第七話 頑張れ優一! 運命を左右する期末テストついに始まる

「ただいま母さん」

「おかえり優一。聡実も喜んでくれるように、明日からの期末テスト、全力を尽くすのよ」

「うん! もちろんだよ」

 優一が通う高校の期末テスト初日前日、授業は四時限目までだったため、優一はお昼過ぎに帰って来た。昼食に母が用意してくれたカツカレーを食べたあと、自室に向かう。

「優一君、いよいよ明日からね」

「優一さん、今日は明日ある科目の最終確認をしていきましょう」

「ユウイチくん、all night studyingは逆効果だよ」

「ユウイチラコイド、体調は万全かな?」

「優一お兄ちゃん、聡実お姉ちゃんからの折檻回避を目指して極限まで頑張ろうね」

 部屋に入るといつものように、教材キャラ達が飛び出して来た。

「うん。頑張るしかないからね」

「そういえば聡実ちゃんって、優一君に折檻することを楽しみにしてるみたいだけど、そのわりに成績アップを阻害しようといじわるして勉強の邪魔をしてくることは一切しないわね。むしろ予想問題集作ってくれたりして応援してくれてるわね」

「それが昔からの聡実のポリシーだから。勉強の面倒見はすごくいいよ。高校受験の時もお守りプレゼントしてくれたりしたし。折檻するのはサポートしてるのに結果を出せなかった俺のふがいなさに対する戒めって言ってたよ」

「何だかんだ言って、ユウイチくんサトミちゃんのこと好きでしょう?」

 モニカはにやけ顔で尋ねてくる。

「好きじゃないぞ」

 優一はやや呆れ顔で即答する。

「You are a liar.」

 モニカはにっこり微笑んだ。

「さてと、テスト勉強始めないと」

優一は状況を切り替えようと焦り気味に机に向かった。明日行われるのは化学基礎、保健、数学Aだ。

「ユウイチラコイドは保健好き? 保健って、性教育分野があるでしょ」

 化能蒸は興味津々な様子で問いかけてくる。

「その分野は高校ではまだだよ。今回の範囲は現代社会と健康の単元の前半部分だから」

 優一が素の表情で伝えると、

「なぁんだ。性教育じゃないのかぁ」

 化能蒸はちょっぴりがっかりした。

「化能蒸ちゃん、からかっちゃダメよ。保健は一部、現代社会と被る分野もあるのね」

「あいだぁーっ! からかってないのにぃー」

 州湖良に背中をパチーンッと思いっ切り叩かれ、化能蒸はかなり痛がる。

「これは使えるわね」

 州湖良は、優一が今日学校から持ち帰った体育実技副教材の剣道が載っているページから竹刀を取り出したのだ。

「あの、州湖良ちゃん。まさか、それで俺を……」

 優一は顔を引き攣らせながら質問した。

「もちろん。優一君、サボったら、これで思いっ切りパッチンするからね♪」

 州湖良は竹刀を優一の肩の上に乗せて、にこりと笑う。

「てっ、手加減してね」

 優一はびくびくしながらお願いした。

「スコランゲルハンス島に叩かれたくなかったらさっそく化学、化学。今日はサトミトコンドリアが作ってくれた直前対策予想問題集を解いていこうぜ。そういやユウイチラコイド、中学の頃、フレミングの左手の法則ってのを習ったでしょ? フレミングには右手の法則もあるの知ってる?」

「知らないよ」

「やっぱりか。高校物理の範囲だからな。左手の場合、中指が電流、人差し指が磁界、親指が導体にかかる力の向きなんだけど、誘導起電力の向きの場合は右手だぜ。指はそれぞれ直角にしてね」

 化能蒸は強引に優一の右手のその三本の指を反らしてくる。

「いっ、痛いよ、化能蒸ちゃん」

 優一は苦しそうな表情。

「すまんねえユウイチラコイド、これも学習のためだからちょっとだけ我慢してくれ。フレミングの右手の法則は、中指が起電力の向き、人差し指は磁場の向き、親指が導体の動く向きなのだ。もう少しきれいな直角に」

