第59話 真の理解とは……

「……来ましたな」

「……」


 強張ったような表情をしたグルータスが、マーナリアの隣で重々しく呟く。

 二人は宮殿の南側に位置する大広間のバルコニーからリガルナの様子を注意深く見ていた。

 強力な結界を張ったと言うのにたった一人、一つの腕だけで破ろうとしているリガルナの姿に、マーナリアの表情は緊張感に包まれている。


 城下には、グルータスの指示により何百人もの兵士をあちらこちらに配備している。彼が防護壁を破り門を少しでもくぐろうとした瞬間、問答無用の総攻撃を仕掛ける手筈になっていた。


「……」


 マーナリアはぎゅっと手を握り締め、切なげに瞳を閉じた。


 もし入ってきたら、彼はどうなってしまうだろう。これまでも幾つもの国や町を潰してきた実力を持っているのだ。もしかしたら壊滅させる事など容易かもしれない。


「マーナリア様。奴がここへ入り込む前に一つ確認したいのですが……」


 その問いかけに、閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げた。そして隣に立っているグルータスを見上げると、彼は真剣な表情でこちらを見ていた。

 グルータスのその表情にも、複雑な心境が読み取れる。

 彼もまた、マーナリアが長い間思い悩んでいた過去の過ちを理解してくれた一人なのだ。


「奴を捕らえてどうなさるおつもりですか?」


 その質問に、マーナリアは瞬間的に息を吸い込んだ。

 軍隊には彼を殺さずに、生きたまま捕縛するようにとあらかじめグルータスを通じて全部隊に伝えてある。


「私には……果たさなければならない約束があるんです」

「果たさなければならない約束?」

「えぇ。これはどうしても譲れません。だから、何があっても彼を生きたまま捕らえて下さい」


 真っ直ぐにグルータスを見据えたままきっぱりと言い切ると、彼は疑問に顔を顰めながらも深く頷き返す。


「……分かりました。必ずや」


 そうグルータスが口にした瞬間、眩い光りが辺り一帯に広がり、同時にガラスにヒビが入るような音が響き渡った。

 マーナリアたちは弾かれるようにそちらに目を向ける。


 いよいよ、防護壁が砕かれる……。


 そう感じたのは二人だけじゃなく、町に潜んでいる兵士達や騎士団たちも同様に察知して身構えた。




 バリバリと激しい電流と爆風に煽られながら、後もう少しで打ち破れるところまできた。

 リガルナは持てる力を全てその歪みに注いで防護壁を歪な形に曲げると、逆の手に生み出した風の魔法を発動する。

 轟々と逆巻く小さな竜巻上の風の塊を、リガルナは思い切り歪みに叩きつけた。


「はぁああぁぁ――っ!!」


 その瞬間、大地を揺るがすが如く凄まじい爆発が巻き起こり、レグリアナに張られていた結界はまるでガラスを割ったかのような大きな音を立てて粉々に砕け散った。


 後に残された追い風にバタバタと煽られ、リガルナは肩で息を吐きながらも、その視線は真っ直ぐに宮殿を睨み上げて立っている。

  防護壁が打ち砕かれ、宮殿にまで及ぶ爆風をその身に受けながら、マーナリアはかち合うはずのないリガルナの視線にゾクリと寒気を覚え、思わず窓辺から一歩後ろに下がった。



 あの殺意は――本物だ。



 初めて自分に向けられたハッキリと伝わってくる殺意に、マーナリアの顔は青ざめて体は自然と打ち震える。


「マーナリア様!」


 今にも倒れそうになるマーナリアに手を差し伸べてきたグルータスだが、マーナリアはその手を取らずきつく体を抱きしめ、ぎゅっと下唇を噛んだ。


 意識を集中していなければ、あの殺意を前に倒れてしまいそうだった。だが、怯えてはいられない。逃げも隠れもせず、アレアとの約束を果たすために立ち向かわなければ……。


「だ、大丈夫です……。宮殿に配備している騎士団や兵士達に、戦闘配置に付くよう伝達を」

「は、はい」


 ようやく下した命令に、グルータスが急ぎその場から立ち去った。




 閃光と風が落ち着き始め、人がいなくなった室内でマーナリアはその場にへたり込む。

 自分の命を投げ出しても伝えなければならないアレアの想い。

 あの殺意を前に、自分はその想いを本当に伝えられるのかどうか自信がなくなってしまった。


「そうすると決めたのに、私……」


 体を抱きしめていた手を見下ろすと、震えが止まらない。


『怖気づいたか? 巫女殿』


 その言葉にハッとなって顔を上げると、暗がりに銀狼の姿があった。

 静かに座ったままこちらを見ている銀狼に、マーナリアは小さく笑いながら視線をそらす。


「……私、命を脅かされる怖さを初めて知りました」

『良い。それが人間と言う物だ。だが、よく考えてみよ。あいつは今そなたが感じている恐怖を、これまで否が応にも一心に浴びせられ続けてきた。今ようやく、そなたにもあいつの気持ちが分かっただろう?』


 その言葉に、マーナリアはハッとなり静かにこくりと頷いた。


 分かっているようでありながら、何も分かっていなかった。

 人は、相手と同じ境遇に立たなければ分かったような気持ちになるだけで、本当に理解したとは言えないのだろう。

 例えそのつもりがなくても、分かっていると甘い言葉で近づいて油断させ、突き放された相手の心はズタズタになって当然だ。


 自分は、彼の事を何も分かってなどいない……。


『あいつはいずれここに来る。だからワシはここであいつを待つとしよう』

「……あなたは、何者なんですか?」


 マーナリアの問いかけが、城下で始まったリガルナと兵士達の戦いの音と混ざり合う。

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