40.ぜひとも縁談など~陸~

 エントランスを抜けると正面の道路に黒のセダンが停まっていた。一目で高級車だとわかる。助手席の外に一人の老人が立っていた。


「天地代表ですね。お待ちしておりました」


 老人は丁寧にそう言うと後部座席のドアを開けた。俺はそのセダンに乗り込む。


「遅いじゃない。1分って言ったのに」


 乗り込むなり文句を言う木田。既に木田は後部座席にいて、腕を組んで深く座っている。清楚なワンピースを着ていて、髪はアップだ。どこの美人だよ……って社長令嬢か。


「あのな、高層マンションで1分は無理だろ。……ってどうした? 顔赤いぞ?」


 隣に座って初めて気づく木田の顔色。髪を上げているので頬がよく見えるのだが、真っ赤である。


「ス、ス、ス、スーツ姿。いいわね……」


 ぼっ。今度は俺が紅潮するのがわかる。あまり褒められるのは慣れていない。特に相手が木田だと、俺に好意を持っていたことを知っているので、意識してしまう。今でもまだ好きでいてくれているのかは知らないが。


「あ、ありがとう。木田も似合ってるよ」


 首を捻って窓の外を向く木田。まぁ、そうしたところで耳が真っ赤なのはバレバレなんだが。このツンデレめ。


 走ること数十分。着いたのは立派な和風建築の料亭。俺と木田は揃って店内に入った。和服の女将さんが丁寧な仕草で迎え入れてくれる。そして豪華な庭園を横目に縁側を歩く。通されたのは広い和室。そこには崇社長と川名さんが既にいた。


「天地代表、お待ちしておりました」


 そう挨拶をしてくれる崇社長の横で、川名さんが立ち上がり丁寧に腰を折った。


「今日はお招きいただきありがとうございます」

「いえいえ。ささ、お座りください」


 崇社長が腕を伸ばし俺の着席を促す。やはりこの人貫禄があるな。

 俺は崇社長の正面に座り、俺の隣に木田が座る。崇社長の隣には川名さんが座った。崇社長と川名さんはビシッとしたスーツ姿だ。

 そして人数が揃ったのを皮切りに料理がどんどん運ばれてくる。崇社長は日本酒も嗜み饒舌になってきた。


「お陰様で株式会社ALOHA電気さんから受注できました。納品はこれからですが、すでにかなりの数の注文を頂いております。工場の方はフル稼働です」

「そうですか。それは良かったです」


 この取引が崇社長を満足させる結果に繋がり、それで娘の顔を立てることができたのなら俺は満足だ。


「ちなみにお伺いしますが……、代表は個人で開業されていますが、会社の設立はお考えではないのですか?」

「会社だと学生のうちはまだ専念できませんし、そうかと言って何人も人を雇う余裕はありませんから」


 これはホテルの一室で木田に話した内容と重なる。今後のことはまだ見えていない。


「家業は継がれないのですか?」

「それは絶対ないです。祖父とはあまりいい関係ではないので」

「それは失礼なことを」

「いえ……」


 確かに聞かれたくないことではあるが、仕事の場でこの質問が出るのは仕方がない。よっぽど今までこのことを話題にしてきた人物はいないが、崇社長はその辺も調べていたから気になったのだろう。


「それでしたら一つご提案があるのですが?」

「何でしょう?」

「高校卒業と同時に会社を設立しませんか? もちろん代表が社長の会社を」

「会社の設立ですか? でも大学にも行くつもりですし」


 そう、学生生活はまだまだ続く。あと約5年半。


 しかしこの後の崇社長の提案は俺を乗り気にした。崇社長の会社が出資をしてくれるそうだ。更に会社に専念できない学生という立場を考慮して、人材も確保してくれるとのこと。

 しかも崇社長は俺の譲れない条件も呑んでくれた。ただ、すぐに決められることではないので、前向きな検討ということにしてもらった。


「会社を設立する場合は、来年4月から準備に取り掛かるのが目安です。今はお陰様で、当社も今回の新製品のことで人材が回せません。恐らく当社の決算月の3月までは難しいでしょう。代表の場合は不動産投資もしておりますので、不動産事務所登録もするべきです。なので資格者の確保も必要です。それで1年間準備を進めて高校卒業と同時に開業するのでいかがでしょう?」

「わかりました。でしたら年明け早々には意思決定をして、お返事します」

「えぇ、よろしくお願いします」

「お父さん、本当に随分と天地君を買っているのね」


 横で聞いていた木田が言う。恐縮なことに、木田が言うように崇社長から俺に対してその期待が感じられる。


「当たり前だ。これだけできる人物だぞ。しかもまだ17歳で将来が長い。できることなら自分の手で大事に育てたいと思うではないか」

「恐れ多いです」


 俺は深く頭を下げた。そして話題を転換する崇社長。


「代表、碧はいかがですか?」

「えぇ、学校でも凄く良くしてもらって感謝しています」

「それでしたら、ぜひとも縁談など」

「……」


 そう来たか。それは困ったな。本当に5月の時、婚約させるつもりだったのか。横目にチラッと木田を見てみると……あぁ、ほら。また顔を赤くしちゃった。けど俺には紗奈という最愛の人がいる。その話は受けられない。