 化能蒸は構わず真剣な表情で指をいじくり続ける。

「いたたたぁっ!」

 優一はさらに痛がる。

 次の瞬間、ポキッ! と、乾いた音が響いた。

「いっ、てぇぇぇぇぇぇぇーっ!」

 ほとんど間を置かず、優一はかなり大きな叫び声を上げた。

「あっ、優一さんの右手指が変な形に!」

 葉月は焦りの声を上げる。

「捻挫した場合、冷やすと効果的だと保健の教科書に書かれてあるよ」

 理密図はそれを眺めながら冷静に説明した。

「じゃあ早急にそうしなきゃ」

「そういえば葉月ちゃん、手をかざせば怪我を治せるという治癒魔法的な設定が備わっていませんでしたっけ?」

「そんな設定もあったんだ! どうりで俺が体罰で受けた痣とか、痛みも一晩寝たらすっかり消えてたわけだ。助かるよ。葉月ちゃん、早く治して」

「あの、優一さん、大変申し上げにくいのですが、わらわの力で即座に治癒出来るのは打撲、切り傷、刺し傷のみで、捻挫や風邪、骨折は不可能なのです。申し訳ございません」

 葉月は優一に向かって深々と頭を下げた。

「そっ、そんな、いたたたぁ」

 優一は大変苦しそうな表情。

「すまねえ、ユウイチラコイド。やり過ぎた」

化能蒸がぺこんと頭を下げて謝罪したその直後、

 ドスドスドスドスドス――。小刻みな低い音が聞こえて来て、

「どうしたの? 優一ぃ。大声出して」

 母がお部屋に入って来た。優一のことが心配になり、急いで駆け上がって来たようだ。

教材キャラ達はすぐさま自分のテキストに隠れて見つからずに済んだ。

「母さん、俺、フレミングの法則を、確かめようとしたら、右手の指を捻挫して」

「優一ったら、フレミングは左手でしょ。これは、病院行った方がいいわね」

 痛がる優一を見て、母はにこにこ微笑む。

「うっ、うん」

 優一は母に連れられ、近所の外科医院へ向かったのだった。

            *

約一時間後、優一は右手親指、人差し指、中指に包帯が巻かれた状態で家に帰って来た。

「ごめんなさーい、ユウイチラコイド」

 優一が自室に入った瞬間、化能蒸は土下座姿勢で謝罪してくる。彼女はとても気にしている様子だった。

「優一お兄ちゃん、化能蒸お姉ちゃん無限大に反省してるから許してあげて」

「ゲノムちゃんも悪気があってやったわけじゃないから」

 理密図とモニカは減刑を求めてくる。

「あの、化能蒸ちゃん。俺、全然怒ってないから。むしろ、新しい知識を教えてくれて、感謝してるよ」

 優一は、しょんぼりしてしまった化能蒸に優しく話しかけた。

「ほっ、本当か?」

「うん!」

「ありがとう、ユウイチラコイド」

 化能蒸は頭をくいっと上げ、立ち上がると優一にきゅっと抱きつく。

「ユウイチくん、toreranceだね。さすが草食系」

 モニカに感心気味に褒められ、 

「いやぁ、それは関係ないと思うけど」

 優一は苦笑いする。

「さあ優一君、テスト勉強再開よ。椅子に座りなさい!」

「わっ、分かった」

州湖良から命令されると優一はパブロフの犬のごとく条件反射的に椅子に座った。左手にシャーペンを持ち、やりにくそうに聡実が作った化学の予想問題集を解いていく。

「優一君、怪我をしているからといって、甘やかすことは一切しないからね。きっちり制限時間内に解いてもらうわよ」

「えっ、それは勘弁してくれよ。左手だと書きにくいのに」

「ダメッ! これも予期せぬ事態に陥った時の耐性を付けるためよ」

「入試当日に、優一さん一人が風邪を引いたり怪我をしたりしたからといって、日にちを変更することはもちろん時間延長も認めてくれないですからね」

 葉月はほんわか顔で忠告してくる。

「そっ、そうだね。学校のテストでもそうだもんな」

 優一はハッと気付かされた。

 こうして優一は、その後も明日ある科目を厳しく鍛え上げられていった。

         *

「優一お兄さん、右手使えんのは不便やろ? うちが手伝ったろか?」

「けっこうだ」

 その日の夕方六時頃に帰宅した聡実からにやけ顔で話しかけられると、優一はほとほと呆れ返ったのだった。

         ☆

迎えた翌日、期末テスト初日。

「優一くん、どうしたの? その手」

 朝、いつもより十分くらい早く迎えに来てくれた伸英は、心配そうに接してくる。

「その……」

「フレミングの法則を確かめようとしたら捻挫したのよ。全治一週間だって」

 母はにこにこ顔で伝える。

「そうなんですか。すごく痛そう。字はちゃんと書ける? おしりは自分で拭ける?」

「まあ、左手でなんとかね」

「優一ったら、フレミングなのに左手じゃなくて、右手を捻挫させたのよ」

「おば様、フレミングの法則には右手のもありますよ」

「あらま、そうなの?」

 伸英から知らされたことに、母は少し驚く。

「化学の範囲では使いませんけど」

 伸英はにこやかな表情で付け加えた。

「そっか。じゃ、いずれにせよ間違えたのね」

 母はにっこり微笑む。

「優一お兄さん、左手じゃ書きにくいけど、ノルマは一位たりとも下げへんよ。ほな行って来まーす♪」

 聡実はにやりと笑ってこう言い残し、玄関から外へ。

「聡実、これくらいハンディじゃないよ。昨日、左手で書く練習いっぱいしたからね。左手でも、絶対百位以内に入ってみせる!」

 優一は強く宣言した。

「頑張れ優一くん!」

伸英も熱いまなざしでエールを送ってくれた。

         ☆

 優一と伸英が普段より五分ほど早く教室に辿り着くと、

「ゆういち、どうしたその手?」

「捻挫ではないか?」

 やはり朋哉と哲秀が心配して来た。この二人も中学の頃からテスト期間中だけは普段より早めに学校に来るのだ。

「右手捻挫しちゃって、左手で書かなきゃいけないから、ちょっとハンディになるな」

 優一は苦笑顔で呟く。

「全力を尽くせ。ドゥーユアベスト。おれも昨日は全然勉強出来ひんかった。新作アニメのチェックが忙しくて」

 朋哉はにこっと笑いながら優一を励ます。

「やっぱ誘惑に負けたか。俺は今回はテスト終わったあとにまとめて見ることにするよ」

「おう、ゆういち。リアル妹からの折檻回避のために本気モードになれたみたいやな」

「まあね。でも左手じゃ答書くのにちょっと時間がかかっちゃうよ。数Aが一番鬼門だ。図を描かなきゃいけない問題も絶対あるだろうから」

 優一は苦笑顔で伝え、自分の席に着く。そして一科目目化学基礎のテスト範囲の最終確認をし始めた。

時間は刻々と過ぎていき、八時半のチャイムが鳴ってまもなく、

「皆さん、出席番号順に座っていますか?」

担任の播野先生がやって来る。彼女は机の中に物が入ってないか、携帯電話の電源は切って茶封筒に入れ机の上に出すようになどの諸注意をした後、化学基礎の問題用紙と解答用紙を裏向けに配布していった。

