薄い壁と声と

「おい裕貴、たまには俺らと飯に行くぞ」

「うんうん。今日は逃がさないからねッ!」


 そう言って、半ば強制的に雄平と水鈴に連れて来られた店の個室。わざわざ個室のある店を調べていたというのも驚きだが、個室でないと話せないような事情があるのだろうかとも思う。

 そもそも、雄平と水鈴が結託するということ自体が珍しいような気がする。雄平に水鈴が強引に付いてくるとか、水鈴に雄平が強引に巻き込まれるとか。そんなようなことならよく見るが。


「えー、コホンッ。裕貴、かんなちゃんの家はあやめちゃんの家でもあるんだからねッ!」

「水鈴、ド直球過ぎないか」

「裕貴にスライダーとかチェンジアップとか言っても通じないから! ストレート一本ッ!」

「水鈴から球種名が出てくるとか」

「奈々が野球見てるし最近野球の仕事も少しあるから。それはそうと、裕貴わかってる!? かんなちゃんからフォローされてるだろうけどあやめちゃんがあんまりだよ」


 どうやら、雄平と水鈴が俺を呼びだした本題はそれらしい。そして水鈴の説教は続く。あやめさんが俺に何も言わないのをいいことに部屋で好き放題しすぎだとか、外でのデートも増やせとか、そんなようなことを。

 確かに言われてみればかんなの家……と言うか厳密には姉妹の家にお邪魔することも多いし、あやめさんの姿は家ではあまり見なかった。ヘッドホンをして部屋に籠もっているか、外に出ているそうだ。そう聞くと確かに俺のしていることは酷い。


「いいか裕貴、部屋に行くなとは言わないけどもう少しあやめを気遣ってやれ。あやめもあやめで外に楽しみを見つけたみたいだけど、作品制作の拠点は部屋なんだ」

「外での楽しみ?」

「インターフェイスの夏合宿に出るらしい。ミキサーだからそのうち奈々ちゃんとも知り合うだろ」

「へー、そうなんだ。次あやめちゃんが裕貴に追い出されたらうちでお泊まり会開いてあげようかなー、ねえ裕貴ー」

「うっ」

「で、ひとつあやめからの忠告を受け取ってる」

「ん?」

「隣の部屋でヘッドホンをしてても聞こえるものは聞こえる、だとよ。カメラ持って部屋に乗り込まれても文句言えないぞ」

「キャ、キャーッ! 裕貴ハレンチ!」


 人体に興味を持ち始めて雄平を散々被写体にしたあやめさんだ。男と女の肉体が絡む構図にも(アートという意味合いで)興味があるそうだし、隣の部屋でそんなことをされてたらカメラを持って乱入したいですよ、と雄平に言っているそうだ。

 さすがにそれを撮影されるのはいろいろと問題があるし、あやめさんなら本当にやりかねない。東の朝霞、西のあやめさんという作品への貪欲さだ。ここまでくると俺の体が貧相だとかそんなことは問題ではないのだ。


「反省はしている。まあ、しばらくすると文化会で忙しくなるし、部屋に行く頻度も自然と下がるだろう」

「そういうことじゃねーんだよ裕貴。忙しいのはわかるけどだな」

「裕貴、ちゃんと仕事出来てるの? デートばっかりしてる印象だけど」

「仕事はやっている。仕事にかける時間は短くなったが、その分効率が良くなって生産性が上がった。無駄にだらだらと仕事をしていたときよりメリハリもついたし、荒む心もかんなが癒してくれる。今の俺はまさに絶好調だ」

「かんなは腑抜けになってるってあやめが愚痴ってたのに」

「はっ…! 雄平もアタシと付き合えば裕貴と同じような効果を得て絶好調に」

「ねーよ。余計荒む」


 やっぱり最終的には雄平と水鈴の夫婦漫才が始まるのだ。夫婦漫才と言ってしまうと水鈴は喜ぶだろうけど雄平には絶縁されかねないから死んでも言えないのだが。例えるならばそんなようなことだ。


「でも、水鈴がいないと張り合いがないのも事実だろう、雄平」

「ねーよ。お前は俺をどうしたいんだ」

「はっ…! 裕貴がかんなちゃんを独占してあやめちゃんの意識をより強く作品制作に向ければアタシと雄平との絡みが撮影される…!? キャーどうしよう気付いちゃったどうしようねえどうしよう雄平!」

「知るか!」

「俺はそれでいいと思うが」

「お前には聞いてねーよ裕貴!」

「雄平、個室とは言え声をだな」

「誰が出させてんだ!」

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