第四章 真相

第64話 知られざる過去

 湿ったカビの臭いを引き連れて、冷たい風が吹いてくる。

 どこからか水滴の落ちる音が聞こえ、地下牢は異様な静けさに包まれていた。


 空気を取り込む小さな小窓しか空いていない四方を塞がれた牢獄の中、苦しげな息遣いを繰り返しているリガルナは、顔を俯かせて壁に縛り付けられている。

 両手両足を鎖に絡め取られ、襟元には彼の魔法を封じる為に施された逆十字が取り付けられていた。


――“魔物には魔物に相応しいものを”


 以前、この時のためにとセトンヌがそう命じて作らせた悪魔崇拝を表すその逆十字には、多くの人々の皮肉が込められている。


 意識を失ったままのリガルナは、傷の手当てすら粗末な扱いを受けてギリギリのところで生かされている。そんな状況だった。


 ただ苦しげな呼吸を繰り返すリガルナの前に、銀狼は静かに佇んでいた。

 檻の外からじっと彼の姿を見詰めている銀狼は、どこか寂しくも優しげな眼差しをしている。


『……本当に、大きくなったものだ』


 あの時……。それは、12年前の死山のふもとで行き倒れていたリガルナと初めて会った時だ。生きる希望を失い、ただ死に急ごうとする彼を思い止まらせたあの時の事が思い出された。


 銀狼はふっと瞼を閉じ頭を下げる。


『お前が我々と人間との架け橋になってくれると、望みをかけたのだがな……』

「……それは、どういう事ですか?」


 呟いたその言葉に反応があった事に驚いて背後を振り返ると、ランプを手に立っていたマーナリアの姿があった。


『巫女殿……』

「すいません。聞くつもりはなかったんです。ただ、リガルナの様子を見に来たら聞こえてしまって……」


 申し訳なさそうに謝るマーナリアに、銀狼は彼女を見据えふっと笑う。


『そなたの婚約者はどうしたのだ?』

「無理をして駆けつけて来てくれたので、今はまた横になっています」

『……そうか。では、場所を移そう。どこか人気の無い場所に案内しては貰えないだろうか?』


 マーナリアは不思議そうな表情を浮かべながら銀狼と共に地下牢を後にして、宮殿の今は使われていない個室へと案内する。


『ここは?』

「ここは宮殿の物置部屋です。余程の事が無い限り、ここへ人が来る事はありません」

『……そうか』


 2、3歩歩くと、足跡が転々と残るほどに埃が積っているこの場所なら大丈夫だろう。

 銀狼は部屋の中に入り、ゆっくりと振り返るとマーナリアを見詰めて腰を下ろした。


 用心深く、銀狼はマーナリアを見詰めていたが、やがておもむろに口を開く。


『……そなたの質問に、答えてやろう』

「え……?」

『そなたは聞いたな? ワシが何者なのかと』


 鋭く尖った獣らしい眼差しで真っ直ぐにマーナリアを見詰める。

 マーナリアはそんな銀狼を見詰め返し、小さく頷き返した。


『……ワシの名はルイン。ルイン・エルダーリッシュ』

「ルイン……?」


 確かめるように訊ね返すと、銀狼――ルインは小さく頷き返した。


『ワシは、エルフ族の長だった』


 その言葉に、マーナリアは驚いたように目を見開く。


「エルフ……。もう、魔物と同じく随分昔に絶滅したと……」

『魔物か……。人間は一つ誤解をしておるな。そなたの言う“魔物”とは、我々エルフ族のことを指しておる』


 ルインは頭を目を閉じて頭を下げる。すると赤い光りが体を包み込み、それはやがて一人の人の姿を象った。


 赤く長い髪に、同色の瞳。そして細く尖った耳……。


 その姿は、まるでリガルナがそのままそこに立っているかのような錯覚に陥るほど、二人は同じ姿をしていた。

 ただ一つ違うのは、今、目の前に立っているルインは“女性”と言う事だ。


「リガ、ルナ……?」


 驚いたように固まってしまったマーナリアを前に、ルインはふっと微笑む。だが、その眼差しは鋭くはあってもリガルナのような殺意に満ちた凶暴なものではなく、とても暖かく優しいものだった。


『驚くのも無理はなかろう。あいつは――ワシの子だ』


 マーナリアはその言葉に思わず眉間の皺を寄せた。


 記憶の食い違いに思わず眉をひそめるマーナリアに、ルインはくすくすと笑い目を細める。


『疑問であろうな。だがそなたの知る事実に相違は無い。あやつを腹を痛めて産んだのは間違いなく、ごく普通の人間の女なのだから』


 返す言葉も無く、呆然と立ち尽くしているマーナリアに、ルインは射竦めるような眼差しを向けてニッと笑った。


『話せば長くなる。話しても構わぬだろうか?』


 そう言うと、マーナリアはゆっくりと首を縦に振った。

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