 そして八時四〇分。チャイムが鳴り、

「それでは始めて下さい」

播野先生からのこの合図で試験開始。教室内に用紙を表に捲る音が聞こえたのち、シャープペンシルの走る音が聞こえ出す。

それから数分後、優一の自室。

「優一さん、左手でも上手くやれているようですね」

 葉月は嬉しそうに優一の様子をモニター画面で眺めていた。

「よかったぁ。アタシすごく心配だったぜ」

 化能蒸はホッと胸をなでおろした。

        *

 豊中塚高校一年三組の教室。

「優一くん、どうだった? ちゃんと書けた?」

 九時半過ぎ。一科目目終了後、伸英はすぐに優一の席へ近寄って来てくれた。

「まあ、なんとか」

優一が表情を緩ませて答えると、

「よかったぁー。優一くん、次の科目も頑張ってね」

 伸英はホッとした表情を浮かべてこう励まし、自分の席へ戻っていった。

「ゆういち、今回はおれ、四〇くらいしかないと思う」

「理系志望でさすがにそれはまずいだろ」

 楽天的な朋哉に、優一は呆れ顔で突っ込む。

 哲秀は自分の席から動かず、次の科目のテスト範囲内容の最終確認をしていた。

いよいよ始まった二科目目、数学A。

やっぱ時間がかかるなぁ。

 優一は慣れない左手で懸命にベン図や樹形図を描写していく。

三科目目保健も、優一は左手でなんとか乗り切ることが出来た。

        *

「ユウイチラコイド、今日あった化学のテストの問題用紙貸してぇーっ」

 午後一時前、優一が帰宅し昼食を取り終え自室に入るや否や化能蒸が駆け寄って来た。

「もちろんいいよ」

 優一は快く通学鞄から取り出し、化能蒸に手渡した。

「今から解答速報作るね。お詫びの気持ちも示したくて」

 化能蒸はそう言うと、学習机の上にその答案と白紙のA4用紙を置き、椅子に座る。シャープペンシルを手に取ると、さっそく白紙用紙に問題を解き始めた。

「あたしも数Aの解答速報作るぅーっ。優一お兄ちゃん、テスト頂戴」

 理密図も化能蒸の真似をし始めた。

 それから十五分ほどのち、

「出来たぜユウイチラコイド。今回は中間より難易度少し高かったね。学年平均おそらく六〇切るぜ。アタシにとっては楽勝だったけどな」

 化能蒸は文字や化学式、図でビッシリになったA4用紙を優一に手渡す。

「……どんな答書いたかあんまり覚えてないけど、平均絶対ないよ。超えたかったけど」

 優一はちょっぴり落ち込んでしまった。

「優一お兄ちゃん、はいどうぞ」

 理密図からも数式でびっしり埋まったA4用紙を渡された。

「……数Aも、たぶん平均ないな」

 優一はますます落ち込んでしまう。

「優一さん、思ひくづほっちゃ駄目です」

「ユウイチくん、ネガティブシンキングは大学入試本番ではフェータルになるよ」

「予想問題で化学七三、数A七一取れたユウイチラコイドなら絶対平均あるぜ」

「優一お兄ちゃん、元気出して。成績というものは、短期間で飛躍的に上がるほど甘くは無いからね」

「優一君、まだ主要科目のうち二科目が終わったに過ぎないじゃない。自分は絶対百位以内に入れるんだって気持ちでいなきゃ」

 州湖良は爽やか笑顔で優しく頭をなでてくれる。

「分かってはいるけどね」

優一の不安はほんの少しだけ和らいだ。

二日目は古典と家庭科が組まれてある。

「ユウイチくん、Tomorrow is another day.だよ。今日のことはもう忘れて、明日頑張ればいいんだよ」

「そうですよ優一さん、明日に向けて古典の直前対策をしましょう」

「うん」

 モニカと葉月に励まされ、優一は自ら机に向かう。

二日目以降は、テストの出来が悪くてもネガティブな気持ちにならないようにしなきゃな。

彼はそう心掛けた。

    ☆

午後二時頃。

「こんばんは、優一くん。いっしょにテスト勉強しよう♪ 明日は二科目とも私の得意科目だから、重点的に教えに来たよ」

 伸英が優一宅を訪れてくる。

「べつにそこまでしてくれなくても良かったんだけどな」

「まあそう言わずに。私もみんなといっしょに勉強したかったし。聡実ちゃんはまだ帰ってないんだね」

「夕方まで友達と学校の図書室で勉強会だって」

 優一は迷惑がるも、教材キャラ達は大歓迎。ともあれ、その後はみんなで楽しくお勉強タイム。

 午後三時頃。

「優一、伸英ちゃん、おやつがあるわよ。下りてらっしゃい」

 母からの叫び声。優一と伸英はダイニングルームへ。

 抹茶どら焼きとあんみつが用意されてあった。

「美味しそう♪ 勉強中の息抜きには甘いものが一番ですね」

 伸英の顔は綻ぶ。

 先日の夕食時と同じく、優一は伸英と向かい合わせに座らされる。

「伸英ちゃん、悪いわね。優一のせいで自分の勉強の妨げになっちゃって」

「いえいえ、私、優一くん達といっしょにお勉強する方がずっと捗って楽しいので」

「俺は一人の方が勉強しやすいんだけどな」

 味わいながらそんな会話を弾ませていた時、優一の自室では、

「限りなく美味しい♪」

「いとをかしくて、甘しですね」

「Delicious! I‘m happy.ちなみに和菓子は英語でJapanese confectioneryだよ」

 理密図、葉月、モニカも同じおやつを幸せそうに頬張っていた。

 伸英が食べる前にスマホで撮影→優一が部屋に置いていったスマホに即送信。その画像から州湖良が取り出したというわけだ。

「伸英ちゃん、このみかんとさくらんぼとパイナップルあげるね」

「心遣いは嬉しいんだけど、優一くん、これは自分で食べなきゃダメだよ」

「それはきついな」

 引き続き優一と伸英とで会話を弾ませていると、

「ただいまー」

 聡実も帰ってくる。

「おかえり聡実、抹茶どら焼きとあんみつ用意してるわよ」

「やったぁ♪」

 母から伝えられると、聡実は笑みを浮かべてとことこ小走りでダイニングルームへ。

「あっ、伸英お姉さんも来てたんだね。こんにちはー」

「こんにちは♪ あら? 聡実ちゃん、お顔がちょっと赤いよ。お熱出しちゃったのかな?」

「大丈夫? 聡実」

「聡実、風邪引いたっぽいな」

 伸英も母も優一も、いつもとは様子が違っていたことにすぐに気付いたようだ。

「そうなんよ。なんかうち、今、ちょっとしんどくって、予定より早めに帰って来てん」

 聡実はゆっくりとした口調で伝える。

「聡実、本当に熱があるわ」

 母は聡実のおでこに手を当ててみた。

「昨日は雨降ってちょっと肌寒かったし、今日はめっちゃ蒸し暑くて気温差激しかったもんな。聡実、部屋までおんぶしてやろっか?」

 優一は、ふらふらした足取りで歩いていた聡実に優しく声をかけてあげる。

「ありがとう、優一お兄さん」

 聡実は囁くような声で礼を言うと、優一の両肩に手を掛けた。

「しっかり掴まってて」

優一は優しく伝え、おんぶしてあげる。

「優一くん、心優しい」

優一の気配りに、伸英はより好感が持てたようだ。

「聡実さん、あつしくしてしまったみたいですね。蓄積のある聡実さんには直前に勉強出来なかったところでハンディにもならないと思いますが、後ろめたしです」

「ユウイチラコイド、体の中でサイトカインがプロスタグランジンE2の産出を促したサトミトコンドリアに男らしい振る舞いしてるな」

「ユウイチくんはお兄さんらしいとこを見せたね」

「優一君、妹思いね」

「こういう時は、テスト勉強よりも聡実お姉ちゃんの看病を優先すべきだね」

 教材キャラ達も優一の自室からモニター越しに眺めていた。

「聡実、もう少しで部屋に着くからな」

 優一は聡実をおぶったまま階段を上り、聡実のお部屋へ向かっていく。

「聡実ちゃん、鞄持ってあげるね」

伸英もあとをついていった。

「聡実、下ろすよ」

「ありがとう、優一お兄さん」

辿り着くと、ベッドの上にそーっと下ろしてあげる。

「おねんねする前に、パジャマに着替えなきゃ」

聡実はゆっくりと立ち上がると、休まず制服のスカートを脱ぎ下ろした。みかん柄のショーツが露に。衣装ケースから取り出したパジャマのズボンを穿くと、続いてポロシャツを脱いで、ブラとシャツ一枚姿となった。

