第7話 生かしてはならない

 目の前に立ち尽くす老婆の恐怖に満ちた姿は、とても尋常ではなかった。全身を打ち震わせ、立っている事さえままならないように見えた。


「迷わずに殺すのだ。その子は災いを呼ぶぞ。おぬしらだけではない、この世界全てを飲み込む災いだ」

「ど、どう言う事ですか……」


 トーマスは自分の耳を疑い、怪訝に顔を歪めながら真相を確かめるかのように老婆を見る。

 老婆はそんな彼に対し、努めて冷静に淡々とした口調で話し始めた。


「良いか。おぬしらの子供は魔物だ。赤き魔物だ。16の誕生日の夜にその子が人を殺す事件が起きる。それは災いの序章でしかない。良いか忘れるな。この事件は必ず起こるだろう。そうなる前に息の根を止めるのだ」


 老婆は恐怖に怯えたかのように目を見開き残酷な一言を繰り返し呟く。


 何を言っているのか簡単には飲み込めないトーマスは、理解しがたいその言葉に憤りを感じ、呆れたような笑いすら起きる。


 デタラメなことを言って人の恐怖心を煽ろうとするとは、何と性根の悪い老婆だろうか。そう思いはするものの、心のどこかでは彼女の言う言葉に引っかかる部分を感じていないわけではなかった。ただ、その引っかかりから目を背けたい一心でトーマスは老婆を見る。


「ちょ、ちょっと待って下さい。そんな、突然まくし立てるように自分の子供を殺せだなんて、度の過ぎた暴言だと思いますよ。僕の事を何だと思ってるんですか。僕は子供の親です。親が自分の子供を殺すなんて事、出来るわけ無いでしょう?!」


 しかし老婆はトーマスの言葉にはまるで耳を貸そうとはしなかった。ギョロギョロとした眼を開き、困惑しているトーマスの鼻先に指を突き付ける。


「ならぬ! 必ず息の根を止めろ! そうしなければおぬしら諸共全て闇に飲まれ消失する事になるぞ。今の内に災いの芽を摘まなければ、取り返しの付かない事になるのだ」


 決して自分の意見を曲げようとしない老婆に、さすがのトーマスも感じていた苛立ちを抑えきれなくなってきた。


 自分たちがどれだけ血の通った子供を欲しがっていたか、この老婆に知るはずもない。何も知らない赤の他人にここまで言われる筋合いがどこにあるだろうか。しかも、彼女は「人殺しになれ」とそそのかすばかり。人の子供を悪魔だ魔物だと、よく言えたものだ。


 トーマスはぎゅっと拳を握り締める。


「ふざけた事を言わないで下さいっ!」


 こちらの言葉などまるで耳を傾けようとしない老婆に、トーマスは怒りを露にその場に立ち上がった。目の前で自分を睨み上げる老婆に対し、トーマスもまた睨み返す。


「あの子は、リガルナはやっと僕達の間に生まれた大切な子供なんです! ずっと子供が出来なかった僕達にやっと授かった子供なんですよ! その子をどうして殺せると言うんですか!! 何も知らないクセに、勝手な事ばかり言わないで下さいっ!」


 息を荒らげ、彼にとって人生で初めて怒鳴った瞬間だった。しかし、老婆は尻込みをする事もなく食い下がる。


「いや。そなたが何と言おうとこれだけは譲れぬ。子供を殺せ。殺すのだ! さもなくば世界は闇に飲まれる」

「いい加減にして下さいっ!」


 トーマスの声が更に大きくなっていた。握り締めた両方の拳が微かに震えるほどだった。

 そんなトーマスに臆する事もなく見上げていた老婆の目が、突如としてキュッと細くなる。そして彼女が知らないはずの情報が静かにその口から出た。


「では聞くが、おぬしらの子供はなぜ髪と目が赤いのだ? なぜ、耳が尖っておるのだ?」

「……っ!」


 トーマスは瞬間的に言葉に詰まった。どうして知らないはずの息子の詳細を知っているのか。何もかも見透かされているような気持ちに包まれ、何か反論したいのに言葉が出てこない。


「おぬしらも気付いておらぬわけではあるまい。子供の容姿が普通のものとは違いつつある変化の段階から知っておったはずだ。それを今まで見て見ぬ振りをし続けた。結果、今は自宅軟禁の生活を強いらせておるのだろう? 違うか?」

「そ、それは……」


 完全にこちらの状況を把握している。まるでそれは、これまでの生活を間近で見てきたかのような明確さを秘めていて、反論する余地もなかった。

 黙りこんだトーマスに老婆は目を細めると、低い声で言葉を付け足す。


「古くから伝わる魔物そのものを表す赤は、今の時代をもってしても忌み嫌われる不吉な色。鋭く尖った耳は魔物を表す一つの象徴。おぬしもそれを知らぬ訳ではないだろう?」


 何もかもを言い当てられ、トーマスに返す言葉がなかった。そんな彼を睨むように見ていた老婆は、今一度、淡々とした口調で同じ事を繰り返す。


「良いか。必ず始末するのだ。災いの目は早い段階で摘んでおかなければならない。それが今後のおぬしら夫婦の為でもあり、世の中の為でもある。今は何もなくとも、今わしの伝えた惨事は必ず起こることだろう。16の誕生日を迎える前に殺せ。必ずだ。それがおぬしに出来るおぬしの子供への愛情だと思え」


 老婆は念を押すかのようにそうトーマスに言い聞かせた。

 




 トーマスはその帰り道、重い足を引き摺るようにして歩き朦朧とする頭の中で葛藤を繰り返していた。


 リガルナを殺すか……殺さないか……。災いなど本当に起きるのか、起きないのか……。


 先の見えない自問自答を繰り返していた。


 老婆の言う通り、変化に気づいていないわけではなかった。今となってはもう表を歩かせること事態が恐怖で、自宅軟禁を強いらせてしまっている事もズバリ当てられた。

 殺せと言われ、出来るわけがないと声を張り上げても心のどこかでそうなのかもしれないと、やけに納得している自分も否定できない。


 殺すか、殺さないか……。


 答えの見えない自問自答を繰り返しながら、トーマスはふいに足を止めて呆然としてしまっていた。

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