み寄ってきた。
「あのお、ふたつだけ確認させてもらえます? まず、勤務開始時期なんだけど、来春からってことで問題ない?」
佳奈はまた首を縦に振った。
「それから、配置先なんだけど、今の時点では、そのう……」
薄毛頭の声が、やや小さくなる。佳奈と並んでも十五センチ程の身長差しかない彼は、かなり気が弱いらしい。
「初任地は『市ヶ谷地区』の可能性が濃厚なんだけど、そこは了承してもらえます? あ、『市ヶ谷地区』ってのは、この敷地の中って意味で……」
新宿区内にあるこの場所に、飛行機は間違いなくいなさそうだ。
「さっき基地勤務の話が出てたけど、一つのポストに数年はいてもらうのが普通なんで、そこらへんは……」
佳奈が承諾の意味で頷くと、薄毛頭はほっと丸顔をほころばせた。そして、佳奈が座っていた椅子を長机の傍に移動させた。
「あと、書いてもらいたいものがあって、急で悪いんだけど、そのう……」
「内定承諾書、書いてもらえる?」
灰色頭が、しかめっ面に無理やり笑みを浮かべたような顔で割り込んできた。せっかちな性格らしい彼は、急かすように佳奈を座らせ、自分も着席した。仕事を取られた格好の薄毛頭と、今日は寡黙な女性面接官も、それに続いて再び席に座る。
「印鑑持ってきて、って話は聞いてた?」
佳奈が印鑑を出すと、目の前に素早く一枚の紙が置かれた。来春の就業を誓約する内容が書かれている。
佳奈は、灰色頭が指で示す場所に、住所氏名を記入し、押印した。
「はあい、ありがとう」
急に軽々しい声を出した灰色頭は、ニヤリと笑い、薄毛頭をつついた。薄毛頭は、はっとしたように立ちあがると、パタパタと部屋を出て行ってしまった。入れ替わりに、先ほど佳奈の案内役を務めた眼鏡の若い背広が入ってきた。
「あ、ちーちゃん。これコピーして、一部彼女に渡してやって」
「地井」と書かれた名札を付けた背広の彼は、佳奈が記名した紙を灰色頭から受け取ると、やはり小走りで出て行った。
「年末には予定配置先を書いた内定通知書を送るから、それまでは、さっきの承諾書のコピーが内定確定の書類だと思っといて。で、それからもうひとつ」
灰色頭は、佳奈の顔を覗き込むようにして、ますます奇妙な作り笑いを浮かべた。
「あなたの内定の件、今、うちから人事院に連絡入れてるから。あなたのほうも、試験の最終合格書が来たらすぐに、意向届を出しといてね」
意向届とは、国家公務員試験を主催する人事院に「今後の採用希望の有無」を伝えるもので、特定の官公庁への採用が内定した時は、速やかにその旨を通知することになっている。
これが受理された時点で、当該受験者の名前は「採用候補者名簿」から削除される。売れた商品が、「売約済」のステッカーを張られて別棚に取り置きされるようなものだ。
「人事院のほうで意向届の取りまとめが終わるまでは、たぶん名簿が更新されないから、しばらく他の省庁からも面接の連絡が入るかもしれないけど、全部断ってくれるね?」
佳奈に異存はなかった。これほどあっさり決まるとは予想外だ。こんな幸運は、もう一生ないかもしれない。
若い背広に促され、佳奈は、足取りも軽くエレベーターホールへ向かった。その後ろ姿を、部屋に残った二人の面接官が、戸口から覗き見るように見送った。
「部長が飛び入り参加するって言い出した時はどうなることかと思ったが、俺の主導でやるより結果的には良かったな。確かに、面白い子だ。あの部長が、彼女のペースに乗せられてた感じだったもんな」
「ああいうのは、部内情報を集める時に重宝しますよ」
女性面接官が目を細めると、濃紺の制服を着た灰色頭はフンと鼻を鳴らした。
「そういう目的で採るわけか。もしくは、自分の手駒に使おうという……」
「まさか」
彼女の側も、臆することなく灰色頭を見返す。黒のダブルスーツを着た立ち姿は、凛とした顔立ちにふさわしく、隙が無い。
「使いようによってはうちの組織に有益、という意味ですよ。課長には裏でいろいろ動いていただいて、ありがとうございました」
「人聞きの悪い言い方だな。あのおチビさんをこっちで採用できるように
「私が市ヶ谷にいる間は、阻止します」
冷ややかな顔で応える女性面接官に、灰色頭は乾いた笑い声を立てた。
「やっぱり手駒にする気じゃないか。しかし、あのおチビさん、内定書で予定配属先を見たら、さぞがっかりするんだろうな」
「配置は陸海空どこになるか分からないと、事前に説明はしてあります」
「しかし、最終面接で空自の人間二人と事務官が並んでたら、やっぱり空自採用になったと勘違いするだろ」
「私だっていたじゃないですか。隅っこでしたけど」
女性面接官がこれ見よがしに背筋を伸ばした。その彼女の頭から足元までを、灰色頭はじろりと一瞥した。
「海自の制服は階級章が肩に付いてないから、見慣れてない奴は、言われなきゃ気付かんかもしれん。座って手をテーブルの下に置かれちゃ、袖のトコもろくに見えんし」
「あの子が私を事務官と勘違いしてたってことですか? 前回の面接では、面と向かってかなり話したんですけどね。仮に勘違いしてたとして、本人の『業界研究』が偏り過ぎているのが悪いんです。今更辞退はさせません」
「あのおチビさんも、アンタに目を付けられたのが運の尽きだ」
「ずいぶんな言われようですね」
女性面接官は口元に手をやり、わざとらしく笑った。彼女の黒いダブルスーツの袖口には、2等海佐の階級を示す金色の太い三本線と桜星のマークが入っていた。
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