「聡実、半袖のパジャマで寒くないか?」

優一は下着姿の聡実からは目を背けて心配してあげる。

「うん、大丈夫。んっしょ」

聡実はお気に入りの白クマ柄パジャマに着替え終えると、すぐさまお布団に潜り込んだ。

「聡実、お熱計ろうね」

それからほどなく母がこのお部屋に入って来て、聡実に体温計を手渡す。

「うん」

 聡実はパジャマの胸ボタンをはずし、わきに挟んだ。

 一分ほどして体温計がピピピっと鳴ると聡実はそっと取り出し、自分で体温を確かめる。

「37度9分もある」

 聡実はしんどそうに、不安そうに呟く。

「大丈夫よ聡実、微熱だから今晩しっかり休めば朝には治ってるから」

 母が優しく伝えてあげると、

「よかったぁー。明日のテストに間に合わせるぞ」

 聡実はホッとした表情を浮かべた。

「あっ、聡実、鼻水が垂れてるよ」

母はとっさに、学習机の上に置かれてあったボックスティッシュから何枚か取り出し、聡実の鼻の下にそっと押し当ててあげた。

「ありがとう、ママ」

 お礼を言って、聡実は鼻をシュンッとかむ。

「聡実、気分は悪くないかな?」

 母は優しい声で尋ねる。

「ちょっと悪いかも。でも、吐きそうなほどじゃない。食欲はあるよ。おやつは食べれる」

 聡実はゆっくりとした口調で伝えた。

「それじゃ、あれ持ってくるよ」

 優一は聡実の分のあんみつと抹茶どら焼きを取りに行き、戻ってくると、

「ありがとう優一お兄さん、食べさせて」

 聡実はとっても嬉しそうな笑みを浮かべる。

「それじゃ、あーんして」

 優一は冷たぁいあんみつを小さじですくい、聡実のお口に近づけた。

「あー」

聡実は口を小さく広げて、幸せそうに頬張っていく。

風邪引いてる時の聡実、より幼く見えるな。

 優一はそう思いながら眺めていた。

「熱出した時って、お母さんの手料理がいつも以上に美味しく感じられるよね」

 伸英はにこにこ顔で呟く。

「今回はスーパーの既製品だけどね」

 母は苦笑い。

「かえって既製品の方がママの手作りよりも美味しいかも」

「こら聡実」

 聡実はあんみつと、抹茶どら焼きも全部平らげて、

「うち、優一お兄さんの剥いたバナナも食べたぁい」

 にやけ顔でこんな要求もしてくる。

「聡実、これだけ食欲あったら大丈夫そうね」

 母はホッと一安心。

「バナナも風邪引いた時に食べるとより美味しく感じられるよね。優一くん、取って来てあげて」

「優一お兄さん、あとカルピスも出して。濃いめがいい」

「分かった、分かった」

 優一は呆れ気味にキッチンへ向かい、その二つを用意して戻ってくると、

「ほら、これ」

「食べさせて♪」

 聡実からこんな要求をされてしまう。

「しょうがないなぁ」

 優一は困惑顔でバナナの皮を剥いて、中身の先っぽを聡実のお口へ近づけた。

 聡実は優しく噛んで、はむはむ味わい、

「とっても美味しかった♪ ごちそうさまぁ」

満面の笑みを浮かべて幸せそうに平らげた。コップ一杯のカルピスもごくごく飲み干す。

汗も全身からびっしょり流れていた。

「お体拭いてあげるね」

「ありがとう、ママ」

「どういたしまして。ちょっと待っててね」

母は機嫌良さそうにそう告げて、使った食器を持ってお部屋から出て行った。

「聡実ちゃん、何か絵本読んであげよっか?」

「気遣ってくれてありがとう、伸英お姉さん。でも、今回は、伸英お姉さんの、お歌が聞きたいなぁ。尾瀬が出てくる『夏の思い出』。明日の音楽のテスト範囲になってるので」

「あのお歌かぁ。私あのお歌好きだけど、歌下手だよ。私のお歌聞いたら聡実ちゃんますます体調崩しちゃうよ」

 伸英は照れくさそうに伝える。

「伸英お姉さんの声は癒しボイスだからそんなことないって。あと、うちのリコーダーで演奏もして欲しいなぁ」

 聡実はえへへっとにやける。

「私、演奏も下手だよ」

伸英は苦笑いを浮かべ、困惑してしまった。

「どっちかお願ぁい」

 聡実はうるうるした瞳で伸英を見つめる。

「こら聡実、伸英ちゃん困らせるなよ」

 優一は苦笑いで優しく注意。

「聡実ちゃん、演奏するよりは、歌う方がマシだから、歌ってあげるよ。夏がくれば思い出す はるかな尾瀬 遠い空 霧のなかにうかびくる やさしい影 野の小径♪」

 伸英が照れくさそうに歌い始めてほどなく、

「水芭蕉の花が咲いている 夢見て咲いている水のほとり♪ 遅くなってごめんね聡実。伸英ちゃんのお歌も上手だったわよ」

 母がその歌の続きを口ずさみながら戻って来た。お湯を張った洗面器と、二枚のバスタオルを手に持って。 

「はっ、恥ずかしいです」

 伸英は頬をほんのり赤らめて、俯いてしまった。

「照れてる伸英ちゃんも、とってもかわいいわ」

母は上機嫌で洗面器とタオルを聡実の枕元にそっと置いた。

「待ってましたー」

聡実は寝転んだまま、小さく拍手した。

「俺、薬用意してくるよ。母さん、風邪薬は確かタンスの一番上だったよな?」

「ええ」

 優一は気まずく感じたのか、お部屋から出て行った。

「優一お兄さん、いなくなっちゃった」

 聡実は寂しそうに、小さな声で呟く。

「優一ったら、聡実の裸を見るのに罪悪感に駆られたのかしら? 聡実、お体拭くからパジャマ脱いでね」

「うん」

 母に頼まれると、聡実はゆっくりと上体を起こす。パジャマのボタンを外して上着を脱ぎ、次にシャツも脱いだ。きれいなピンク色をしたふくらみかけの乳房が露になる。

「聡実、お腹は痛くない?」

「うん、大丈夫」

「喉も痛くない?」

「うん」

「よかった。それじゃ、拭くね」

 母はお湯で絞ったタオルで聡実のお顔、のどくび、うなじ、背中、腕、わき、お腹の順に丁寧に拭いていく。そのあとに乾いたタオルで二度拭きしてあげた。

「ありがとう、ママ。汗が引いてすごく気持ちいい♪」

 聡実は恍惚の表情を浮かべた。

「聡実ちゃん、パジャマ着せるからバンザーイしてね」

 伸英に言われると、

「はーい」

 聡実は素直に返事し、両腕をピッと上に伸ばす。

 伸英はシャツとパジャマの袖を通してあげ、ボタンも留めて着衣完了。

「次は下を拭き拭きするね。下着脱がすよ」

 続いて母は聡実のパジャマズボンとショーツをいっしょに脱がし、下半身も丁寧に拭いてあげる。

「ふぁ、んっ、気持ちいい♪」

 おへその下からおしりにかけてなでるように拭かれた時、聡実はぴくんっとなり思わず甘い声を漏らす。

「きゃはっ」

足の裏を拭いてあげた時にはくすぐったがって、かわいい笑い声を出した。

「はい、拭き終わったよ。足上げてね」

 母は同じように乾いたタオルで二度拭きし、ショーツとズボンを穿かせてあげた。

「おば様、慣れてますね」

 伸英は感心する。

「そりゃぁ昔、優一と聡実のおむつを交換してあげたことが数え切れないほどあるからね。二人とも交換する度いつも大声で泣いて暴れ回ってて大変だったわ。伸英ちゃんも、換えてあげたことがあったよ。伸英ちゃんは大人しくてやりやすかったわ」

