追憶……(十四) 【健体】

 ◇◇◇




 ――先ずは『挨拶周り』と。

 そう思い立ったが吉日きちじつ


 ――本日より正式に統巫屋ここに迎えられ。サシギに衣類等の必需品を用意してもらったり、統巫屋内の暮らしでの取り決めや就業規則のような説明。私的な浴場の使用方法や洗濯等まで細かくあれこれ教わり、あっという間に時が過ぎ去って行った……。


 正午を過ぎた辺りで、これからの時間帯はサシギの仕事が忙しくなると告げられ。それでは『何をしていれば良いか?』『何か手伝える事はあるか?』そんな風に問うてみたのだが。

 だったら『しっかり休んでおくように』指示されてしまった。倒れた翌日なのだし、体力も万全とはいえないだろうと『本日は以降、自由時間』とのこと。突然の終業時刻となる。


 よって今後の為に、いざ挨拶周りの決行だ。


 さっそく貰った館内図を広げ、間取りを覚えるのも兼ねての散策か徘徊だかに乗り出すリンリ。

 挨拶の取っ掛かりとなる、最初の誰かに出会おうと意気込んで回廊の角を曲がると、


「……ぅんッぶっ!」


 ガチンっと。

 何やら硬いものにひたいから埋まった。


 ……これは、一体なんだろうと手で触れる。


 感触。ゴツゴツしているが、妙な弾力。

 少し汗ばんだ人肌のような湿り気。

 それから、人肌のような温もり。


 察するに。これはもう、人の肌そのもの……。

 誰かにぶつかってしまった?


「――よォ!」


 リンリは頭上から太い声がかけられた。

 状況から、不注意でぶつかってしまったのだろうその相手から肩を叩かれた。


「ぉほぅっ!? すいませんでした!!」


 直ぐに数歩ほど下がり。

頭を上げる事によって視線が交差すると。リンリは相手から鋭い眼を向けられていた。


 いやはや。あーもう、これはこれは、

よりにもよってな人物にぶつかったものだ。


「……ケンタイさん、ですね」


 リンリの背すじが凍り付く。


 向けられている鋭い眼光。

 対面するは、額や頬に痛々しい古傷が刻まれ、機嫌が悪そうに幾重もの皺を寄せて表情を歪ませた強面の巨漢である。そんな彼から放たれる、途方もない威圧感にも似た空気。


 人を見た目で判断するのは駄目だろう。

だがしかし、見た目から先入観を持たないようにするのにも限度があるというもので……。


 ハクシの評や沙汰の場で軽く世話を焼いてもらった事から、客観的には『彼は気さくで、面白く優しい人物?』という情報を。その気質をある程度は信用しても良いのだけれど……。


 ――見た目は、狂戦士だ。

戦場とかで血塗れで咆哮を上げてそうな。


 ……なんというか、やはり限度がある。


「ハッ、なんだよ。オイオイッ……。

出会い頭で、オヤジの腹に接吻かますとかよォ妙な挨拶する野郎も居たもんじゃねぇかァ?

けどよォ、娘達にされるならともかくな。男の接吻貰ってもよ、ちっとも嬉しくわねえんだよなオイ。言っとくがそっちの趣味はねェぞ!」


 伸長差でリンリを見下ろし。青筋を立て、握りこぶしを作り、低い声で唸る彼。

 それだけで対面するリンリはそこそこの威圧感に襲われ、精神的に無視できない損傷を受け続けるのだ。


 再三に表現している通り、ド強面。

なにぶん顔や存在感が、ここ『午後の心地好い日差しが照らし鳥のさえずりが聞こえる長閑なお屋敷の廊下』という世界観まわりから浮くほど怖いので。すぐにこの巨漢に慣れろ、打ち解けろというのは難しそうである。


「――事故です。すいませんでしたッ!」


 とにかく、ここは全力で謝罪するに限る。


「はぁ、事故かァ?」


「事故です!!」


「あァそうかよ。なぁに、なら気にすんなァ!

