第37話 一人は怖い

 ピタン……ピタン……と、遠くで水の落ちる音が響く。

 岩の上に寝かされていたアレアは、その水音に意識を取り戻しゆっくりとその瞼を押し開いた。


 アレアはゆっくりと体を起こすと、自分の傍に誰もいない事に気がついた。


「……リガルナさん」


 小さな声でリガルナの名を呼ぶが、返事はない。

 久し振りに発作を起こしたせいか、傍に誰もいない事で急に心細さを覚えたアレアは一瞬泣きそうな顔を浮かべる。


 言いようの無い不安と孤独感……。恐怖に似た怯えを抱いてアレアはぎゅっと服の裾を掴んだ。


 その時ふと、アレアはリガルナが近くの巨木のウロで雨を凌いでいる事を思い出し、洞窟の外へと向かって歩き出した。


 外は雨だった。

 にわか雨と言うレベルの雨ではなく、全身ずぶ濡れになるほどの雨。まだ夜深く辺りは真っ暗で、洞窟の入口近くにある崖がどこから始まっているのかも分からないほど暗い。


「リガルナさん……リガルナさん!」


 洞窟の入口でリガルナの名を呼ぶアレアだったが、雨脚は更に強まり雨の音でアレアの声は掻き消される。


 こみ上げてくる寂しさに耐え切れず、アレアの頬に涙が伝い落ちた。

 これじゃあまるで、寝起きに母親の姿が見えず泣き出す小さな子供と同じだと、そう思いながらも涙が止まらなかった。


「リガルナ、さん……っ」


 零れ落ちる涙を拭いながら洞窟の入り口に座り込んでいると、雨音の中にパシャリと水溜りを踏む音が聞こえ、アレアはパッと顔を上げた。


「……お前」


 小さく呟いた言葉だったが、その言葉さえも聞き取ったアレアはその場に立ち上がり、弾かれたようにその場から駆け出して正確にリガルナの胸に飛び込んでくる。


「リガルナさん!」

「!」


 ギュッと抱きついて、リガルナの温もりを感じ取るアレア。そんな彼女の肩に手を置く事を躊躇いながら見下ろしていると、ようやく落ち着いたように身体から力を抜いた。


「良かった……」


 強い雨脚で降り注ぐ雨の中、もうすでに二人ともずぶ濡れになっていると分かっていながらもリガルナはアレアの肩を軽く押し返す。


「離れろ。濡れる……」

「いいんです。私、こうしていたい」

「……」


 リガルナの胸元に顔を埋めるようにしてしっかりと抱きついて離れないアレアに、リガルナは困惑していた。だが、このまま雨ざらしになっているのは良くないと、食料をアレアに持たせて彼女の体を抱き上げて洞窟まで戻る。


「焚火を作る。その間離れろ」

「嫌……」


 互いにびしょ濡れで、急いで着ているものを乾かそうと思っても、アレアはさらにきつくリガルナの体に抱きついた。


「不安……なんです」

「……?」

「私、凄く不安なんです……一人が怖い……」


 顔を上げる事無く、ポツポツと語るその言葉がかすかに震えているのは、雨に打たれて体が冷えているからなのか、それともあふれ出す感情を抑えきれずにいるからなのかは分からなかった。


「一人で死ぬのは、怖いんです……」

「!」


 アレアの口から発せられたその言葉に、リガルナの背筋にゾクッとした寒気が走った。


 一人で死ぬのは怖い。その一言に、アレアは自分の死期を悟っているのではと思わされ、リガルナは言葉を完全に失った。


 視線を落とし、覗き込むようにしてアレアを見ればいつかのように顔色が悪い。眠っても、血色は悪いままだった。

 固く閉ざした瞼が開かれる事はなく、髪から伝い落ちる雨がまるで涙のように幾筋も、青ざめた彼女の頬を流れていく。


「一人は嫌です。だから、私の傍に居てください。ずっと……」

「……何を言ってるんだ」


 演技でもない事を……。


 そう口にしようとした。傍に居て欲しいと願うアレアの気持ちは痛いほどに分かる。かつての自分もそうだった。誰でも構わないから傍に居て欲しいと強く願っていた。それが今、自分が乞われる立場に立たされて、ただ戸惑っていた。


「あなたの傍で……この温かさを感じる場所で逝けたら……」


 その一言があまりにも辛い胸の痛みを呼び寄せる。

 思わずその体を抱き寄せようと無意識にも動いていた手だったが、抱き寄せられずにいた。


 この手はもう、多くの人の血に染め上がり、誰かを抱き寄せるためにある手ではない……。


「………」


 リガルナはこんな時でさえ、彼女を受け止めきれないで居る自分に歯痒さを覚え、さ迷っていた手をギュッと握り締め、瞼を閉じる。

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