 母は使ったタオルを絞りながら微笑み顔で言う。

「そうなんですか」

 伸英はアハッと照れ笑いする。

「なんかうち、赤ちゃんみたいで恥ずかしいなぁ」

聡実も照れ笑いする。

 それからほどなくして、

「母さん、聡実の体、拭き終わった?」

 優一はお部屋の外から小声で問いかけた。

「うん、もう大丈夫よ」

 母がこう答えると、優一は安心してお部屋へ足を踏み入れた。

「これ、薬」

そして小児用のメロン味の風邪薬を溶かした水を母に手渡す。

「聡実、次はお薬飲もうね」

 母はそれを聡実の口元へ近づけた。

「うん」

聡実はお薬を受け取ると、ちびちび美味しそうに飲み干していった。 

「うち、座薬も入れてもらいたいねんけど」

 そのあと、えへへっと怪しげな表情でこんなお願いもする。

「座薬入れるほどの高熱じゃないから、入れなくても大丈夫よ」

 母はふふっと微笑む。

「あ~ん、残念。スタンバイ出来てるのに」

 聡実は横臥姿勢のままパジャマズボンと可愛らしい水玉ショーツを脱ぎ下ろし、ぷりんっとしたお尻を露にさせる。

「こら聡実」

 優一は咄嗟に一瞬見てしまった聡実のお尻から目を背けて呆れ顔で注意する。

「聡実、優一困ってるから元に戻しなさい」

 母は微笑み顔で優しく注意。

「はーい」

 聡実はえへっと笑い、素直にショーツとパジャマズボンを元の位置へ。

「私、座薬はすごく苦手だなぁ。お尻にぷちゅって入れるの、私もちっちゃい頃風邪引いた時お母さんにしてもらったことがあるけど、逃げ回ってたよ。予防接種並の怖さだよ」

 伸英は苦笑いだ。

座薬というと、俺にも嫌な思い出があるな。

 優一は、幼い頃風邪を引いた時に母に取り押さえられ座薬を入れてもらい、その様子を聡実と、お見舞いに来た伸英にもばっちり見られた非常に恥ずかしい過去を思い出してしまった。

「それじゃうち、夕飯までおねんねするよ。おやすみなさーい」

聡実は満足げな表情でこう告げて、ロリ美少女キャラの抱き枕を抱えてお布団にしっかり潜り込んだ。

「聡実ちゃん、お大事に。早く良くなってね。聡実ちゃんの邪魔になっちゃうといけないから、今日はもうお暇させていただきますね」

 伸英はそう伝えてお部屋から出て、優一のお部屋へ荷物を取りに行くと速やかに自宅へ帰っていった。そのあと優一が自室に戻ると、

「ユウイチくん、caught a coldしちゃったサトミちゃんの分まで頑張ろう! ノブエちゃんが帰ったことだし」

「うぼぁっ! いきなり理不尽だよ」

「スピリット注入だよ♪」

 モニカから腹を一発殴られ、教材キャラ達からのいつも以上に気合いの入った学習指導が再開する。

           ☆

「さっき計ったら37度7分だったよ。ちょっとだけ下がったぁ」

 聡実は夕食時には一旦起きて来て、しんどそうにしながらも、全部食べ切った。

「また汗かいちゃったから、今度は優一お兄さんにうちの臭い体拭いてもらいたいなぁ」

「聡実、にやけ顔で言うなよ。俺が拭いたらますます体温上がっちゃうだろ。母さんにやってもらって」

 夕食後は、すぐにお部屋に戻ってお布団へ。母にまた体を拭き拭きしてもらい、お薬を飲んでぐっすりおねんね。

    ☆

「こんなイージーなグラマー問題もミスするなんて、I‘m disappointed with you.」

「いってぇぇぇ~っ! そうはいっても古文文法って英語よりもむずいんだよなぁ」

優一はその日の夜も、いつもと変わらずモニカから時おり分厚い英和辞書で肩をボカッと殴られるなどの体罰されながら、テスト勉強に励むのだった。

   ☆

真夜中、丑三つ時。

「聡実さん、風邪を治せるようには設定してくれていませんが、おまじないはしておきますね。さだめて朝までにはおこたってますよ」

 葉月は聡実のお部屋に入って来て、ぐっすり眠る聡実に手をかざしてあげたのだった。

    ☆

朝、七時半頃。優一のお部屋。

「優一お兄ちゃん、おっきろーっ!」

「ぶはぁっ! こら聡実、そういう起こし方はやめろって前にも言っただろ」

「だって一発で簡単に起こせるんだもん」

 優一は聡実に薄い夏布団越しに乗っかられて起こされた。

「聡実、熱、すっかり下がったみたいだな」

「うん、もうばっちり♪ さっき計ったら36度5分まで下がってたよ。これで今日のテストも全力を出せるよ」

 聡実は満面の笑みを浮かべて伝える。

「それは良かったな。俺も今日も全力を尽くすよ」

 優一もホッと一安心だ。


 朝から大雨で憂鬱な気分になってしまいそうなお天気だったものの、今日のテストは優一も聡実も伸英も好調だったようだ。


       ☆


優一が通う高校の期末テスト四日目終了後。

「今日は現社と生物で楽だったけど、明日が一番嫌だな。数Ⅰと英語、どっちも俺の苦手科目だし」

「僕は数学は一番楽しみだけどね」

「数学が得意なやつの頭の構造は理解出来んな。おれは全科目苦手やから」

「朋哉、それはやばいぞ。俺も頑張らないと」

「今日は四日だよな。ジャ○プSQとジャ○プコミックの新刊、今日発売だから駅前の本屋までいっしょに買いに行こうぜ」

「えー、あと一日だけなんだし、終わってからでいいだろ。今日買うと、絶対気になってテスト勉強に集中出来なくなりそうだし」

 朋哉の誘いに、優一は眉を顰めながら意見した。

「おれは明日の試験完璧に捨ててるし。おれ目当てのやつは人気作だから明日には売り切れてるかもしれねえし」

けれども効果なし。朋哉の意思は全く変わらず。

「そういうのはたくさん入荷されるから、むしろいつでも手に入れ易いだろ」

 ほとほと呆れ果てる優一に、

「あのう、利川君。僕も、いち早く読みたいですしぃ、いっしょに行きましょう」

 哲秀も申し訳無さそうにお願いして来た。

「……哲秀まで。それじゃあ、行くか」

 優一は五秒ほど悩んだのち、こう意志を固めた。

「みんな、お目当てのもの買ったら長居はせずにまっすぐおウチに帰って、しっかりテスト勉強しなきゃダメだよ」

困惑顔で見送った伸英をよそに三人は学校を出ると、最寄り駅の方へと向かっていった。

「いけませんね、優一君。これでは」

「帰ったらたっぷりお仕置きが必要だね。bamboo swordでダイレクトにおしり叩き百発で良いかな?」

 あのやり取りをモニター越しに眺め、州湖良とモニカはむすぅっとなった。

「優一君だけじゃダメね。優一君の貴重な学習時間を阻害しようとしているあの朋哉君という奈良の大仏みたいなお顔の悪友と、哲秀君という微妙に溥儀っぽいお顔の子も懲らしめなくちゃ」