事故なら仕方のねェ事だ。誰でも覚えは有る。

だがよ、お前さん。一応の確認すっけどよ。

本当に……事故だよなァ? オイ?」


「――ただの事故ですから。

俺は同性の身体にキスするような“そっち系”の趣味や習慣は持ち合わせて無いので。あの……そのファイティングポーズみたいなの止めて下さい!」


 強面のする臨戦体勢的な構えは心臓に悪い。


「本当だなァ? 信じんぞォ?

今度また接吻してくるようなら、殴ってでも抵抗してやっからな。そいでも本心からオヤジに接吻してェてんなら、その趣味は尊重してやる。女にでもなって出直してこいよオイ?」


 んん。それは、尊重しているのか?

それに『女になれ』とは無茶苦茶な事を。


「しませんし、なりませんよ。

“女”になるって、俺の身に何が起きたんですかソレ。そんなの万に一つも有り得ませんから」


 リンリが女性になぞ、有り得ない。

男が好きというのもない。女性経験もないが。


「あァそうかよ。ならいい」


 顔は憤怒の形相を浮かべているようにも見えたのだが、ケンタイ本人は大して気にはしていない模様。リンリの男好きを疑う彼の口調はもう完全にふざけていて。どこか間延びした、いたって軽いもの。しまいには何か面白かったか「ガハハハ」と豪快に笑い出す始末。

 けれど、いちいち凄みの利いた声で言うので紛らわしい。まるで新手の詐欺のようだ。


「オイ……そいでお前さんは、こんな屋敷の隅っこまで来てよォ。どした、誰かに用か? サシギのお使いか? まさか“迷子”だとか抜かすんじゃねェぞ!」


「あぁ、あの。今日はお暇をいただいたので。この時間使って、皆さんに挨拶をして周ろうかと思い立ったしだいです。……ははは」


 変なところで不意打ちぎみに現れた彼。

与えられた自由時間。その限られた時間故に足早に移動しようとしたので、リンリは死角から現れたケンタイの大胸筋辺りに額から飛び込んでしまったらしい。突然の出会い頭な遭遇過ぎて気まずい。


「――ハッ、殊勝しゅしょうなこったなぁ?」


 彼は獲物を見定めた眼でニヤリと笑うと、

 両の拳をボキボキと鳴らし、

 拳を振り上げると、


「ンガハハッ、そうか。わきまえがあるヤツは嫌いじゃねぇよ。もう互いに名乗ったが、改めてしっかりと挨拶しとくかァ。こっちはケンタイつうのをやってるオヤジだ。リンリお前さんを歓迎しようじゃねェか、なぁオイッ! 歯ァ食いしばれ!」


 そう言って、リンリに握手を求めてくる。

 突っ込みどころは色々有るが。純和風な世界観で握手を求められるとは、そこはお辞儀とかではないのだろうか。まったく、やはり世界観から浮いている巨漢だ。


「握手ですね? 歯を食いしばる要素は?」


 なんだか無駄に身構えてしまったものの。

 まぁ、彼は普通に友好的な人物だった。途中まで何故か殴られそうな雰囲気だったが、そんな事は無かった。彼は必要以上に振り上げた手を、必要以上に振りかぶって突き出し、握手を求めてきただけだ。


 ――筋骨隆々の強面巨漢。

 加えて、日焼けた太い首に手拭てぬぐいを掛け、背中から身体の前面に続く広範囲に文字や紋様の入れ墨が彫られており。更にそこらに無数の古傷が刻まれている。そのようなたくましく、張り裂けんばかりの筋肉。荒々しい上半身といった特徴を持つ強面。

 必要性がなければ、リンリが自分からお近づきになろうとは決して思わない分類の男だ。

 でも見た目ほど怖くない? かもしれない?

 挨拶回りは、それほど難しいものでない?


「こちらこそ、あらため……いだだだだだっ!

