第7話

 次の日も、また次の日も。

 ネノンは何度も、言おうとする努力だけは続けていた。

 ただ、一度言えなかったせいで二度目はもっと言えないし、三度目なんか全然言えない。四度目も五度目も、余計にどんどん恥ずかしくなってしまう。ハスラットとは少し話ができるようになってきたけど、そのせいでなおさら恥ずかしい気がしてくるし、助けてもらった時のことも話せなかった。

 このままじゃいけない、という気持ちだけが強くなって、家でごろんとしている時でも、ごろごろがじたばたになってしまう。ぽんぽんたちはそのじたばたを上手く避けて、楽しそうに遊んでいたけれど。

「今日こそ言おう!」

 相変わらず布でできた家の中、今日も今日とてネノンはそう決意した。ぐっと腕を突き上げる。木の色をした天井にはちっとも届かないけれど、それくらいの気持ちで。

 握った手の上でぽんぽんが跳ねていたから、それを優しく下ろしてあげてから、ネノンはまた着替えて街へ向かった。

 もう何日連続だろうと、なんとなく考える。ここまでくると、もう珍しいとも思わなくなる。原っぱを通って、下りていくのも慣れてきた。緑色だった匂いが、少しずつ街の、人の匂いに変わっていく感覚も慣れてきた。風と何かの唸り声の中に、人のざわめく声が近付いて、それがどんどん大きくなってくるのも、今では少しわくわくする。ただしまだちょっと、人の往来には慣れなかったけど。

 それでも、それを上手く避けるは少しずつ上手くなっていた。道の端をこそこそっと歩いていく。よく声をかけられてしまう店に近付く時は、隙を見て道の反対側に移動する。人と同じ方向に進みながらなら、それもそんなに難しくないとわかった。

 そんなことをするせいで時間はかかるけど、いつものように町の真ん中、変な像のある噴水にまで辿り着く。あとは近くのベンチに座って、周りに植えられた花を見ながらひと息ついて、また公園の前を通ってハスラットの家に行くだけ。

 ただ今までは必ず、家に着く前に彼の姿を見つけていた。彼は必ず外にいて、そして必ず、困っている誰かを助けているのだ。

 そしてこの日も、やっぱり彼はそうだった。

「すみませーん、誰かー!」

 さてそろそろ行こうかなと、ネノンがベンチから飛び降りた頃。聞こえてきたのは、そんなハスラットの大声だった。

 キョロキョロと辺りを見回すと、いつもの道とは反対の方にハスラットと、彼に手を引かれた、髪をふたつ結びにした小さな女の子が歩いていた。

「誰か、この子のお母さんを知りませんかー?」

「迷子?」

 きょとんとしたのは、ネノン。思わずベンチの陰に隠れてしまい、そっと彼らの様子を窺う。ベンチがガタガタ揺れて、噴水の中からタコの触手のような、揺らめく緑色の足が何本も這い出てくるように見えたけど、今はそれよりハスラットたちだ。

 つれられている女の子は、ネノンよりも年下かもしれない。ぐしぐしと何度も目を擦りながら、時々は泣いてしまっていた。そのたびに、ハスラットが頭を撫でて泣き止ませている。

 そうしながら、彼は大きな声で周りの人たちに呼びかけて、時々はお店の中に入ってまで、女の子の母親を探しているようだった。

 ネノンがまだ、はへーっとしていると、ふたりはそのまま噴水の前までやってきて。

「あれ? ネノン?」

「はへっ!?」

 ベンチの横にしゃがんでいただけだから、ネノンはすぐに見つかった。

「あ、これは、えぇと」

 慌てて立ち上がって、わたわたと手足を振る。自分が隠れていたと知られたら、なんとなく怒られてしまうような気がしたのだ。でもなんて言い訳したらいいかもわからないし、それもそれで怒られるような気がするし、自分でもなんで隠れたのかわからなくて、混乱してしまう。

 なんとなしに噴水の方を見ても、そこにはさっきの触手はなかったし、ベンチもちっとも揺れていない。ちょっとベンチがひっくり返っていて、噴水の真ん中にある像の形が少し変わっていただけだ。

 そんなネノンの混乱を見て、ハスラットは首を傾げていたし、隣の女の子もきょとんとしていた。ネノンは反対にそうした反応を見て、苦笑いして「なんでもないよ」誤魔化した。

 するとハスラットが尋ねてくる。

「そういえば、ネノンはこの子のお母さん、知らない? ルルっていう子なんだけど」

「え? んと……わたしは、あんまり町の人のこと知らないから」

「そっか、仕方ないね」

 ハスラットはそう言うと、女の子を連れて西の方へ行くようだった。まだそっちは探していないらしい。

 「またね」と告げるハスラット。けれど彼が行こうとする時、ネノンは自分でも驚くような行動を取ってしまった。彼の横に駆け寄って、

「あ、あの、わたしも行く!」

 と言ったのだ。

 それに一番驚いたのはネノン自身で、どうしてそんなことを言ったのかもわからなかった。自分は女の子のことを何も知らないし、ハスラットみたいに大きな声で呼びかけるのは恥ずかしいと思ってしまう。それに町の西には行ったことがない。

 それなのに、どうしてか自分も一緒に行きたくなってしまった。ハスラットの姿を見ていて、自分もと思ってしまった。

 彼は少し意外そうな顔をしていた。けれどすぐに笑顔になって、頷いてくれた。

「うん。一緒に探そう」

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