 州湖良はにやりと微笑んだ。

「さすがスコラちゃん、受講生のフレンズにもシビア」

「いよいよ聡実ちゃんのこの究極の空想アイテムを使う時が来たわね」

 州湖良はそう言うと、自分用のテキストからサランラップのようなものを取り出した。そしてそれを適当なサイズに千切り、テレビ画面にぴたりと貼り付ける。

「州湖良お姉ちゃん、それなあに?」

「スコランゲルハンス島、また妙なのを出したね」

「ひょっとして、アレかな?」

 理密図、化能蒸、モニカの三人は興味津々に観察する。

「これをテレビ画面に貼り付けるとテレビに飛び込めるようになって、映っている場所へ移動することが出来るのよ。ただし、ライブ映像に限るけどね」

 州湖良は自慢げに伝えた。

「ど○でもドアみたいなものかなぁ?」

 理密図はすかさず突っ込む。

「そんな感じね。ちょっとお手本を見せましょう」

 州湖良がテレビ画面に手を入れた瞬間、

「いてっ!」

「どうした、朋哉?」

「何かあったのでしょうか?」

 優一達のいる場所はこんな現象が起きた。

「なんか、いきなり後ろから髪の毛引っ張られたみたいなんだ」

 朋哉はそう伝えながら後ろを振り返ってみた。

「あれ? 気のせいかな?」

 しかし誰もいないことに朋哉は不思議がる。

「たぶんそうだろ」

 優一は素の表情で突っ込み、

「僕はおそらく、カナブン的な昆虫に衝突されたのだと思います」

 哲秀はほんわか顔でこう推測した。

「あー、あり得るよな、チャリ乗ってる時とかたまに顔にぶつかってくるし」

 朋哉は朗らかな気分で笑う。

「哲秀、さすがの推理だな」

 優一も感心する。しかし哲秀の推理は間違いだった。

州湖良が朋哉の髪の毛を後ろから引っ張ったのだ。

 三人は当然、それに気づくはずはない。

「これぞ『後ろ髪を引かれる思い』ね」

「州湖良さん、それは誤用です。後ろ髪を引かれるとは、心残りがしてなかなか思い切れないことです」

「あらまっ、そうでしたか。さすがは国語科担当ね」

 葉月に指摘され、州湖良はちょっぴり照れた。

「これもまたグレートファンシーアイテムだね」

「サトミトコンドリア、発想力すご過ぎるぜ」

 モニカと化能蒸はかなり絶賛していた。

「さてと、先回り地点を映して、さっそくお仕置き開始よ」

 州湖良はにこやかな表情でそう告げると、映像を別の地点に切り替えた。

続いて、優一が中学時代に使っていた理科の資料集のとあるページを開き、開かれた方をテレビ画面に向ける。そして背表紙をトントントンッと手で叩いた。

優一、朋哉、哲秀の三人が橋の上に差し掛かり、

「それにしてもラノベ読んでるやつって、クラスでおれらの他にあまりいないよな」

「金銭的なこともあるのでしょう。ラノベを二冊買うお金で、ジャ○プコミックが三冊買えるからね」

「でも、図書室にもいっぱい置いてあるけどなぁ。伸英ちゃんに頼んでもっと宣伝してもらおうかな」

こんなオタク的会話をしていたところ、

「あっ、あのう、利川君、寺浦君、前、前」

 突然、哲秀の顔が蒼ざめた。

「どうした哲秀?」

「ん?」

 優一と朋哉もまっすぐ前方を見た。

「「「……」」」

 瞬間、三人の顔が凍りつく。

彼らのいる二〇メートルくらい先に、とある野生動物が現れたのだ。

ガゥオッ! それは大きく咆哮した。

百獣の王、ライオンであった。性別は、鬣が目立つオス。

「ひええええええっ~! こっ、これは、夢でございますよね?」

「うわああああああああっ!」

「なっ、なんでこんな所にあんなアッフリカンな動物がおるねん?」

 三人は慌てて全速力で逃げ出した。五〇メートル9秒を切るくらいのペースだ。

「日本国内には野生のライオンは生息していないはずなので、王子動物園か、天王寺動物園から逃げ出したとか?」

 哲秀は顔を蒼ざめさせて逃げながらも、冷静に分析してみる。

 ライオンも当然のように三人を追って来た。

 三人とライオンとの距離はみるみるうちに詰められていく。

「いい気味ね。さて、そろそろ助けてあげましょっか」

「本当にそろそろ戻した方が良いぜ。ユウイチラコイドにはそんなに罪はないし、トモヤングの実験とテツヒデキストリンに対するお仕置きもやり過ぎだと思うぜ」

「早急に回収しないと、かなり騒ぎになっちゃいますよ。というか、優一さん達の身が危険に晒されます。あのう、州湖良さんがライオンさんを元に戻すのですよね?」

 葉月は深刻そうに問う。

「えっと、わたくし、怖いので、誰か、やっていただけないでしょうか?」

 州湖良はてへっと笑った。

「あたし、ライオンさんは大好きだけど、檻がなかったら、怖いよぉ」

「アタシもあいつと戦う勇気は無いぜ。犬歯が発達してて鋭い爪を持ってるからなぁ」

「I think so too.It‘s very dangerous.」

 理密図、化能蒸、モニカは苦笑いで言い張る。 

「こうなったら、助っ人を呼びましょう。またボブ君に頼もうかしら。同じ肉食系のようですし」 

「州湖良お姉ちゃん、あのおじちゃんは絶対出しちゃダメェーッ!」

 理密図はむすっとした表情で要求した。

「あのロリコンに頼んでも、probablyやってくれないよ」

「幼い女の子が大好きな時点で、怖がりだと思うぜ」

 モニカと化能蒸は自信満々に主張する。 

「確かにそうね。それじゃぁ国語便覧に載ってる連銭葦毛なるお馬さんに助けもらいましょっか」

「州湖良さん、余計大変な事態になりそうなので、絶対やめた方がいいと思います」

 葉月は困惑顔で意見した。 

「その案も却下かぁ。こうなったら強そうな人……世界史の教科書から強そうな人を召還すれば。プロイセン王のフリードリヒ2世は、鯛焼きみたいなお顔で頼りなさそう。うーん……ナポレオン1世にするか、ルイ14世にするか、カール大帝にするか、フェリペ2世にするか、スレイマン1世にするか、ボリバルにするか、トゥーサン・ルヴェルチュールにするか……でも、どのお方も日本語は通じないだろうし、それに、とても怖そうだし、とりあえず、このお方でいいかな? 日本人だから言葉も通じそう」