あのッ、手が手が手がっ!! あぐッ、肩をバシバシも痛いので止めッいだだだだッ!!」


 前言撤回、そうでもないかも知れない。


 たかが挨拶周り、然れど挨拶周り。

 もしかすると、これは想像以上に過酷な時間外労働なのではないか。

 求められた握手? に快く応じた結果、その手を万力のような力で“握り潰されかけながら”肩をバシバシと平手で叩かれつつ痛感した。しかしこれは実行したリンリの自己責任である。


「ギブ、ギブでッ! ギブアップッ!!」


「おう、力み過ぎたかァ? すまんすまん。こっちにゃ悪気は無かったんだ! 掌握入魂よ。毎回ここの新顔の若いヤツにやってる通過儀礼みたいな感覚でやっちまったぜッ! 堪忍な」


「……ぁあ、手がぁ」


 どうやら“握手”ではなかったようだ……。


 ケンタイはリンリの掌を自由にし、本当に悪気が無さそうに「痛てェならもっと鍛えねェとなァ!」とお節介をのたまって、また「ガハハハ」と豪快に笑い出すではないか。


 いや笑いどころではないぞ、と。

 リンリの指は鬱血したようになっていて、痺れて感覚が曖昧。おまけにケンタイの掌が泥で汚れていた為にか、リンリの掌まで泥が付着しているではないか。


「痛っぁ……。手のひらがミンチになるとこだったですよ! しかも泥だらけだっ! あの、ケンタイさん俺は本当に歓迎されてますか?」


「勿論だとも! 歓迎してなかったら、歓迎するに値しねェクソ野郎だったならなァ。とっくにお前さんを統巫屋ここからつまみ出してる所だ! ……すまん、これで手をふけィ!」


 ケンタイは首に掛かっていた手拭いをリンリに差し出しながら言う。それを渡されたはいいものの、黄ばんだおっさんの手拭い。もといほんのりと汗臭い他人の手拭いで手を拭く気にならない。直ぐに押し返した。


「新人、苛めだ……」


「だから堪忍なっ、てよォ」


 ケンタイは自身の頭を掻いた。

そうして、何やらバシンと手を打つ。


「じゃあよゥ。詫びに、日課でやってる“朝昼晩耐久肉体改造洗脳込みの筋肉増強極限鍛錬”にお前さんをこれから毎日付き合わせてやるとすっかな――

「――えっと。あの、お詫びに、とは少し違うかも知れませんが。ここでの生活や仕事の助言などをいただいてもいいでしょうか?」


 ……耐久肉体改造……。洗脳? 極限鍛練……。

 この世界の翻訳機能が異常をきたしているのだと信じたい。想像するのも憚られる。そんな世にも恐ろしく不穏な事を口にし始めたので、彼が言い終わる前にそうリンリは切り出した。


「ハァ? オイ、助言だとォ?

けったいなこと言う奴だなァオイ」


「はい、もしよろしければ。

ここの勝手が解るまで時間が掛かりそうですし。

今の境遇から精神的に自信や余裕が無くて。その上に社会経験も浅い若輩者なので、少々不安で……。なので、ぜひお言葉を頂きたいです!」


「んーなんだァ。そういうのをなァ、このオヤジに求められてもよォ……」


 ケンタイは、リンリの要望に面倒くさそうに表情を歪めて、自身の頭の後ろを掻く。


「そうさなァ……。敢えて言うなら、お前さんはアレが必要だろ。アレだアレ。要するに……いんや、オヤジが言っちまっても構わねェが。まずは、テメエで気付かせた方が良いか?」


 そして言葉を言いかけ。

しかし、のみ込んだようであった。


「お前さん。『無能、未熟』男はそんなん気にするこったねェぞ。そいでよォ、お前さんに必要なんは、オヤジの助言なんかじゃねぇだろうさ。必要なもん、なんだかわかっかァ?」


 助言の代わりに、質問が来た。

自分リンリに“必要”なものとは、いったい。彼の意図している解答は正直わからない。それでも、自分で決意した意気込みくらいは発する。


「『自分を省みて前を向く事』でしょうか?」


「ほうほう、そいで“それ”をやったらよォ、

“それ”をしてるんならよォ。お前さんの心持ちはどうなる。どうなったんだァ? 続けろ」


「上手くやれるかは判らない。必要とされているかも判らないです。ただの事の成り行きにしろ。優しい好意に甘える形になるにしろ。統巫屋ここで生きます。これまでずっと逃げ続けて来ましたが、自分の弱さからは逃げられないって気が付きました。なら、前を向こうって思いました。だから、できる限りここで頑張ります! ここへの恩返しと、ここでの自分に悔いが残らないように」


「へッやはり、お前さんは殊勝なヤツだなァ。

けどまだ青い。口先だけは立派だとしても、肝心なとこが未熟だ。中身が熟してねェ、伴ってねェ。おおよそ、どんなヤツか解った。……最後にもう一つ答えろォ!」


「はい」


 なんだか、叱られているようだ。

いや本当に叱られている。叱ってくれている?


