第9話

 ネノンはぼんやりと手を振り返しながら、ふたりを見送っていた。母親が見つかってよかったと思いながら、それでも頭の中は違うことを考えて、ぼーっとしてしまったのだ。

 ハッとしたのは、ハスラットが声をかけてきた時だった。

「ありがとう、ネノン。手伝ってくれて」

「え? あ、う、ううん。わたしは何もしてないし。えっと」

 ネノンは顔の前でぱたぱたと手を振った。そうしてから、咄嗟に続けて何か言おうとした。

 言おうとしてから……それを口に出す前に気付いてしまって、恥ずかしくなって口を閉じる。身体を縮めて、俯いて。ハスラットがよくわからずに首を傾げるのがわかった。

 そうやってネノンがもじもじしていると、ハスラットは首を傾げたままだけど、言ってくる。

「じゃあ、ボクは行くね。帰り道はわかる?」

「あ、うん……大丈夫」

 それならよかったと、ハスラットは手を振った。「またね」と言ってネノンに背中を向けて歩き出そうとする。

 だけどネノンは慌てて、そのジャケットに手を伸ばした。思わずぎゅっと裾を掴んで、彼を引き止めてしまう。

 それはなんにも考えていなかったことで、やってしまったネノンが一番驚いた。慌てて手を離して、思わず少し後ずさる。

「どうかした?」

「えっと……」

 きょとんと聞かれて、また俯いてしまう。

 だけど……なんでもない、とは言えなかったし、言わなかった。

 驚いたけど、引き止めた理由はネノンにもわかっていた。言わなくちゃ、と思っている。なんでもなくない、大事なこと。今言わなくちゃ、もうずっと言えなくなるような、そんな気がしてしまったから。

 いざ言おうとすると、恥ずかしくて、顔が真っ赤になってしまう。緊張して、ドキドキして、笑われないかとか、変に思われないかとか、そんなことまで考えてしまう。

 落ち着こうとして、すーはーと大きく深呼吸する。ハスラットはじっと待っていた。大丈夫かな? と心配そうな顔をしながら。

 だからネノンは、精一杯に大丈夫な顔をして、ハスラットの方を向いた。耳まで真っ赤になっているのがわかったし、不安でいっぱいだったけど、一所懸命に声を出す。

「あのっ。その、前のこと。前に、森の中で助けてくれて」

 そこでもう一回、深呼吸する。自分よりもっと小さな子でもできたことを、自分もやらなくちゃと思いながら頭を下げて。

「あの時、お礼を言えなくて、ごめんなさい……それと、助けてくれてありがとう」

 頭を下げていたし、ぎゅっと目を瞑っていたから、ハスラットがどんな顔をしたのかはわからなかった。恥ずかしくて、緊張して、耳の奥ではものすごい轟音が響いてくるような気までしていた。

 ただハスラットの声は、それでもしっかり聞こえてきた。笑顔の声だった。

「謝らなくてもいいし、気にしなくてもいいのに。助けられたなら、よかった」

 顔を上げると、やっぱり彼は笑顔だった。優しく笑って、頭をくしゅくしゅ撫でてくれた。

 ネノンはそれに安心して、さっきの母親みたいに泣きそうになってしまったけど、ぐっと堪えて一緒に笑った。

「それじゃあ、ボクは行くよ。またね」

 手を振って、ハスラットは行ってしまった。

 きっと、どこかで別の人を助けるんだろう。ネノンはなんとなくだけどそう思って、なんとなくだけど嬉しくなって、自分も歩き出そうとした。

 すると。

「あれ?」

 最初の一歩目が、不思議なことになんにも踏まなかった。

 それどころか、もう一方の足もなんにも踏んでいない。なんにも、地面も踏んでいなかった。見てみれば、ネノンの足元には穴が空いていた。

「ええええぇっ!?」

 驚きながら、ネノンはその真っ暗な穴の中に落ちていった。

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