 州湖良は世界史の教科書をパラパラ捲って見つけたとあるカラーページを開き、手を突っ込んだ。

「やっぱり、すごく重たいわね」

 三〇秒ほどかけて、お目当ての人物をなんとか引っ張り出すことに成功した。

「きゃあっ!」

 瞬間、葉月は思わず目を覆った。

「ハヅキアズマ、褌付けてるんだしそんな反応しなくても」

 化能蒸は笑いながら突っ込む。

「Oh,Sumo wrestler!」

「お相撲さんだぁーっ! 勝率何割くらいかな?」

 モニカと理密図は興味津々に現れた人物の姿を眺める。力士であった。

「ペリーに対抗して力士が米俵を運んでいる図から取り出したの」

 州湖良は自慢げに語る。

「……どこでぇ、ここは?」

 力士は目を丸め、米俵を持ったまま周囲をぐるりと見渡す。かなり戸惑っている様子であったが当然の反応だろう。

「力士のおじちゃん、ここは二一世紀の日本だよ」

「力士君、落ち着いて聞いてね。ここはあなたがいる時代から、一六〇年くらい先の世界なの。元号は安政ではなく平成でもなく令和、江戸は東京って知名になってるわよ」

「ほへっ!?」

 理密図と州湖良からの説明に力士はさらに驚き、ひょっとこのような表情になる。

「キミに倒してもらいたいやつがいるんだ。そこに映ってる、ライオンなん……」

 化能蒸がそう言い切る前に、

「ひっ、ひえええええええ! はっ、箱が、しゃべったでげす。うわわわぁーっ」

 力士は顔面を蒼白させ、ドスーン、ドスーンと大きな地響きを立てながら、部屋から逃げ出してしまった。

「何の音?」

 リビングにいた母は不審に思い、廊下に出た瞬間、

「うぉっ!」

 力士とばったり出会ってしまった。

「きゃっ、きゃぁっ! 何ですか? あなたは?」

 母は驚き顔で尋ねる。

「こっ、こちとら、江戸っ子の力士でぃ。今しがたまで、船に米俵を運んでいたんでぃ! でもよぉ……」

 力士はひょっとこのような表情をして強い口調で説明する。

「はぁ? 何言ってるの? あなた。警察呼ぶわよ。ひょっとして、最近このおウチの食べ物漁ったり、光熱費を使ってる泥棒?」

 母は優一を叱り付ける時のように険しい表情で問い詰めた。

「こうねつひ、ってなんでぃ?」

「とぼけるんじゃありません。あっ、こらっ、待ちなさい!」

「ひいいいいい、これやるから見逃して欲しいでげすーっ」

 力士は母の様相に恐れをなし、片手に持っていた米俵を投げ捨てて玄関から外へ飛び出した。

「あらまっ、案外いい泥棒さんね」

 母はにこっと微笑んだ。

 力士は図中では米俵を両手に抱えていたが、取り出される際一つ落っことしたらしい。

優一の自室。

「面白いおじちゃんだったね」

「うん。あのホモサピエンス、質量百キログラムは優にありそうだったな」

「役に立たなかったね、あのスモウレスラー」

「根性が予想と全然違ってたわ。あの人も優一君や朋哉君、哲秀君と同じく草食系男子ね」

 理密図と化能蒸は笑顔、モニカと州湖良は呆れ顔でさっきの力士の印象を語る。

「まだ坪内逍遥さんすら生まれていない幕末から、いきなり二十一世紀の世界に飛ばされたのですから、あのような素っ頓狂な反応をされても無理は無いと思います」

 葉月はほんわか顔で意見する。

「幕末なら、科学もけっこう発達してたと思うけどな。あっ! ユウイチラコイド達、もうかなりやばい状況になってるぜ。アタシが、助けに行って来るよ」

 化能蒸は早口調でそう言って、テレビ画面に飛び込んだ。

「焦眉の急ですね。わらわもお手伝い致します」

 葉月もあとに続いた。

「化能蒸お姉ちゃんと葉月お姉ちゃん、大丈夫かな?」

「あの子達ならabsolutely無事にライオンを二次元に戻せるよ」

「化能蒸ちゃん、葉月ちゃん、頑張って下さいね。大怪我したら、世界史の教科書からナイチンゲールを召還するので」

 残る三人は固唾を呑んでモニター越しに見守る。

その頃、優一、朋哉、哲秀の三人は高さ二メートルくらいのブロック塀に突き当たってしまっていた。袋小路だ。すぐに引き返そうとしたが時既に遅し。ライオンはもう、三人の一メートルほど先まで迫って来ていた。