「お前さんが、テメェで『成長するためには』何が先ず必要だと思う? 答えろ。それが解ってんなら問題ねェ。きっと、見えてねェだろうがな」


 更なる問を投げられる。

『成長のため』『先ず必要』なもの。


「……それは」


 解らない。そこから言葉が続かない。

発した『意気込み』以上の答え、それ以外の答えをリンリは今現在持ち合わせていない。ある程度の時間をもらえれば、ケンタイの言うように『口先だけは立派な言葉』くらい捻り出せるだろうけど。

 ……でも、きっと、それではダメなのだろう。今のリンリでは答えられない。それは覆しようのない事実であるから。だから沈黙が続いてしまった。


「いや、もういい。聞くまでもねェか。お前さんの『逃げ』『弱さ』ってのは、要するに何だ? 何から逃げて、何が『弱さ』だってほざいた?」


 ――突然、リンリは胸元を掴まれた。


「!?」


「――くだらねェな、オイ!

違うだろうが。違うんだよ。逃げる事から、逃げるんじゃねェ。弱さってのは逃げる事じゃねェ、テメェが自身を見捨てる事だ。解かんねぇ事は教えてやる。背負いきれない荷物は持つのを手伝ってやる。だから、男は未熟も不安も迷いも口に出して“逃げる”事を“逃げるん”じゃねェ。自身の弱さを隠して、テメエの価値を貶めるんじゃねェや!! そういうこった」


 掴まれたままで、怒鳴られてしまう。

リンリに投げ掛けられているのが、真っ当な言葉ではあると判断できるのだけれど……。

 しかし『そういうこった』とは「どういうこった」なのか。申し訳ないが解らない。ちょっと早口の怒声過ぎて理解が追い付いてこない。


 直ぐに拳は、胸元から離され楽になる。


「ゲホッ……ケホッ!」


 リンリは、怯み、竦んでしまった。

やや理不尽ではないか? 粗暴とまでは行かずともケンタイの態度の豹変に背筋と肝を冷やした。

 現代っ子なリンリには、そのままの意味でぶつけられる肉体言語は理解し難い。


「悪ィな、加減が足りてねェか……」


 それがはたして、彼なりの主義か何かに触れてしまった為のものか。あるいはリンリを思っての激昂なのか。もしくは両方だろうか。

 確かな事は。ケンタイ、彼は無意味な暴力にうったえるような人間ではないということ。そのことはもう理解できていたので、真面目に向き合う。


「――そのよォ、なんだ。あれだ。軽くかつを入れてやりたくなっちまってなァ。しかし、この粗暴なオヤジはやり過ぎちまった」


「……活、ですか?」


「沙汰の時から引っ掛っててなァ。

いんや、もっと前か。ともかく、お前さんからは“危うさ”ってのを感じてなんねェんだクソ」


「俺の、危うさ?」


「あと忠告だが『弱音や未熟や不安や迷い』言えば楽になるんなら良いぜ、どんどん口から吐きだせや。絶ッてェにそこは間違えんじゃねェぞ。だけどよォ、そこに『卑下』の感情を含ませるのはならねェ。どんな時も、『テメエの価値』をテメェで貶めるなよ。そういうこった!」


 ケンタイの伝えようとしてくれている事が「どういうこったか」遅れて解ってきた。

 リンリには『自分の価値』なんて、考えた事は無かった。きっと過去に一度たりとも。


「お前さんには、『逃げる事』『テメェの価値』特に必要な自覚だ。それを解ってねェヤツは“己を枷で縛って”“内から腐らせ”ちまうもんだ……。本人も知らず知らずのうちになァ! お前さんは、そういった“危うさ”が見え隠れしてやがる」


 この世界に来てから。自分を省みて『逃げる事』から逃げていた、これまでの自分に気が付いた。

 けれども『自分の価値』という視点は考えも付かなかった。なるほど、大切な意識だ。自分を蔑ろにしてるヤツが、どうして“成長”なぞできるというのだろうか。当たり前の事なのに、言われなければその発想を持てなかった。未熟だ。


