第54話 アレアの想い

 冷たい室内。窓という窓はなく、風が通らない部屋の奥に死山から運び込まれたアレアの亡骸が、古びた木製のベッドに横たわっていた。


 マーナリアがゆっくりとアレアに近づき、その表情を覗き込む。


 ほっそりとしたか細い印象を与えるまだうら若き少女。胸の上で手を組み、眠るようにその瞼を閉じている顔はとても穏やかだった。

 マーナリアはアレアのその姿を見て、彼女の傍らに崩れるようにして座り込む。



――リガルナは、彼女のことをとても大切にしていた……。



 アレアのその姿を見ればそれが痛いほどに伝わってくる。

 死して尚、そばに置いておきたいと願うほど大切に氷の棺に包んだ彼女の存在。 銀狼が言ったように、確かに二人は心を通わせていたのだろう。


 このアレアとの別れが、彼を暴走させたのだと思うとやりきれない。


「リガルナ……あなたの大切な人を奪ってしまってごめんなさい」


 ポロリと零れ落ちる涙もそのままに、謝ってもどうしようもない事を知りながら、サルダンに変わって謝罪の言葉を口にした。

 マーナリアはその場に立ち上がり、そしてそっと手を氷の棺に伸ばして触れると、ふっと氷が淡い光の反応を示す。


「あなたの言葉を私に聞かせて下さい。あなたに代わって、私がリガルナへ届けます」


 静かな口調でそう呟くと、アレアの体がそれに呼応するように仄白く光り、一筋の靄のように空中に立ち上がった。そしてそれはユラリと大きく揺らめくとアレアと同じ姿を象ってその姿を表す。

 マーナリアがアレアを見つめると、アレアもまたどこか寂しげに表情を曇らせたまま見つめ返してきた。


「……あなたとお話がしたくてここへ招きました。突然でごめんなさい」


 そう言うマーナリアの言葉に、アレアはゆるゆると首を横に振った。


「あなたの名前を教えてくれますか?」

『……アレア・グリーチェ……』

「そう。アレア。あなたには、何かやり残した事があるのですね?」


 マーナリアの静かな言葉に、アレアはゆっくりと首を縦に振った。その様子を見届けたマーナリアもまた納得したように一度頷くと質問を続ける。


「あなたはリガルナと、どう言う関係でしたか?」

『あの人は、絶望の淵にいた私を救ってくれました……。あの人は、私以上に絶望の中にいたのに……』


 ポツポツと語るアレアの残留思念。マーナリアはその言葉を一つ一つしっかりと聞き止める。


「……あなたを、このような姿にしてしまったのは、私の国の者ですね?」


 事実確認も踏まえてそう問い返すと、アレアは躊躇いがちにもゆっくりと首を立てに振った。


『……でも、私、恨んでません。リガルナさんと過ごす時間が予定より短くなってしまった事は残念でした。けど、私、こうなったことを恨んでません……』


 その言葉を聞き、マーナリアは驚いたような目を向ける。

 大切な人と永遠に別れなければならなくなった原因があると言うのに、彼女は恨んでいないという。その言葉にはとても深い慈愛の心を感じられた。その心は、なまじ普通の人間では持てない感情だと思うと、どうしてもその理由を聞きたくなる。


「なぜ、恨んでいないのですか? 我々はあなたを、あなたの大切な人から無理やり引き剥がしたんですよ?」


 その問いかけに、アレアは困惑したような顔を浮かべつつも、はにかんだような笑みと共に穏やかな口調で話し始めた。


『……確かにそうなのかもしれません。でも、私はリガルナさんに出会ってからとても幸せでした。全盲だった私に光を与えてくれた。普通の人が当たり前にある、“見る”と言う事を諦めていた私に、あの人はその“当たり前”を与えてくれたんです。私、大好きな人を自分の目で見る事が出来て本当に幸せでした。……それに、どちらにしても、私の命は長くは持たなかったんです』


 それまで幸せそうに微笑んでいた表情にふっと陰りを見せると、アレアは自分の両手を胸の前に引き寄せてその手を握り締めた。そして瞳を閉じ、まるで確かめるように口を開く。


『命を落とす原因が何であれ、私はあの人と生きた時間、そして最期の瞬間にあの人の腕の中で、あの人の暖かさを感じながら逝けた事が幸せでした。だから、恨んだりはしません』

「……」


 15年程の年月しか生きられなかった少女の語る言葉とは思えないほど、アレアの言葉には重みがあった。その言葉の重みは、彼女がそれまで生きてきた人生がどれほど過酷なものだったのかを伺える。並の生活を送っている人間にはとても語れない深さがあった。そしてそれを悲観することなく、前向きに捉える彼女の芯の強さも伺える。


 そんな彼女を前に、マーナリアは自分がどれだけ恵まれた環境の中で育ってきたか、彼女の歩んできた過酷な人生を前に、それを痛感してしまう。


 言葉を無くしたマーナリアに対し、アレアは責める訳でもなくゆっくりと閉じていた瞳を開いて言葉を続ける。

 その表情は酷く寂しそうだった。


『私が心の残りに思っているのは、あの人にちゃんとお礼もさよならも言えなかったことです。それに何より、これ以上傷を負って欲しくない……』


 意味深な言葉に、マーナリアは不思議そうな表情を浮かべる。そんなマーナリアをアレアは真っ直ぐ見つめ返してきた。


『私、あなたの大切な人を助けます。だから、私の大切な人を助けてください』


 アレアのその言葉に、マーナリアは目を瞬いた。そして差し出された手を見つめると、その手にはキラリと光る小石のような物がある。


『これをあなたの大切な人に飲ませてあげてください』

「……」


 マーナリアはそれを受け取ると、もう一度彼女を見上げる。すると彼女はふわりと柔らかな笑みを浮かべて、しかしどこか切なげにこちらを見つめ返してきた。


『あの人と、話がしたい……』

「え?」

『リガルナさんと、話がしたい……。ちゃんと、さよならを言いたい……。だから、あなたの体を貸してくれませんか?』


 寂しげにそう言ったアレアは、風に掻き消えるようにふっと姿を消した。

 呆然とアレアのいた場所を見つめていたマーナリアは、しばらくの間その場に留まっていた。が、目の前で横たわり静かに眠るアレアの顔を見つめ、きゅっと唇を噛み締めながら小さく頷いた。


「分かりました。あなたのその願い、私がきっと叶えます。それが私が彼にできる、精一杯の罪滅しですから……。それと、ありがとう……」


 もう触れても反応を示さない氷の棺を見つめ、手の内に残ったアレアから受け取った宝石のような小石をそっと握り、マーナリアは部屋を出た。

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