「ひえええええっ、ラッ、ライオン殿。どうか、僕達の側から離れて下さいましぇ」

「どっ、どうしよう、どうしよう。かっ、母さん、聡実。助けてーっ!」

「てつひで、ゆういち、死ぬ時は、いっしょだぜ」

 三人はブロック塀に背中をつけて、手を繋ぎあってカタカタ震えていた。ライオン目線からだと真ん中に哲秀、右に朋哉、左に優一という配置だった。

 グゥアゥオッ! 鋭い牙を剥き出しにしたライオンが三人の目と鼻の先まで迫り、絶体絶命のピンチに陥ったその時、

「ユウイチラコイド、助けに来たぜ」

「優一さん、助けに参りました」

 化能蒸と葉月が正義のヒーローのごとくタイミングよく登場した。

「哺乳綱ネコ目ネコ科ヒョウ属のライオン、アタシと勝負だぜっ!」

 ガオッ! ライオンは化能蒸の声に反応して彼女の方を振り向く。

「あの、皆さん、これを付けて目隠しして下さい。強い光が出るので」

 葉月は三人に長くて黒い布を手渡した。

「分かった、葉月ちゃん」

「どっ、どなたか知りませぬが、ありがとう、ございまするぅ」

「どっ、どうも。こうすれば、いいのか?」

 三人はすぐさま言われた通りにした。

「ライオンさん、やめて下さーい!」

 葉月はそう叫ぶと、顔を般若面に変化させた。

 ガゥオッ! ライオンはびくーっと反応し、あとずさる。

「二度と使わないと決めていたのですが……」

 葉月は瞬く間に元の顔の形へと戻った。

「ユウイチラコイド、あとは任せて」

 化能蒸はそう告げると姿を消した。約五秒後、再び姿を現すと、ライオンの背中に乗っていた。化能蒸はすぐさま理科の資料集を開き、ライオンの背中に押し付ける。

 するとライオンはあっという間に二次元の世界へと帰っていった。

 化能蒸と葉月もそそくさこの場から退場し、優一のおウチへ戻っていった。

「なあ、ゆういち、てつひで、さっき、二次元からそのまま飛び出したような女の子が、いたよな?」

「はい、僕の目にもしっかりと見えました。さっきの出来事は、夢ではないか?」

朋哉と哲秀は、ぽかんとしていた。

助かったぁ、というかあのライオン、理科の資料集から出したやつか。

 正体を知っている優一は冷静だった。

「そんじゃ、危機は去ったことだし、気を取り直してマンガ買いに行くか」

「そうですね。今日は非常に貴重な体験が出来て、よかったであります」

「おい、おい」

 それからすぐに何事も無かったかのように通常精神状態に戻った朋哉と哲秀の反応に、優一は笑いながら突っ込んだ。

 こうして三人は予定通り、お目当ての月刊誌とコミックスを買いに駅前の大型書店へ向かうことに。

         ☆

「申し訳ございません化能蒸ちゃんに葉月ちゃん、ご迷惑かけて」

 化能蒸と葉月が優一の自室に戻ってくるや、州湖良は深々と頭を下げて謝罪。

「いやいやスコランゲルハンス島、べつに謝らなくても。アタシ、ライオン退治けっこう楽しかったぜ」

 化能蒸は嬉しそうにしていた。

「州湖良さん、もう二度とこのようなお仕置きの仕方はやらないで下さいね」

 葉月はぷくぅっとふくれた。

「大変申し訳ない」

 州湖良はもう一度謝罪の言葉を述べて、許しを得たのだった。

「この様子じゃ、スコランゲルハンス島のお仕置きは効果なかったみたいだな」

 書店にてお目当ての本を物色する優一達三人の姿をモニター越しに眺め、化能蒸は楽しそうに微笑む。

         ☆

「優一君、遊びに誘惑されたでしょ。めっ!」

 優一が帰宅して自室に入った瞬間、いきなり州湖良に竹刀で頭をパチーンッと叩かれた。

「いってぇぇぇっ!」

 優一は両目を×にして両手で頭を押さえる。

「ちなみに遊びは、古語では詩歌・管弦・舞などを楽しむことをいう場合が多いですよ」

 葉月はにっこり笑顔で伝えながら手をかざし、優一がさっき受けた痛みを取り除いてあげた。

「ユウイチくん、明日はmost importantな英語があるんだよ。タイムロスした分、今からしっかり取り戻さないとね。シッダウン!」

「分かった、分かった」

 優一はモニカによって容赦なく椅子に座らされ、明日ある科目の勉強を進めていく。

「優一お兄ちゃん、いよいよ明日で期末テスト終わりだよ。もう一息」

 理密図はそんな優一を優しく励ましてあげたのであった。数学Ⅰの教科書と、数学IA問題集とノートを右手に抱え、コンパスの針を左手に持ったまま。

        ☆

その日の夜、利川家の夕食団欒時。

『次のニュースです。今日正午前、大阪府豊中市内の路上を褌姿で走っていたとして、公然わいせつ罪の現行犯で住所不定、自称力士、久吉容疑者を逮捕しました。調べに対し久吉容疑者は、こちとら生まれは筑後国山門郡大和村。米俵を運んでいたら、突然しゃべる箱とか、鉄で出来たイノシシとか、ペリーの黒船よりもでっけぇ建物があるべらぼうな場所に着いちまったんでぃっ! などと意味不明な供述をしており……』

「あっ、こいつ。今日ウチに入って来た泥棒だ」

 七時台のこのニュース画面を見て、母は反応する。

「泥棒に入られたの? 母さん、大丈夫だった?」

「ママ、レイプされへんかった?」

「怪我は無かったのか?」

優一と聡実と父は心配そうに尋ねた。

「当然よ。お母さんはそんなやつくらいで怯まないわ。実際すぐに逃げてっちゃったし。吉本のお笑い芸人さんかなっ? とも思ったわ」

 母は嬉しそうに、自慢げに語った。

        *

「優一お兄ちゃん、計算間違い多過ぎ。ケアレスミスは大学入試では命取りになるよ」

「いたっ、理密図ちゃん、コンパスでほっぺた突くのやめてぇ」

「だったら真面目にやって!」

夕食後も、優一は明日行われる科目について引き続き厳しく学習指導される。

「優一君、喝っ!」

「いったぁーっ、背骨折れそう」

 社会科担当の州湖良も竹刀を手に持ち、指導に加わる。彼女は優一が他の科目を勉強させられている時も、常に副教官として監視しているのだ。それだけ優一の学習指導に強い責任感を持っていることの表れだろう。

「このコーヒージェラートandココナッツジェラート、It tastes very good!」

「モニカタラーゼ、そんなに食ったら絶対太るぜ。確かに美味いけどな」

 モニカと化能蒸は、州湖良がチラシから取り出してあげたデザートに夢中。

「……」

 葉月は優一が誘惑に負け今日買ってしまった日常系萌え4コマ漫画を熱心に黙読していた。

教材キャラ達はすっかりあの力士のことを忘れてしまったようなのだ。

 同じ頃、

「べらんめぇっ!」

 そのお方は取調室で、やり切れない思いを江戸弁で、でっけぇ声で叫んだのだった。

         ☆  ☆  ☆

英文法、聡実が作ってくれた予想問題集と全く同じのが三分の一くらいあったな。最初のリスニングもけっこう聞き取れたし、長文問題も半分以上は解けたと思うし、七〇点くらいは取れるかも。

最終日一科目目の英語、優一はかなり高調だったようだ。八〇分の長丁場でも集中力がほとんど途切れなかった。最後の科目、数学Ⅰのテストが終わり回収されたあと、

「やっとテスト終わったぁ! 五日間めっちゃ長かったわ~。これで思う存分遊べるぜ。あとは授業昼までやし、もう気分は夏休みやーっ!」

 朋哉は優一の席を振り向き、陽気な声で話しかけてくる。

「百位、超えれるかなぁ」 

 優一は不安な気持ちでいっぱいだった。数学Ⅰはあまり出来なかったのだ。

「ゆういち、もう終わったことやし、気楽に行こうぜ。テイク、イット、イージー」

 朋哉は優一のポンッと肩を叩き、勇気付けようとしてくれた。

 

優一は今日の帰りに外科医院へ立ち寄り、包帯を外してもらった。テストが終わってようやく右手が自由に使えるようになったのだ。

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