「環境や立場に縛られた時に、選択の必要に迫られた時に、逃げ場を失った時に、そんな状況に置かれた際によォ……。テメェが気付かずに溜めた内面の腐りは、深刻な弊害や歪みに繋がるもんだァ」


 ケンタイは屈んで、目線を合わせてくる。


「お前さんみたいな、根が良さそうなヤツほど……それで死んだ。壊れちまった。まあ色々様々な経緯有ってここに落ち着くまでよォ、そういうクソっ垂れな世界を、嫌ってほど見ちまってなァ。我慢なんねェんだよ。お前さんは、若けェし、テメェを省みれるらしいから、まだ大丈夫だと思うがよォ」


「…………」


「……わりぃ……本当に悪ィな。恥も外聞もねェ、こんなただのクソオヤジが、一丁前、偉そうになに言ってやがるっんだって話だなァ、オイ。けどなァ……ハクシも言ってたろ。ここの皆よ、お前さんの立場は理解してんだ!」


「…………」


「故郷に帰れねェ。統巫屋ここに縛られなきゃ早死しちまう。胸糞悪りぃ、なんかに仕組まれたみてぇなクソな境遇じゃねェかよ。当然そりゃ弱音の一つ二つは口から出てくるてなァ。んな事わかってんだよ……こっちはよォ」


 …………。


「でもよ。まぁ、なんだァ……。

こっからは助言だけどな。テメェにどんな過去が合ったとかよ。何を背負ってるとかよォ。不幸な境遇やらなんやら。そんなんわ、もう関係ェねぇんだ。お前さんは、たまたま拾われて庇護されるだけの立場を脱して沙汰あのばで選択しちまったんだよオイッ! もう弁えなきゃなんねェ!」


 よくよく見れば。鋭い眼光に不釣り合いな……優しく、真っ直ぐな瞳が向けられていた。


「――統巫屋で拾われたもんどうし。飼われるような庇護を良しとせずにな。選択して、ここに腰を降ろしたんならよ。もうハクシに仕える同じ一派の一員なんだァ。お前さんに対して同情とか下らん感情を抱いてよ、あまつさえ特別扱いで壊れ物みてェに優しく接してやるなんぞなァ、お前さんって人間の面に泥を塗るも同じだろォがよ!」


「……えっと?」


「こちとら、不器用なオヤジでなァ。

だから、お前さんが統巫屋の一人の男として過ごして行く上でよ。……相応しくねェ、覚悟がねェ、看過できねェ。そんな部分がありゃ、他のヤツと同様に怒鳴って諭してやる! こんな風に! 何度だってな! 後々それがソイツの為になると信じているからなァ!」


「ケンタイさん……」


「これからよ。その辺ちゃんとお前さんが気構えときゃ、何も構わねェぜ! 助言とか下手クソだが、そういうもんだろ。“お前さんが故郷に置いて来たもんと一緒に、弱さや不安もどっかに置いてっちまえ。そんで、向こう見ずに、がむしゃらに、テメェを愛して生きてみろよ!”統巫屋の一員として! 統巫屋は、そんな風に必死に生きようとするヤツに寛大だ!」


「あの、ありがとうございました!」


 投げかけられた言葉の旨を噛み砕いて解釈さえすれば、それは彼なりの不器用で優しい叱咤激励の言葉だった。関係性がまだ浅い相手にそうそう言える言葉ではないだろうに。


 彼の人間としての懐の広さと、その度量には感服すらさせられた。彼自身が“不器用”と称す部分は、きっと必要以上に相手に親身になり、情を抱いてしまう気質の事だろうか。それが自分にも向けられたという事が、リンリにはとても「ありがたく」感じられた。


 自分自身を見つめ直して、

今までの自分より「先に行きたい」と決心をしたリンリの心に響く言葉であった。


 ――ここで断言していい。彼、ケンタイは顔は怖いが、気さくで優しい立派な人物だ。人間として尊敬できる大人の漢だろう。どんなに強面だからといって、見た目で怖がっていたのは失礼であった。