「誰か他にいい関係の人でも?」

「えぇ、まぁ」


 ここはもう嘘は吐けない。同棲生活決まり事は俺の仕事は免責だし、仕方がない。しかし俺が肯定した瞬間から、隣からの視線が痛い。


「もしかして日下部さん?」

「うん、まぁ。今月からだけど付き合ってる」

「そっか……」


 あからさまに落胆の表情を見せるし。本当にごめん、木田。まだ俺なんかのこと想ってくれていたんだな。


「そうでしたか。それは残念です。アシスタントの彼女ですか。しかしお仕事の能力が高い方がお相手なら心強いですな」


 フォローをしてくれる崇社長。本当に崇社長もごめんなさい。けど社長、それは娘に対してはフォローになっていないよ? 俺から見た紗奈との差をはっきり告げているようなものだよ? まぁ、俺は仕事で紗奈に惚れたわけではないが。

 その空気に気づいたのか川名さんが明るい話題を振ってくれた。さすが仕事のできる人は空気もしっかり読めるね。おかげで場の空気はすぐに持ち直したよ。

 しかし、川名さんって本当に美人だなぁ。女子アナにいそうなくらい清楚だし、バリバリのキャリアウーマンって感じだ。実際にそうなのだろうけど。


 この後は滞りなく会食が進み、お開きとなった。時間は夜の8時。俺は来た車で送ってもらえることになった。来た時同様木田も乗り込む。


「それでは会社設立の件、時間はまだありますが、ぜひご検討下さい」

「はい。今日はありがとうございました」


 発車前の車の窓を開けて崇社長と言葉を交わす。そして運転手の老人が車を出すと、俺は窓を閉めた。それを見計らって口を開くのは木田だ。


「天地君、少し時間いい?」

「ん? どうした?」


 どこかに行くのだろうか? そう言えば5月の時もこの時間からホテルの客室に連れ込まれたのだっけ。木田は8時から女かよ。


「バーラウンジ行かない?」

「ん? それって酒飲むとこだろ?」

「お酒は出してもらわないわ。お父さんの会社で懇意にしている店よ。個室もあるわ」

「そっか。じゃぁ、ちょっとなら」


 すると木田は運転手に行き先の店を告げた。俺は学校の森永先生に法に触れることはするなと釘を刺されている。そりゃ、飲酒はまずいよな。


 店にはすぐに着いた。お洒落で高級感のある内装だ。個室は広く、ゆったりしたソファーが2脚ずつ対面に、合計4脚並べられている。会社懇意の店とは言え、高校生の木田がよくこんな大人な店を知っていたものだ。

 対面で座る俺と木田の間のテーブルに、ノンアルコールのカクテルが二人分置かれた。一口舐めてみる。


「甘っ!」

「ふふ」


 その様子を木田が笑って見ている。俺はどちらかと言うと甘党だが、これほど甘いとは思わなかった。まぁ、飲めないことはないが。


「さ、本題に入りましょうか」

「ん? 本題?」

「日下部さんのことよ」

「あぁ、その話題になっちゃうよね。やっぱり」

「当たり前でしょ」


 会食中も木田はずっとそれが気になっていたのだろう。


「梨花じゃなくて紗奈だってよくわかったな」

「仕事のアシスタントだから。手繋ぎデートもして、一度噂になったからね」

「まぁ、そっか。その時は本当に付き合ってなかったんだけどな」

「そう」


 木田が一度カクテルを口運ぶ。美人で清楚な服を着ている木田、絵になるな。髪型もそうだけど、今日は化粧もしているし。


「どっちから?」

「うーん……。どっちからと言うか、お互いに気持ちぶつけ合っちゃって、それでみたいな」

「何よ、それ。私最初から勝ち目なかったじゃないの」

「そんな卑屈になるなよ。木田のこと、すごく魅力的だとは思ってるんだから。木田なら男寄ってくるだろ?」

「そう思ってくれるのは嬉しいけど、それでも天地君は惚れてはくれないでしょ? それに好きでもない男に言い寄られても心は揺れないの。好きな人にこそ好かれたいの」

「……」


 本当に恐れ多い。なんでこんな美人が俺なんだ。しかも振った後も2カ月、まだ想い続けているし。


 この後も木田は紗奈とのことを聞きたがった。とは言えまだ付き合って2週間だし、付き合ってからのネタなんて知れているのだが。それに俺を想ってくれているのなら、紗奈とのことを聞いても辛くなるだけなのではないだろうか?


 そうして話していると時間は刻々と過ぎる。木田は何杯も追加を頼んでいる。ノンアルコールとは言え、よくこんなに飲めるものだ。俺は舌にくどくて無理だ。


「木田? もう9時半すぎてるぞ?」

「えぇ、そうなのぉ?」


 なぜこんなに甘ったるい声を出す。顔は少し赤いし。目はトロンとしているし。


「……」

「……」


 まさか! 俺は木田の前に置かれたカクテルを舐めてみた。


「ほっ」


 俺の不安は杞憂に終わった。ちゃんとノンアルコールだ。まぁ、万が一サッカー部のマネージャーが飲酒なんかしていたら不祥事以外の何ものでもないからな。


 バタン。


 げ……。木田がテーブルに突っ伏した。俺は慌てて木田の隣の席に移動した。


「木田? 木田? 起きろって」


 俺は木田の肩を揺すってみる。すると木田が勢いよく俺の腕を掴んだ。その体勢はあらぬ誤解を与えるから止めてくれ。


「天地君離さない。大好き。すぅ……、すぅ……」


 嘘? その体勢で寝るの? どうしよう。マジでやばい。そろそろ高校生は店を追い出される10時なんだが。俺は途方に暮れた。

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