第2話 赤き魔物

 聖殿暦2468年、初冬。

 この世で一番大きく、また美しいと称えられている巨大国家、レグリアナは先祖代々女性が権力を握り続け、王として君臨する事が当然のように続いている。古くから続く大国であるが故に、大地にもその名が使われるほどに大きく、古い歴史と権力を握っていた。

 全てを見渡すような先見力、そして神の声を聞く事が出来る王女であり巫女である女性の存在……。それらがこの国の誇りと名誉を保ち続けているのだった。


「また一つ消えたか……」


 謁見の間で、遠征に出ていた兵士からの報告を聞いて目を細めるエレニア。彼女が現在のレグリアナ王国の女王である。

 ゆらゆらと揺らめかせていた扇を逆手のひらに叩きつけるかのようにパチンと勢い良く閉じ、深く溜息を吐き出す。


「このところ、続いておるようじゃな」


 目を細め怪訝な表情を見せながら呟くエレニアのその問いかけに答えたのは、傍に控えていた大臣、グルータスだった。

 グルータスはたっぷりと蓄えた白銀の顎鬚を撫で付けながら低く唸る。


「誠に。この度の一件も、赤き魔物の仕業であることは一目瞭然ですな」

「またあやつか……。全く、あの時わざわざ見逃してやった恩を仇で返してきおった。のう? マリア」


 エレニアは不機嫌そうに眉根を寄せ、呆れたように溜息を吐きながら後方の座席を横目に振り返る。そこには静かに玉座に座り、顔を上げることもなく困惑に顔を歪め、手元に視線を落していた少女の姿があった。

 視線を向けられ、どこか悲しそうな表情をして俄かに顔を上げた彼女は、この国の王女でありまた巫女として崇められているマーナリアと呼ばれる女性だった。

 マーナリアはかち合ったエレニアの視線から逃れるように、再び視線を手元に落す。


「マリア。そなたがどれだけ甘かったか、これで分かったであろう」

「……」


 エレニアの問いかけにマーナリアは答える事無く、ただ静かにそっと目を閉じた。その様子に、エレニアは嘆息を漏らすと再び前に向き直り、エレニア達の座っている場所からへりくだった場所に跪いている兵士を見やる。


「わざわざご苦労であった。もう下がって良い」


 許可を得た兵士は更に腰を折り深く礼をすると、謁見の間から立ち去った。


「あれをここへ」


 兵士が立ち去ったのを確認し、エレニアはある人物を呼び寄せる。

 誰と言われずとも、すぐに理解したグルータスは一度腰を折ってその場を離れ、ほどなくその人物を連れて現れる。

 長身の、細身ながらその体つきはしっかりとした精悍な顔立ちの男。薄紫色の短い髪に緑色の瞳をしたこの男は、この国の年若い騎士団長としての地位を任されているセトンヌと呼ばれる男だった。


 セトンヌはエレニアとマーナリアの前に跪くと恭しく頭を垂れる。


「お呼びでしょうか。エレニア様」

「うむ。セトンヌ。朗報だ」

「朗報……?」


 不思議そうに顔を上げて聞き返したセトンヌに、エレニアはニヤニヤとほくそえんだ。


「そなたの仇名す者がその姿を現しおった」

「……赤き魔物が?」


 仇名す者。その言葉に瞬間的に険しい表情を見せたセトンヌの眼差しは、緊張と動揺に揺れている。そんなセトンヌを見やり、エレニアは満足そうに微笑んだ。


「先ほどの兵士の話では、おそらく間違いはないだろう。奴は一夜にして町を消滅させるほどの実力をつけておるようだ。……あの日、あやつを逃した事をそなたも悔いておるのだろう?」


 エレニアの問いかけに、セトンヌの表情は更に険しく憎悪を露にした。

 きつく握り締め、床に拳を着いていた手が激しい憎悪に俄かに振るえている。その姿をマーナリアは思いつめたように沈黙を守って見つめていた。


「もちろんでございます。あの男の事は、12年経った今でも忘れた事はございません」

「うむ。12年もの間、そなたを苦しめてきた赤き魔物……。そなたもそろそろその肩の荷を下ろしたくはないか?」

「はい」


 その言葉に、エレニアは満足そうに微笑み、玉座の背もたれに背を預けながら深く椅子に座り直す。


「では、そなたに申し付けよう。赤き魔物の討伐をな」

「お母様!」


 瞬間的にエレニアの言葉に反応をしたのは、これまで固く口を閉ざしていたマーナリアだった。

 マーナリアは勢い良く椅子から立ち上がると、悲壮な表情を浮かべエレニアに詰め寄る。


「あの方は、何もしてはおりません!」

「……マリア。まだそなたはそのような事を申すのか」

「万物の神は仰います。あの者の真実を。その神のお告げに背く事があってはならないのではないですか!?」


 その言葉に、エレニアは苦虫を噛み潰したような顔を見せる。

 この国では女王の発言力よりも力があるのは巫女である王女の発言。だが、この時ばかりはエレニアも引き下がる様子はなかった。


「……もう良い」

「お母様」

「マリア。あの者はこれまで多くの人間を手にかけてきておる。万が一にも有り得ぬ事ではあるが、神の仰せの通りあの日あの者が何もしていなかったとしても、今はそうではあるまい? 現に昨日も港町を一つ消失したと言うではないか。このまま野放しにしておってはならぬ。それに、あの日あやつを逃した事のツケが今になって返って来た。しかも悪い方向でな。そなたはこのまま無力な一般市民たちの死を、指を咥えて見ておれとそう申すのか?」


 エレニアの言葉に、今度はマーナリアが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、口をつぐんだ。体の前に組んでいる両手をきつく握り締めている姿を、セトンヌは冷静な眼差しで見つめる。


「……しかし、彼をここまで追い詰めたのは私達のせいです。あの日、彼をきちんと理解していれば、彼はこんなにも大勢の人間に手を出す事はなかったはずです」


 エレニアは呆れたかのように盛大な溜息を吐いた。そして手にしていた閉じられた扇を、パンっと反対側の掌に叩きつけて打ち鳴らす。


「その事はもう過ぎた事だ。今更どうこう言っても仕方があるまい。過去に回したツケの回収を今行わずしていつ行う。もうこれ以上手をこまねいてはおれぬ」

「お母様……」


 エレニアはすくっと椅子から立ち上がると、意地でも食い下がろうとするマーナリアを他所に、目の前で頭を垂れているセトンヌに対して、手にした扇を突きつけた。


「セトンヌよ。ただちに討伐に向かうのだ。そなたが見事奴を討ち取った暁には、すぐにでもマリアとの祝言を挙げようぞ」

「はい。ありがたき幸せにございます」


 セトンヌは深く頭を下げ、エレニアの命を受諾した。

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