 まだまだリンリは、人として成長しなければならない部分が多い。そう痛感した。


「……実はサシギからよ。お前さんを見かけたら『気に掛けてやってくれ』って頼まれてなァ。そいだから、このクソオヤジからしか伝えられねェ活を見舞ってやろうか、どうしようかと。まぁ探してたっうーのは裏話だなオイッ」


 言い終わり、そう添えて。ケンタイは立ち上がってリンリの横を通り抜けて行くのだ。


「オイッ、どうしようもなく困ったら、ただ頼れよ。ソイツの未熟も不安も、周りはだいたい知ってんだァ。困難にぶち当たった男が口に出すのは、情け無え言葉じゃなく『助けてくれ』の一言だ! 人は一人じゃ生きられねェからよ。テメェの限界を知って、弱さを知って、必要に応じ助けを求めれる事。それが大人の漢ってもんだァ!」


「えっと。……もっともな、お言葉です」


「沙汰でよォ。昨日の今日で、お前さんはテメェ自身の決意を示した。青二才だが、前を向いた真っ直ぐな決意をな。人としての殊勝さ、その心意気には見込みがある。頑張れよ若人ォ!」


 挨拶だけではなく、彼からの思いがけない教示を貰ってしまう形になったが、それはそれで有意義な成果を得たリンリだった。


「――ありがとうございました!」


 振り返り、また礼を言った。


 ケンタイは恥ずかしそうに頬を掻いて、首だけ振り向くと口を開く。


「ガハハ……。なに語ってんだって話だがよ。

集落の奴らとよ……望んで成ったサシギ以外の使従は皆なァ、ハクシやアイツの母親のミナリネ……いんやミナリミ様に拾われたようなもんだ。だからよォ。前さんにも変な情が入っちまってんのかもしれねェなァ……。しょうもねぇ話だ」


「ミナリ……ミナリミ。ハクシの母親?」


「ん、オイなんだ? いや、ところで……。

そんな女みてぇな細く色白な手足。見るからに不健康そうな面。お前さんは男として、もう少し必要とされるモンがあんじゃねえのかァオイ?」


「はい。……え?」


「日課で、朝昼晩耐久肉体改造洗脳込みの筋肉増強極限鍛錬! やはり、いいぞっ! どうだ?」


「……えーと。それは、今度。もう少しここに慣れてから。き、機会が有れば。初心者お試しの15分メニュー的な入門コース的なやつをお願いします」


「ガハハハッ! 待ってるぞォ!

そん時は扱いてやるからなオイッ!」


「お手柔らかに……」


 ケンタイは豪快に笑うと、一度頷いてからのっしのっしと去って行く。リンリの感覚で例えると“距離感の近い親戚の面倒見の良い体育会系おじさん”といったところか。余り深く関わった事がない分類の人間だが、それ故に彼からは学ぶ事も多そうである。格好いい人物だった。


「――オイッ待て。あれだ。そういや」


「はい?」


 と、まとめた所で……帰ってきた。


「お前さん、挨拶周りってのはよォ。

……もう、シルシんとこには済んだのかァ?」


「シルシ? いや、未だです」


「――なら、持ってけッ! 助けになるだろ」


 ケンタイは、何やら。

自身の履いている褌の中をゴソゴソといじると、


 ……“褌の中”をゴソゴソと弄ると!?


「集落の連中に貰ったんもんだァ! 近場のチィカバの土産だそうだが、これからの友好の証しとしてお前さんにやろうじゃねェか!」


 その褌から、拳大の紙包みを二つ取り出してリンリに投げ渡してきた。


「……あ、え? ……へ?」


 それを受け取ってしまった事にリンリは一瞬呆けた後、心からの後悔をする。


「これは……」


「甘味。旨いらしいぞォ!」


 甘味らしい。それ、


「……あの。ケンタイさん、質問ですが。今どこからこれを取り出したんですか? もし俺の見間違いじゃないとすると――」


 股間の辺りから取り出してなかったか?


「――饅頭だァ!」


 それは良いのだが、


「……この饅頭、どこに入ってたんですか?」


 股間の辺りに入ってなかったか?


「シルシは甘味が好きだからなァ!

あつらえ向きに、その饅頭はやっこさんの故郷のもんだァ。ちょうど二つ有る。それで釣って茶にでも誘えば、アイツはあれで案外単純なところがあるからな。いんや、単純そのもんだからな。容易く餌付けできるだろうよォ!」


「――俺も甘い物は好きだけど。

違う、そうじゃない!! これは甘味であって。デザートであって。しかし口に入れちゃいけない、おっさんの下着から出てきた危険物だろッ!!」


「……どうもよォ、こちとら昔から甘味は好かんもんでなァ。集落の奴ら、それを知ってて『ぜひ食ってくれ』と渡してきやがる。いつもしばいてる当て付けかなんかかァ? そん時は、食ったフリをして仕舞って事なきを得たが……」


「いやいやいや」


「さて、仕事に戻るとすっかなァ!

リンリ、まぁせいぜい、シルシや他の奴らと上手くやってくれや!」


「……これを返品したいです」


「言っとくがよォ。オヤジはここの奴らの事は、皆同じく息子や娘みてぇに思ってるんだ。大丈夫だと信用するけどよォ、リンリ。お前さん、くれぐれもその信用を裏切るんじゃねぇぞォ!」


 ケンタイは拳を突き上げ、行ってしまった。


「ケンタイさん、いい感じに〆たけども。

あぁ、もう。これを返品したかった……」


 どうして、格好いい大人の漢という印象のまま去ってくれなかったのか。とりあえず、ケンタイの人物評が何段階かリンリの中で下落してしまう。最後にとんでもない危険物を押し付けられてしまったものだ。まったく……。




 ◇◇◇




「この透廊すきろうを渡って、えーと雑舎が南から見て左手の回廊を曲がった先? あれ、南って……どっちだ? 太陽……太陽は……」


 ケンタイと別れ、地図を眺めながら苦労して統巫屋を探索していたリンリ。

 次に“シルシさん”に挨拶をしに行く予定であり、地図にも彼女の自室のある雑舎の一部屋に丸を付けてもらって来ている。ただ、悲しいかな。迷ってしまった。途中の回廊で方向感覚を狂わされ、今向いている方角がどこなのかさえ解らない。


 太陽を見上げると、真っ昼間の時間帯故に丁度大空に輝いている。方向が解らない。最早打つ手なしか。こうなれば「迷子のお知らせです!」と恥ずかしさを押し殺し、大声で誰かを呼んでみるしかないのだろうか。そのようにリンリがげんなりしていると、


「みちゆくそこの~お兄ちゃん~お兄ちゃん~どこへむかうの? あたしは、後ろから~そっとしのびよるよ~」


 背後から、幼い子供の声が自身の歌にのせて話かけてきたのだった。


「――ココミ……ちゃんだっけか?

これはこれはいい所に!」


 その声は、ココミと言っていたあの幼い少女のもの。いつの間にか背後に迫って来た。


「よし、とったぁ!」


「――うぉ!」


 後ろに振り向いたと同時に、何故かココミに飛び付かれた。その勢いは意外と重く、リンリは尻を床板に打ち付ける。


「いたた……」


 そして、倒れたリンリと、飛び付いたココミは何となく抱き合う形となった。その身長差からココミはリンリの胸元に頭を埋める。


 そのまま、


「ぅん、ぅん、ぅん……ん」


 彼女は、すりすりと何度もリンリの胸元に自身の頭を擦り付けるかのような仕草。


「……は?」


 よく意味が解らないのだ。

 彼女に甘えられているようでもない。リンリは視界の端でココミの旋毛が揺れる度に、その頭の中を数々の疑問で満たして行く。


「えと、キミは何をやってんだ?」


 自分からはどうにも動けず、少しの間だけココミにされるがままで待機したが。待てども何も変化が無いので。仕方なく、彼女の肩を掴んで優しく引き剥がした。


「ちがう。……ちがった。あたしのおもいすごしかぁ……。それに、お兄ちゃんだしね」


 ――引き剥がした事で目先に現れた、長めのおかっぱのような黒髪に、幼さないながらも整った……日本人形を連想させる彼女の顔。

 その顔には何の感情も無く。おおよそ童女がしないであろう、ただ諦めたような表情。秋の終わりの空のような空虚さだけが広がっていた。


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